FC2ブログ
Entry
Archive
Category
Link
RSS Feed
Profile

伏屋のづ

Author:伏屋のづ
Mail:nuderiff@gmail.com

書き殴った【おむつ・おもらしフェチ】系妄想置いてます
だいたい月一でもえないごみがふえるよ
文章も構成も壊滅的なんで重箱の隅突きなど歓迎中
萌えについて模索中なので作風も質もブレまくるよ

2016/01
>あいかわらずにほんご書けてねえ
>よかったら好きなシチュ語ってもらえるとうれしいです
@ごみばこ

Access Counter
Mailform
リクエスト参考にします
(書けたら書くかも)

名前:
メール:
件名:
本文:

Comment
TrackBack

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

trash #033


 そこは、窓一つないというのに、ひどく明るい雰囲気に満ちた空間だった。やさしいベージュカラーの壁紙が囲み、おだやかな暖色灯が照らす部屋の中は、厳重に塞がれた出入り口には不釣合いな物たちで溢れかえっている。
 床は転んでも痛くなさそうな、やわらかそうなフェルトのマットレスが一面に敷かれている。上にはガラガラやおしゃぶり、よだれのシミでくしゃくしゃになったぬいぐるみまで、足の踏み場もないほどそこかしこに転がっていた。特に目を惹くのが部屋に備えられた家具や収納の数々だ。転落を防ぐためにしっかりと柵で囲まれた木製のベッド、カラフルでファンシーなデザインが踊るベビー服が並んだオープンクローゼット、そして、まるでドラッグストアのように陳列された様々な種類の幼児用紙おむつのビニールパッケージが並ぶ大きな棚。
 そんな『保育室』と呼ばれるに相応しい環境の中で、ベビー服姿の女児がべそをかきながら、エプロン姿の保育士から逃げ回っていた。

「やめろよおっ……。わたしはおとななんだよ、おとななんだったらあっ!やだっ、こっちくんなぁ……!」
「そんなこといわないで。先生もこまっちゃうから、ね?」

 赤ん坊は耳まで林檎のように赤く染め、頬を涙で汚しながらいやいやと頭を振って逃げ惑う。その必死さに反して、姿も仕草も見るものの庇護欲を想起させるほど愛らしかった。淡いピンクカラーで統一されたボディスーツタイプのロンパースは、こもこの起毛の生地で体を覆い隠しており、丸みを帯びたフォルムになっていた。特にお尻周りはまるでかぼちゃパンツみたいに膨らんでいて、歩く度に左右にふらふらと揺れるものだから、不安定な歩行は歩き始めたばかりの赤ん坊を思わせるよちよち歩きになっている。そんな立つのもやっとの歩みは、すぐに追っ手の手に捕まってしまった。

「あらあら、そんなに急いであんよしたらまた転けて、えーんえーんしちゃうでしょ? さぁちゃんはまだ赤ちゃんだから、そんなに急いであんよしなくていいんだよ」
「だからっ、わたしは赤ちゃんなんかじゃ……!」

 保育士の言葉にムキになり、振り返ったが最後。『さぁちゃん』と呼ばれた女児は、保育士の腕に抱き抱えられた。

「はいっ、捕まえたっ!」
「ひっ、やめろっ、ばかぁっ、へんたいぃっ……!」
「もう、変態じゃないよ? さぁちゃん、いい子にしてないとおっきなお姉ちゃんになんてなれないよお?」
「わ、わたひはっ……もう、おっきいのにっ……!」

 保育士の腕に抱かれて、宙に浮いた足をバタつかせながら泣き喚く女児の口調は辿々しくも、はっきりと自己主張を示している。その言葉も、何一つ間違っていない。だが、この部屋で1番おかしいのは、保育士に抱かれた女児の方だった。

「お姉ちゃんなら、おむつにおもらししないでしょ? さぁちゃんはまだ、ちっちも言えない赤ちゃんなんだから」
「やだ……いっちゃやだっ、そんなこと、いうなぁ……!」

 保育士の言葉に涙ぐむ女児は、150㎝以上はありそうな身長に大人びた青年期の顔つきといい、保育園児どころか女子高生相当の発育を見せていた。それなのに、口元には甘ったるい匂いの漂う人工ミルクの痕を、頬には流した涙の轍まで残している。そんな生後1年未満の赤ん坊同様の汚れが染み付いた「おっきな」女児は、『おもらし』や『おむつ』の言葉を聞いた途端、まるで発作のように怯えだしている。すぐに慌てて両股を強く閉じるも、保育士の手がそれを阻んだ。

「それなら、確かめなくっちゃね。さぁちゃんはお姉ちゃんかな? それともぉ……」
「いやぁ……」

 かぼちゃ状に膨らんだ大きな赤ん坊の下半身は、股間からお尻にかけてモンキーパンツのように垂れ下がっていた。宙に浮かべば重力に引かれてより強調されたその部分だけ、大きなボタンが放射状に、取り囲むように並んでいる。保育士は赤ん坊を抱いたまま、片手で器用にそのボタンを外してゆく。ぽふっ、と鈍い音が上がり、布地に隙間が開く度、赤ん坊の表情もより一層悲壮さに染まっていった。

「ね、ねえ、ちっちないから……おねがい、やめてよ……ねえ、ねえってばぁ……」
「えー、ほんとに? でもさぁちゃん、さぁちゃんのおむつ、もう『おしっこお知らせサイン』、浮かんでるよ」
「うそ……うそ、だよねっ……ねえっ……!?」

 告げられた真実に固まった赤ん坊を、保育士はベビールームの端に置かれたベビーベッドへと横たえてゆく。露わにされた彼女の下着は、保育士の言う通り、赤ん坊の穿くようなデザインの紙おむつだった。高々と持ち上げられた、すらりと伸びた両脚の付け根には、横漏れ防止のギャザーがしっかりと備わっていて、その間に見えたクロッチ部分――おしっこを受け止める高分子吸収体の箇所には、黄色く染まったライナーの上に、青いラインがくっきりと浮かんでいる。受け止めた量も多かったのか、薄いボディライン上に盛り上がったなだらかな丘陵は、ずっしりとした重量感さえ備えているようにも見えてしまう。呆れたように笑う保育士に上体を支えられ、身を起こした赤ん坊も、自分の失態を見せられていた。

「いや……し、してないのにっ、なんでっ、なんでっ……。やだ……こ、こんなの、わたし……どんどん、赤ちゃんになっちゃうなんて……」
「だから、私がいるんでしょ? ちゃんとさぁちゃんのおむつのお世話してあげるから、心配しなくていいんだよ」
「いやぁ……。あ、あかちゃんじゃないもん! おねえちゃんだもんっ……おねえちゃんなのぉ、おむつはいやぁ……!」

 赤ん坊の泣き声はすぐに嗚咽に変わり、ベビールームに響き渡る。保育士はベッドの下から新しい着替えを取り出すと、あやすように笑いながら、赤ん坊の前にそれを差し出した。

「ほら、さぁちゃん。新しいおむつ、どれがいいかなぁ?」
 それはプライドを踏み躙る死刑宣告。号泣で答えた赤ん坊は、もう『お姉ちゃん』の言葉さえ忘れているようだった。

***

 大義のためと、信じてきた。それなのに、目の前を遮る壁のようなガラスの向こうに、目を疑う景色が広がっている。

「……何なんですか、これは」
「立派な保護処置だよ。熟し過ぎた近代社会の持続性に寄与する最も新しい社会福祉実験」
「はぐらかさないで……こんなのが福祉だとでも!?」

 同じ白衣を着ていても、向かい合う二人の少女の間には越えられぬ溝が刻まれていた。一人はガラス越しに繰り広げられた『幼児保育』に無関心で、デスクの上に並べた書類に目を通して離しもしない。その無関心に眼前の光景に衝撃を受けたばかりのもう一人が、強い口調で糾弾の意思を訴える。だが、訴えられた側の返事は、ガラス窓をコツコツと軽く叩くだけ。

「五体満足に産まれながら自己意思で決定する事を放棄した怠け者、『学習性無力感』なんて責任放棄の換言で他者依存に逃げた愚か者を救うプログラム」
「ふざけないで! 人格に対する冒涜じゃないですか!」

 繰り返される詭弁を前に冷静さは失われていた。剥き出しの怒りをぶつけてぶつかるも、詭弁は更に重ねられた。

「知ってるでしょ? ガラスの向こうのあの子たちのこと。今までずっとワガママと言い訳を繰り返して、自分の足で歩もうとさえしなかった。それって、私たちが手を下すまでもなく、もう充分に――赤ん坊と同じ生き方を選んでるんだよ」
「だから弄んでいいとでも! 私は更生プログラムだと信じて彼女たちを連れてきたんです、それをあなたは!」
「そうだよ。わたしは彼女の望んだ未来を彼女が指一本も動かさずに叶うように手伝っただけ。ほら、あの子もあんなに可愛くなれて……きっとみんなに、愛して貰えるよ」

 書類から顔を上げるなり、ガラス戸の向こうを見つめたもう一人の白衣は、再び始まろうとするベビールームでの『更生プログラム』の様子を前に、無邪気に瞳を輝かせていた。

 ***

 ガラス戸越しに映る保育室内の保育士と大きな赤ん坊は、覗く二人の白衣の視線にさえ気づいてはいなかった。むしろ、赤ん坊はガラス戸のある方向から顔を必死に背け続けていた。

「さぁちゃん、またおめめギュってしちゃってるね? 先生もお部屋もこわくないよ? ほら、イヤイヤしてたら折角替えたばかりの可愛い紙おむつさんも見れないよ?」
「みなくていいっ、いいからっ……。やらよぉ……!」

 まるで強いお化けでも避けるように怯えに萎縮するものだから、同じ位の背丈の保育士も世話を焼くのに苦労した様子はない。おもらしおむつを替えた間も、ベビーベッドから抱きかかえた時も、ガラス戸の前に両手で支えて立たせていた今も、赤ん坊はずっとまぶたを固く閉じ、己の視界を閉ざしていた。
だからされるがまま。五体を支える保育士にとってもこれほど御しやすい状態もなかった。

「あ、さっき替えたおむつ、もうちっちサイン出てる」
「うそっ!? し、してないしっ! ――あっ」

余裕のない相手ほど他愛ない嘘にすぐ引っかかる。保育士の言葉に唆されて、頑なに塞いだままの瞳はあっけなく開かれていった。ありもしない失敗を鵜呑みにするほど、赤ん坊の方も自分の体を信じられずにいるようだ。それも、今の彼女にしてみれば無理のない話だった。

「あ、あぁ……! う、うそっ……この、うそつきっ……!」
「ごめんね、こうしないと、さぁちゃんも見てくれないから」

 眼前の光景を目にするや否や、赤ん坊はわなわなと唇を震わせたまま、怒りと悲しみ、羞恥と絶望をない交ぜにしたような、絵もいわれぬ表情を浮かべてゆく。涙に滲む視界に、逃げ場などあるはずもないのだ。壁一面、鏡張りの向こう岸には、保育士に脇を抱えられた、紙おむつ丸出しの大きな赤ん坊が泣きべそをかいていた。下卑た視線もそれを非難する糾弾の声も鏡像の境界一つに阻まれて、保育室には届かない。マジックミラーの檻は、常に被保育児たちに赤ん坊になった自己像を容赦なく突きつけている。

「こ、こんなことしてっ……ぜ、ぜったい、ゆるさないからっ……! わ、わたしを、元にもどせっ……。あ、赤ちゃんなんか、するんじゃねえぇっ……ぐすっ……!」
「さぁちゃん、イヤイヤさんが治らないねぇ。この前躾直してあげたばかりなのに、また可愛がって欲しいのかな?」
「い、いらないっ……わ、わたしっ、おむつも、服も、あ、あかちゃん、じゃないぃっ……。こんなのちがう、違うったらぁぁぁっ……!」

 大きな赤ん坊も繰り言のように、朝も夜もオムツも幼児服もいやがるばかりで、飽きずに泣きべそをかき続けている。保育士もその強情さに呆れた苦笑いを浮かべながら、エプロンのポケットから、赤ん坊のための玩具を取り出してみせた。

「ふぅん、あくまでもまだ、おねえちゃんのつもりなんだ? でもね、さぁちゃんがお姉ちゃんなら」
「な、なんだよぉっ――んぐっ!」

 保育士が玩具を赤ん坊の口に突っ込むと、柔らかいプラスチックが舌を押さえ、咥内を根こそぎ塞いで圧迫してゆく。

「いあ、やめ、むぐっ!? んぐっ、んううっ、んぐうっ!」

 捌ききれない異物感が喉に嘔吐反射を引き起こすも、吐き出す出口を奪われた空気や唾液が気管に入り、赤ん坊も悶え苦しみながら床を転がる羽目になった。涙目で見上げる赤ん坊がおかしくて、目尻を下げたままの保育士の瞳にも、隠しきれない嗜虐の光が宿ってゆく。

「おしゃぶり、ちゅぱちゅぱなんかしないよねえ?」

 保育士の言葉で、赤ん坊は瞳を恐怖に震わせた。その仕草の滑稽さに保育士の口元も不意に歪む。薄く形を歪めた唇の隙間から、白い八重歯が牙のようにちらついた。

 ***

 勉強もイヤで、人間関係もウザかったから、楽して暮らせるならそれでいい――それが志村早月が『さぁちゃん』にされる前に提出した、『稚育更生同意書』への志望動機だった。
 今はもう夢に見ることもなくなった過去の過ちが、さぁちゃんとして生きることを強いられた彼女に、恥辱に満ちた地獄を与え続けている。

「さぁちゃんはほんとにおしゃぶり大好きだねえ。ちゅぱちゅぱ、そんなに欲しかったんでちゅかあ? うふふ……」
「う、あうぅっ……んっ、くちゅっ……れぅ……うぁ……」

 あんなにイヤがったおしゃぶりも、口に入れられた瞬間、早月は無我夢中で吸い付かずにはいられなかった。慢性的な苛立ちと不安感で思考もまともに回らなかったところに、甘い味が口の中に広がった瞬間、同時に頭の芯が鈍く痺れ、激しい嫌悪も絶望も、緩慢な思考の中でゆっくりとほどけてしまった。おしゃぶりに含まれる薬物は、一時の快楽と引き換えに早月の精神に重度の依存性を形成している。早月も保育士から与えられたミルクやおしゃぶりのせいで、赤ん坊のような衣装と言動を躾けられたのだと自覚していても、抵抗の意思の縁だった感情は、今も一握の砂同然にこぼれ落ちていた。

「おいしそうにちゅぱちゅぱして……ほら、お口がよだれでべとべとだよ? さぁちゃんによだれかけしててよかったよね」
「むぅ……う、ふううっ……むっ、ふぅぅ……」

 床に座る保育士に抱かれた状態から、なけなしの気力で瞳に力を入れて睨み返そうとするも、甘ったるい味の多幸感に蕩けていた身体はとうに脱力しきっており、まるで本当の赤ん坊のように、頬の筋肉までゆるんでいた。おしゃぶりを吸う力も徐々に鈍り、口角からこぷりと上がった小さな泡と共に、だらだらとよだれまでこぼれてしまう。

(なんで、だよぉ……わた、し……このまま、あかちゃんに……)

 赤ん坊になんか、されたくない――早月はそう想像するだけで、悍ましさに怒り、立ち向かうことができたはずだった。だが、保育士の『幼児保育』が早月から年相応の自我を奪い、『甘えん坊のさぁちゃん』の人格を上書きしてゆく。

「あら、さぁちゃん、にこにこさんになって。おしゃぶりちゅぱちゅぱできたのが、そんなにうれしかったんだぁ?」

 見下ろした保育士は自分より年下のガキの癖に、まるで聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。こんなに屈辱的なことなんて、舐められることが何よりも嫌いだった早月には許し難い仕打ちだったのに。
 保育士の柔らかい手が、そっと早月の頭を撫でた瞬間。

「ふ、あぁっ……!」

 反射的に漏れた甘い声に、早月の顔は火がついたように赤くなった。喜悦に蕩けた吐息交じりの声色は、物心つく前の声、言葉ですらない幼児の発語――喃語そのものだった。

(い、いまの、私の声っ!? び、びっくりしただけだっ、今のはまぐれでっ……!)
「ふふっ、かわいい声。さぁちゃんの声、先生ももっといっぱい聞きたいなぁ」

 慌てた早月を見透かすように、保育士は撫でる手を止めなかった。手櫛でそっと梳くような、やさしい手つきが早月の心をざわつかせてゆく。

(な、なんだこれっ! ぞくぞくって、なんでっ、わたしうれしくなってぇっ!!)

 死を望むほどに強烈な羞恥心に襲われた直後、激情はすぐに歓びへと変わった。脳髄を白く焼き切る電撃的な奔流が、早月の身体の隅々に伝わると、眼前の景色さえ輝きだした。

「ひぅ……。あむ……ふぁあん……。ちゅむ、ちゅく……」
「さぁちゃん、いい子いい子。さぁちゃんはかわいい赤ちゃんでちゅもんねぇ」

 聖母に抱かれた神の子のように保育士の腕の中で体を揺らされ、『22才にもなる大学生が、5つも年下の高校生に「かわいい赤ん坊」扱いされている』。早月はその異常さに、ほんの数分前まで怒りと絶望に身を焦がしてきたはずだった。
 それなのに、口をついて出た言葉は。

「しょっ……しょんなこと、なひぃ……。かんひかい、しゅんにゃ、ばかぁ……」

 回らない舌で必死に紡いだ言葉は隠しきれない喜色に震え、声色は保育士の慈愛に感謝さえ伝えていた。

(わけわかんねぇっ、へんなことされて、わたしっ、わたしっ……あかちゃんにされて、ひあわせなってりゅっ……!)

 抵抗の余力など、もはや微塵も残っていない。
 早月を抱いた保育士が笑顔でいてくれるだけで、『さぁちゃん』が無邪気な喜びを爆発させてしまうから。

「さぁちゃん、おむつ替えたしハイハイの続き、しよっか?」
 そっと床に戻された時には、早月の返事は決まっていた。
「うんっ!」

 先程まで保育室に響いていた抵抗の泣き声は、保育士の世話によって、あどけない嬌声に変わっていた。ベビールームの中で再開された追いかけっこは、今度は笑い声に満ちた微笑ましい光景を見せている。

「さぁちゃん、待って! ほら、またおむつのちっちサイン変わってるよ!」
「さぁちゃん、ちっちおむつでいいもんっ! せんせぇが、おむちゅかえてくれるからぁ!」

 黄色く染まったお尻を振り、けらけらと笑う22歳児の赤ん坊と、困ったように笑いながらそれを追う、17才の保育士。
 戯れる彼らの表情に、不幸の色は見えなかった。マジックミラー越しに全てを見つめる、糾弾者の絶望も届かぬほどに。

 ***

 糾弾者の前に繰り広げられたのは、目を疑う光景だった。怒りや同情、嘆きさえ沸かなかった。

「赤ん坊のように……」

 紙の上でしか知らなかった『再教育』の実態に直面して、呆然とたたずむ彼女に、今度は書類を手にしていたもう一人の白衣が向き直した。眼鏡を下ろし、こんなことは今更だと、一から子供に教えるように、淡々と口を開いてゆく。

「不幸に見えるから不幸なんて勝手な言い草だよね。処置の進んだ子を見ても同じこと言う? あんなに幸せそうなのに」
「選ばされた結果じゃないですか……あなたに無理やり!」
「生まれ落ち、名づけられる。始まりはみな受け身だよ。それに他人の幸福や意志を勝手に忖度した君はどうなの?」
「詭弁です、あなたの言葉は全て自己正当化でしかない!」

 見てきたものが虚ろでも、今語る相手の欺瞞なら分かる。ようやく湧いた怒りに任せて、糾弾者は怒声を飛ばした。
 だが、それでも、向かい合った少女の表情は崩れない。

「わからないか……。なら、自分の身で確かめればいいよ」

 彼女が冷たく言い放って背を向けると、部屋のドアが乱暴に開いた。同じ白衣を着た少女たちが、糾弾者の両手を掴み、部屋から引きずり出してゆく。

「いや、やめて……! 私は、あの子たちみたいになんかなりたくない! やだ、離せっ、こんなの絶対間違ってる!!」

 力の限り暴れながら、それでもゆっくりとドアへと引かれていく糾弾者に、向き合う者はもう振り向くことはなかった。

「間違ってるかどうかは、処置が終わったら報告してくれたらいいよ。それができる知性があなたに残っていれば、ね」

 一瞥もせぬままに背中で応え、長く続いた呻き声の最後に、ドアが閉まる音がした。
 それでも、部屋に残った少女は、注意一つ引かれることもなかった。彼女がどうなろうと関係ない――そもそも、初めからいなかったのだとでもいうように。


 一番古く鮮烈な記憶は、目がくらむほどの電気ショックの衝撃だった。首筋に焼ける痛みを受け、遠のく意識の中、誰かの声が木霊していた。
『処置の用意を……佳……新しい被験者に……』
 抵抗の間もなく気を失ってから、もう何日経っただろう。
 日下部史佳を取り巻く環境は、理不尽に満ちていた。

「あっ……う、あうぅっ……!」

 繰り返す悪夢から逃げるように目覚めると、辺りは薄暗い保育室の中、檻のような柵付きベビーベッドの上だった。
 身長こそ低くても、史佳も一応17歳の高校生だ。切れ目がちの冷ややかな瞳にすっきりとした顔立ちは同世代より大人びてすらいる。見た目相応の落ち着きを備えた少女は、当然初めのうちは意図の見えない悪趣味に悪態も吐けたし、着せられた服装を馬鹿らしいと鼻で笑うこともできた。
 第一、どう見ても狂気にしか見えない環境を見れば、笑うしか他にない。
 部屋の丁度品も幼稚な服装も、手足も伸びきった一介の人間を、まるで赤ん坊に見立てたスケール感で統一されていた。
 上下がひとつなぎに縫い合わされたロンパースによだれかけ。転落防止用の柵は160cm以上はある巨大なベビーベッド。その錯誤しに見えた水色のおまるも、ドラッグストアのように棚一杯に並んだ紙オムツのパッケージまで、全てが史佳が自分を赤ん坊に戻ってしまったかのと錯覚させるためだけに作られていた。
 だから、本当は笑い飛ばせばいい――理性も知性も、必死に胸の内で叫ぶのに。
 強いられ続けた拉致生活の日々は史佳の心身に異常な変調を引き起こしていた。

「くっ……は、はやく、行かなきゃ……。ひっ、ひぃんっ……!」

 四方を囲む柵を力尽くで外し、ベビーベッドから床に降りたとき、史佳は小さな嬌声を上げてしまった。この数日、史佳は突然強烈な尿意に襲われ、その度に恥ずかしい粗相を繰り返してきたのだ。些細な変化にさえ麻痺したのか、身体は排泄の自由さえ失っていた。

(今日こそ、今日こそは、ぜったいに――。トイレで、するの……っ。オモラシなんか、絶対にしないっ、おまる、おまるがいいからっ!!)

 17才にもなって情けない言葉を胸の中で繰り返す屈辱も、本当の幼児みたいにおしっこも我慢出来ずにオモラシも我慢出来ない恥辱よりはマシだった。全てが自分のサイズに用意された狂気の保育室で、史佳は毎日おぞましい幼児扱いを受けてきた。例え抵抗しても、漏らした事実を嘲笑されるのだけは堪えられない。
 涙で滲む視界できっと睨みつけた先には、水色の大きなおまるが鎮座している。だが、いまの史佳にとってそれはたった数歩の距離さえ手の届かない玉座だった。

「っ……はあ、あぁ……っ」

 かわいいよりもキレイと呼ばれるのが誇りだったクールな表情も、今や見る影もなく歪んでいた。がくがくと内股になった膝も笑い、立っているのもやっとだ。
 限界水位まで尿意を溜め込んだ膀胱は、表面張力で保たれたコップの水面にも等しい。
 下腹に重くのし掛かる切迫感で、一歩踏み出せば息が切れ、肺呼吸の刺激さえいたずらに下腹を揺らしてゆく。
 久遠に続く苦悶に苛む地獄は、衰弱した史佳の心裏に白昼の悪夢を幻視させた。

『まるでオムツの取れない3歳児のみたいな繰り言なんて、情けない』
『その格好、恥ずかしくないの? 幼児どころか赤ん坊じゃない』
『ほら、お尻あげて。史佳ちゃんの大好きな、新しい紙オムツあててあげるから』

 『エプロン姿の保育士』は、ベビーベッドの上で涙と絶望で溺れた史佳の痴態を嗤い、『オムツ離れできなかったために、10年以上も留年している乳児園の落第生』であるかの如く扱ってきた。蘇る恥辱の記憶に、指先の神経まで凍ってゆく。怖気で背筋の震えも止まらない。奥歯さえ小刻みに鳴り出して、股ぐらもじわりと灼ける熱を帯び始めている。

(あ、赤ちゃんなんかじゃない……。こんな服、押しつけられただけなのに! 嫌だ……。オモラシなんかしないっ……オモラシしたらまた、わ、私、赤ちゃんにされちゃう……!)

 部屋の隅にある姿見には、よだれかけを首に巻き、ロンパースの腰をパンツ型紙オムツでもこもこにした大きな赤ん坊がいつも映っていた。『自分もいつか、本物の乳幼児に変えられてしまう』――理性で必死に否定しても、理不尽な恐怖心が史佳の心を侵してゆく。

(いや、だっ……そんなの、絶対に……)

 史佳がいやいやと頭をふった瞬間、すっと一滴、口元からて涎が零れていった。
 ただ、それだけのことで、頑なな心に再び呪詛が響き渡る。

『幼児どころか赤ん坊じゃない』

「あ……あ、あぁ、ああぁ……!」

 それを自ら認めた瞬間、堪え続けた史佳の堰は情けなく崩壊してしまった。

 ――じゅっ、じゅわわっ! じょっ、じょおおっ、しょおおぉぉ……!

「やっ……や、やだっ……! やだ、私、おしっこまだなのっ! いやああっ!!」

 誰もいない保育室の中で、史佳はおまるを目の前に、膝を着いて大声で泣き出していた。両手で股ぐりを握りつぶし、必死に押し止めようとした尿意は、指の隙間から零れる砂のように、無様な哀願を嘲笑いながらこぼれ落ちてゆく。

「おまるっ、おまるがいいのっ! やだ、いやだよお……! ひっ!? とまれっ、とまってよ……! オムツのあかちゃんになんか、なりたくないよぉ……!!」

 溺れるほどの涙に咽び、途切れ途切れに喘ぐ間も、我慢失禁は止め処なく溢れ続けた。紙オムツの吸収量を超え、ギャザーの中から溢れた湖は太股に幾つものせせらぎを産み、ロンパースをぐずぐずと汚した大洪水は足下にまで水浸しにしていく。眼前の大惨事に、史佳は呆然と立ち尽くしていた。何一つ出来なかった無力感に打ちひしがれ、縋り付いたはずの自尊心を自ら裏切る愚かさを呪い、感情の奔流に任せて大号泣の醜態を晒してゆく。

「なん、でぇ……おかし、いよ……ひぐっ……ないちゃダメ……、ダメだったらぁ……! ひぐっ、うえぇん……!! うああああああん……!!!!」

 日々、少しずつ得体の知れない何かを喪失する中で、史佳はまだ『自分が17才である』という記憶だけを残していた。だが、不幸にも少女としての自意識が、幼い自分を全否定する。
 赤ん坊にだけはなりたくない。叶わぬ願いにしがみついて泣きじゃくる史佳の姿は、自分が一番なりたくなかったであろう、赤ん坊そのものだった。


「ひぐっ、ぐずっ……うええっ、うあああん……っ」

 せめて一人で泣けたなら、みじめな気持ちにひたることもできただろうに。
 囚われの身の史佳には涙を隠す自由すらなかった。

「あらあら。史佳ちゃん、また勝手にベッドから降りて。どうしたのかなぁ」
「こ、こないでっ、もう、嫌なの……。早く私を、私の家に帰してよおっ……!」
「もう、おかしな史佳ちゃん。ここが、あなたのおうちじゃない」

 史佳がオムツを汚すたび、『エプロン姿の保育士』は必ず保育室にやってきた。史佳が涙を拭いながら解放を訴えても、保育士はただ頬に手を当て、呆れたように笑うだけだ。どんな言葉も赤子の戯言として流す態度に、史佳も語気を強めて尚も迫ってゆく。
 だが――。

「な、何バカなこと言ってるの!? 私の家は……私――わたしの――あれ……?」

 反論はすぐに勢いを失った。思い出そうとしても、自分の家が思い出せない。
 不自然な記憶の欠落に気づいてしまい、史佳の顔からも血の気が引いてゆく。

「あ、あれ……? ね、ねぇ……。私の家って……ど、どこだっけ……?」
「史佳ちゃんはずっとここにいていいんだよ? 史佳ちゃんのおうちだもの」
「ち、ちがうっ、ここじゃない!! ちがうのに……私の、家は……」

 不安に震える史佳をよそに保育士は史佳の着替えの用意を始めていた。保育士は棚に並ぶ紙オムツを一枚一枚抜き取ると、また史佳の元へ戻ってきた。

「大丈夫、お姉ちゃん怒らないから。史花ちゃん怖くてちーでちゃったんだよね」
「ちがう! ちがうからっ! 私は……ぐすっ、私の家はここじゃないの……。お、オモラシじゃなくてっ、私、おまっ……うう、おしっこしようとしたのにっ」

 年相応の抵抗もまだ赤ちゃんだからと笑われた。幼児扱いされるたびに冷静さも失い、ムキになってしまう。何より濡れて冷え切った紙オムツが、史佳の心を弱らせた。反論も次第に勢いをなくし、びくびくと卑屈に怯えた表情を隠すこともできなくなった。

「違わないでしょ? ほら、史佳ちゃんのオムツ、おしっこでたぷたぷだよ?」
「言わないでってば!? オムツなんて穿きたくないのに!! もう、やめてよ……ぐすっ、もう、やめてえ……。えぐっ、わたし、あかちゃん、やなのおっ……!」
「じゃあ、ちゃんとちーでたって教えてくれる? 史佳ちゃん、いっつもオモラシ教えてくれないんだから」
「だってそれは、おねえちゃんが……。おしっこのときにいないからぁ……っ」

 史佳が幼稚な非難をぶつけても、保育士の笑顔は一向に崩れはしなかった。無力感は依存心を肥大化させる。気持ちに引きずられた口調も甘ったるく、幼い響きに変わり果てた。

(私、人のせいにするなんて、赤ちゃんみたいなこと、言いたくないのに……。いつの間にか保育士のこと『おねえちゃん』なんて呼んで、甘えちゃってるの、恥ずかしい……!)

 感情の暴走に呑み込まれ、日に日に『オムツの似合う赤ん坊』に近づいてゆく。そんな自身の変化に顔を隠していやいやと首をふった史佳を、保育士は尚も追い詰めてきた。

「ほら、史佳ちゃんのお気に入りのオムツ選んできたよ? かわいいでしょ?」
「そ、そんなの……私穿かないからっ、オムツなんて穿かせてバカなのっ!?」
「ふふっ、おかしな史佳ちゃん。オモラシしちゃうからオムツなんでしょ?」

 保育士が見せた紙オムツのせいで、史佳の瞳にじわりと涙がにじむ。昔CMで見た覚えのあるデザインは、ハイハイを始めたばかりの乳幼児が穿いた、パンツ型紙オムツだった。
 史佳がいま穿かされていた紙オムツは、立ちあるき期の幼児のための紙オムツだ。それよりも一つ成長の階段を降ろされたような扱いが、史佳のプライドを否が応にも逆撫でる。

(あ、あんなの穿いたら、また赤ちゃんにされちゃう……! オムツなんか要らないのに、オムツに慣らされて……。これ以上オモラシはイヤなのに! オムツなんかやだっ!!)

 保育士の手の中で鈍い音を立てながら、濡れたロンパースの股ボタンが外されてゆく。緩慢な作業に抵抗を挟もうと史佳も腕に力を込めるも、彼女の腕に届く前に力なくベッドに墜落していった。

「うごかない……。お、おねえちゃんが……おねえちゃん、へんなことして……」
「私は何にもしてないよ? 赤ちゃんはまだお手々あそびも上手じゃないもんね」
「だから赤ちゃんじゃ……さ、触っちゃダメ! 汚いからっ、汚れちゃうから!」

 史佳の必死の抗議も虚しく暴かれ、オモラシに濡れた紙オムツは、保育士の手に拠って全て晒されてしまった。前から後ろにまで広がった全面吸収帯は隙間無く膨らんでいて、クロッチ部からフロントプリント部に到るまで『おしっこおしらせサイン』の青い絵柄を浮かび上がらせていた。保育士が膨らんだ紙オムツからの漏れを確かめるように、サイドギャザーに指をなぞらせた途端、史佳の足回りから幾つも雫がこぼれていった。おしっこを受け止めるはずの紙オムツでさえ漏らしてしまった尿量はぶじゅう……と間抜けな水音を立てながら、細い脚や無毛の肌に伝わって、オムツ替えシートまで汚してしまう。

(お、オムツの音……聞いたら、へんになっちゃう。やだ、いやだ……わたし、また、あかちゃんみたいにないちゃうっ……)

 保育室で起きた変化は、史佳の理解をとうに超えていた。『毎日17才でいられた頃の記憶』なら自制のできた言動も、日々保育士と過ごす中で少しずつ抑制を失い続けていた。
 せめて過去の記憶を頼りに元の自分を取り戻そうとしても、最近では記憶さえあやふやで、不安になる度にオムツを濡らし、保育士の幼児扱いを恥じてまた涙する――そんな、とりかえしのつかない負の螺旋を描き続けている。
 史佳はすっかり幼くなった口調で、意識だけでも、保育士に逆らい続けてきた。
 それでも、現実はあまりに残酷で。

「ふふっ、大丈夫だよ。赤ちゃんのちっちは汚くなんかないんだから」
「だから私は赤ちゃんじゃ――ひっ!?」

 穿いていた『オモラシオムツ』を保育士の手の平で僅かに押されただけで、史佳の心にまた臆病心が蘇ってしまった。保育士は潤んだ瞳から一粒涙をこぼした史佳をくすくす笑うと、史佳のオムツのサイドギャザーを破り、おしっこの失敗まで指摘してきた。

「やめて、おねがい……。オムツ、あかちゃんいやっ、やだって言ってるのに!!」
「ねぇ、史花ちゃん。赤ちゃんオムツにこんなにちっちしちゃったのは、誰?」
「そ、それはベビーベッドが重くて開かなくて……。それで間に合わなくてっ!」
「いっぱいオモラシできて気持ち良かったんだよね? オムツにちーって、ね」

 汚くないなんていいながら、保育士は人差し指と親指で、両サイドの破れた紙オムツを開いていった。すっかり幼児同然の無毛化された史佳の秘所の真下で、レモンイエローに染まる絨毯がそっと広げられていく。手際よく引き抜き、重たくなった紙オムツを畳む時も嬉しそうな保育士の顔のせいで、史佳の涙もまた尽きることなく溢れだし始めた。

「ちがうったらぁ……っ。やめてよ……もう、やだっ、おねえちゃあん……!」
「いつまでもちっちでぐしょぐしょのオムツでいるから泣いちゃうんだよ。史佳ちゃんも新しいオムツにお着替えしたら、おねえちゃんと一緒に遊ぼうねぇ」
「あそばない、どうせ私のこと赤ちゃん扱いするくせに!! やだっ、やああっ!」

 濡れたオムツを脱がされる度、史佳の表情は情けなく歪んだ。太股をオモラシ防止ギャザーに締め付けられる感覚と人の手を借りねば着替えもできない幼稚さに、堪えきれなかった嗚咽まで口からこぼれてゆく。記憶ばかりを失いながらも、プライドだけは捨てきれずにいた史佳に最後のトドメを刺したのは、保育士が差し出した新しい紙オムツだった。

「ね、ちっちでぐしょぐしょのオムツじゃ気持ち悪いでしょ? サラサラの新しいオムツの方がきもちいいよ? 史佳ちゃんも新しいオムツ大好きだもんね!」
「ちがっ、ひぐっ、ちがうぅ……ちがうったらぁ……」

 保育士は軽口を叩きながらおしっこ臭い史佳の下腹部を手際よく清拭すると、先程目の前で見せた紙オムツを、片方ずつ持ち上げた史佳の足に通していった。
 それはまるで、本物の赤ん坊にするような、やさしい手つきだったから。

「すきじゃないっ、ひっく、えぐっ……。オムツもやだっ、赤ちゃんもやなのぉ……。かえしてよ、おうちかえしてぇ……。うえええっ、うああああんっ……!」

 感情を爆発させた瞬間、穿かされたばかりの紙オムツの中が熱くなっていった。
 それでも史佳は、取り巻く運命に泣きじゃくる以外の手を持ってはいなかった。


 史佳が過ごした保育室生活は、終わりのない悪夢だった。昼夜を問わず一日中浅い眠りにまどろみ、目が覚めてもすぐに激しい尿意に襲われる。我慢もできずにオムツを濡らしてしまう。必死に逆らっても保育士からは逃げられず、ベビーベッドで濡れたオムツを替えられてしまう。

(……一体、どうしてこうなったんだろう)

 一日の内に、史佳が理性を取り戻すことができる時間は短い。赤ん坊扱いの恥辱に堪えきれずに大声で泣き喚いた後に訪れる、倦怠感混じりのカタルシスに浸る間だけは、年相応の思考を取り戻すことができた。
 だが、それも刹那に過ぎない。オモラシの数と量が増えるのに比例して、史佳は自分の中で『何か』が変化していると感じていた。

(覚えておかないと。これ以上忘れないために。私が私でありつづけるために)

 例え人形のように着せ替えられても心までは奪わせない。決意を胸に秘めて虚空を見つめた史佳の姿は、皮肉にもか弱い理想に縋るばかりの、滑稽な夢想家でしかなかった。
 『最近史佳ちゃんのちっちも増えたから、オムツの中にオネショパッドも当てようね』――涙に溺れた時の史佳に、返事なんてできやしない。保育士は元より答えを聞きもせずに世話を焼くから結局されるがままになる。

(感情失禁……だっけ。こういうの、どこかで教えて貰った覚えが……)

 残り少ない過去を手探りで手繰りながら、史佳は口元に当てられたおしゃぶりをちゅう、と吸った。2枚も当てられたオネショパッドのせいで両脚も閉じられず、ずっとがに股に開きっぱなしになっている。腰がもこもこになったロンパースの中は、身悶える度にお尻が紙オムツがこすれ、サイドギャザーに足まわりを柔らかくくすぐられてしまう。
 
(オムツ……やわくて、あったかい……)

 あたまが、ぼーっとしてきた。
 ふわふわで、おめめもだんだんねむたくなった。
 そして、ゆっくりゆっくり、あかちゃんに――
 
(オムツ……きもちいい――っ!?)

 ――なってしまう、その寸前に。
 史佳は、真っ青な顔でベッドから飛び起きた。

(違うっ、赤ちゃんじゃない……! 違う、ちがうっ!! 気持ちよくないっ、キモチ悪いだけなの! こんな、赤ちゃん用のオムツなんか……!)

 そして、ほんの一瞬、オムツの柔らかさに浸ってしまった時に限って。
 最悪はいつも、獲物が弱った時に訪れた。

「史佳ちゃん、いっぱい泣いて喉も渇いたでしょ? 『お姉ちゃん』が史佳ちゃんの哺乳瓶、持ってきてあげたよぉ」 

 扉をあけてやってきたのは、今一番見たくない相手。保育士は朗らかな笑顔を浮かべながら、ミルクの入ったほ乳瓶を手に、史佳の元に近づいてきた。
 おかしな妄想にとりつかれたのも、自分を赤ん坊にした張本人のせいだ。その上『おねえちゃん』だなんて、狂っている。

「誰が、『おねえちゃん』なんて――っ!」

 狂った論理は一つとして受け入れられはしない。だから史佳も、怒りを込めて抗議の罵声を上げた――つもりなのに。
 叫びは、突然とぎれてしまった。
 得体の知れない違和感が、史佳の叫びを押し留めてゆく。

(あれ? 『おねえちゃん』……? わたし……この人のこと、覚えてるの?)

 忘れたはずの記憶の中に、覚えのない懐かしさを感じてしまう。
 見覚えのないはずの保育士が、どこからどう見ても『おねえちゃん』にしか見えなくなってくる。

「違う、ちがうの、『おねえちゃん』は『おねえちゃん』じゃなくて、その……」

 どこまで考えても答えのでない戸惑いは、蟻地獄のように史佳を不安の淵に追い詰めてゆく。
 あわあわと開いた口の端から、涎が一筋、首元のよだれかけに墜ちていった。

「大丈夫だよ、史佳ちゃん。『おねえちゃん』がちゃんと着いてるからね」

 『お姉ちゃん』がやさしい手つきで、史佳の口元を拭いてくれたから。

「う、うん……」

 史佳も、流されるままに頷いてしまった。
 にっこりと笑っていた『おねえちゃん』の瞳に、暗い輝きが宿っている事にも気づいていたのに――。

 ***

「イヤあっ!! 『おねえちゃん』っ、ふみのこと、あかちゃんにしちゃやだぁ!」

 ああ、まただ――頭ではそう気づいてる。
 史佳が気づいた振りをしてみても、溢れた恐怖は止められなかった。

「もう、おかしな史佳ちゃん。いつも『おねえちゃん』言ってるでしょ? ちゅぱちゅぱ飲まないと、おっきくなれないよ、って」
「ちがうのっ、それはあかちゃんの! ミルクいらない、あかちゃんやなのっ!!」

 悪魔はいつも、やさしい顔で現れる。笑顔の『おねえちゃん』が史佳に持ってきたモノは、いつも史佳を泣かせてきた。

(ちがう! 『おねえちゃん』は『おねえちゃん』じゃない! わたしに、おねえちゃんなんかいない――やだ、なんで、こわいの、またこわいのきちゃう……。『おねえちゃん』がいないなんて……わたし……そんなのやだ、いやなのにっ!)

 紙オムツや涎掛け、ロンパースやほ乳瓶――赤ちゃんのお世話のための道具を見る度に、史佳は何度も逆らっている。わたしは、おおきなおねえちゃんなんだ――だが、意地を張った結果、何度も敗北を重ねてきた。
 『おねえちゃん』に『史佳ちゃんはまだ赤ちゃんなんだよ』と言われる度、口癖みたく『ちがう』と叫んで繰り返しても、結局はされるがままの、赤ちゃん扱いは続いていく。

「『おねえちゃん』言ってるでしょ? 『ムリして保育園行かなくてもいいの。オムツのふみちゃんが恥ずかしいってからかう方が悪いんだから。イジワルな子にいじめられるくらいならおねえちゃんがちゃんと史佳ちゃんを赤ちゃん保育するから』、大丈夫だよ」
「そんなのちがうっ! ほいくえんなんか、いかない……ち、違うっ、行ってないのに……なんで、なんでそんなこというの!?」

 『おねえちゃん』はいつも史佳のことをだっこして、よしよしと背中をさすって慰めてくれた。だけど、何か絶対にちがっている。それなのに、史佳が『おねえちゃん』に逆らうことなんてできるはずもなかった。

「……ごめんね。史佳ちゃんも怖かったんだよね。『赤ちゃんがオムツしててもおかしくないのに、みんな史佳ちゃんのこといじめるからいけないの。だから、史佳ちゃんはおねえちゃんがちゃんと守ってあげなきゃね』」
「そ、そんなのっ……うそなの……。ぐずっ……。いじめられてなんか、ないぃ」
「うんうん、『史佳ちゃんも恥ずかしかったんだよね。でも大丈夫、お姉ちゃん全部知ってるんだから』」
「えぐっ……そんなのっ、ないぃ……!」

 おねえちゃんに恥ずかしいことをいわれるだけで、史佳は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに汚し、紙オムツを何度も濡らしてしまっていた。怖いのに、悲しいのに、それでもどこにも逃げられないことにまた涙があふれ、ロンパースの中で重たく沈んでいた紙オムツの中まで、またじわりと暖かくなってしまう。
 抱きしめられた胸元に顔を埋め、タオルのようにごしごしと顔を拭いた史佳を、おねえちゃんは怒ることもなく、やさしく迎え入れてくれた。

「泣き疲れたらお腹すいたでしょ? ちゅぱちゅぱのんで、またねんねしちゃお」
「えぐっ……、うん……んちゅっ……」

 瞳を真っ赤にするほど泣きはらした後なら、史佳も酷く嫌がったはずのほ乳瓶だって自然と口に含むことができた。
 口の中に広がった甘ったるい雫が、混乱してた頭の奥にまで染み渡っていく。体の芯から暖かくなるような優しい感覚に包まれて、史佳の気持ちまで穏やかになってしまった。

「ほら、ちゅぱちゅぱの間にちーでたでしょ? おねえちゃん、新しいオムツ当てて上げようか?」
「うん、おねえちゃん……。おむちゅ、あてて……」

 泣き叫ぶほど嫌がったオムツ替えさえ、今なら自然におねだりできる――自らに起きた変化に満足するように、史佳はベッドの上に寝かされると、嬉しそうに目を細めながら、オムツ替えしやすいように脚を大きく開いてみせた。

「あらあら、史佳ちゃん、そんなにおむちゅ当てて欲しいんだ?」
「うん……もう、ちっちいっぱいなの……」

 おねえちゃんに笑われても、史佳はにへらとだらしなく笑い返すだけだった。
 赤ん坊なんて嫌だ――そう主張する度に地獄を見たはずなのに。
 赤ん坊らしくする――そう振る舞えば、楽になれる。
 そんなの間違っている――後で、いくら気づいた振りをしてみても。

「ほら、新しいオムツ、気持ちいいねえ」
(オムツ……きもちいい……)

 ふやけて緩んだ思考の波は、ただ感じるだけの緩慢な刺激に打ち消されていく。
 後に残ったものは、ぼんやりと親指を吸いながらサークルメリーを見つめた、ロンパースに紙オムツ姿の似合う、17歳の赤ん坊と化した史佳だけだった。


 抵抗と挫折の日々の連続は、史佳の自我を意識の外からゆっくりと侵食し続けていた。
 意識と行動の明らかな乖離が始まったのは、夜中に一人、オネショで濡れた紙オムツに気づいて目が覚めるようになった頃からだ。

(どんなに、人をモノ扱いしたって……私が望まない限り、私は私……だから。赤ん坊にされたって、心まで受け渡しはしない……)

 恥辱の仕打ちを何度も受けた保育室も、真夜中は静かな孤独に心穏やかでいられる。
 決して赤ん坊になんてならないと自分の世界に浸っている最中も、史佳は無自覚の内にちゅぱちゅぱと親指を吸い続けていた。
 不安に襲われるたびに思考も感情も幼児退行を起こしてしまうなら『落ち着ける行動を続ける限り』、自分を見失うことはない。
 おかげで、史佳もちょっとのオネショくらいではおねえちゃんを呼ばずに済むようになった。それどころか――

(あっ……お、おしっこ、出そう……お、オモラシしたらまた泣いちゃうから、ちゃんと『オムツにちっち』しなきゃ……)

 『我慢できずにしちゃったオモラシは赤ちゃんがするもの』だけど、『自分でちゃんとオムツにちっちするのはオモラシじゃない』。
 いつの間にか史佳の中で矛盾なく成立した二つの認識は、昼も夜も一時間も経たぬ内に感じてしまった尿意の衝動に対する抵抗の意志さえ麻痺させていた。

「ふ、うぅ……ち、ちぃ、でるぅ……。わたし、ちゃんと『ひとりでちっち』、出来るんだからっ……ふぁ、あん、うあぁっ……」

 ――しゅいいぃ……。しょわあぁぁ……!

「あむぅ……ちゅっ、ちゅむっ、んちゅ、んっ、んくっ……」

 史佳は夜の寒さにぶるりと背筋を震わせながら、恥ずかしい『赤ちゃんオモラシ』を回避するために、こみ上げた下腹の疼きを、濡れたオムツの中に解き放ってゆく。
 冷たかったはずのオムツの中が、再び暖かくなってゆく。その心地よさに思わず頬もだらしなく緩み、口に含んだ親指しゃぶりにも夢中になってしまう。
 今の史佳の密かな自慢は、寝ながらのオモラシにも動じなくなったことだ。おねえちゃんにもほめられたくらいだから、この不安もやがて消える。そう信じられた。

(オムツだって、パンツになればきっと……オモラシなんか、しないもん……)

 千里の道も一歩から。スモールステップを重ねれば、きっと『ぱんつのおねえちゃん』にだって近づける。
 オモラシに泣きじゃくる日々よりも、自分でちゃんと『オムツにちっち』できたほうが『いいこ』に決まってるだろう。
 きっと明日になればおねえちゃんも史佳のことをほめてくれるはずだ。取らぬ狸の皮算用でも、それを想像するだけで、また史佳の顔が笑顔になった。

(だから、ふみちゃんも……おねえちゃん……なるの)

 たとえ、オモラシでオムツを濡らしても、おまるに座るのがこわくておねえちゃんに泣きついても。

(ふみね、おねえちゃんぱんつだから……)

 理想の自分を夢想するだけで、おめめもとろんと蕩けてゆく。親指を吸う唇の力もふにゃふにゃにゆるみ、よだれがとろりと頬を伝い、お布団にまで垂れてしまう。

(おまるでだって、ちぃ、できるもん……)

 そうしておねえちゃんが絵本で教えてくれた『ぱんつのおねえちゃん』に自分もなれると信じて、史佳は再び夢の世界に沈んでいった。
 手段と目的の転倒の末路が、何を引き起こすのかも考えずに――

 ***

 おねえちゃんはいつも史佳にイジワルばかりを繰り返す。今日だって、史佳が恥ずかしいの知ってるクセに、『できるかな?』なんて言ってきたのだ。
 ベビーベッドから降ろされて床にぺたんとしりもちをついた史佳の前で、おねえちゃんは見せつけるように新しいオムツの袋を開いていった。

「史佳ちゃんが『ぱんつのおねえちゃん』なら、一人でお着替えくらい簡単だよね?」

「う、うん……で、できる、もん……で、でもっ……おねえ、ちゃん、あのね……」

 できない、なんて言ったら。自分があかちゃんだって言ってるようなものだ。
 ちがう。史佳は17さいのおねえちゃんで、ちゃんとひとりでお着替えだってできる。
 だけど、それはぱんつのおねえちゃんだから、おねえちゃんが袋から出したオムツなんて穿いちゃダメなんだ。
 でも、濡れたオムツが気持ち悪いから、本当はおねえちゃんに綺麗にしてほしい。したら赤ちゃんになる。ダメだって、わかってる。なのに……。

「おねえちゃんがちゃんと見ていてあげるから、どれでも好きなの穿いていいよ?」

「や……ぱんつが、いいの……そ、それ、おむちゅ……」

「あら、これだってぱんつなんだよ? 史佳ちゃんがおトイレの練習するために穿く、『おねえちゃんパンツ』。オムツの史佳ちゃんにはまだ早かったかなぁ」

「や、やあっ……。は、はやくないっ、史佳、ぱんつだもんっ……」

 うそだ、ほんとはそういいたいのに、おねえちゃんのいじわるで史佳も思わずオムツでオモラシしちゃった時みたいにイヤな気持ちになってしまった。
 おねえちゃんが袋から一枚一枚オムツを並べて、史佳に見せるようにならべるのがいけないのに。
 史佳もにこにこ笑うおねえちゃんは好きだけど、赤ちゃんオムツなんて見せられたら、濡れたオムツのこと思い出すにきまっている。
 やだ。いやだ。こわいのやだ。急いでおやゆびをちゅっちゅして、史佳は心を落ち着かせようとした。

「ふふっ、大丈夫、史佳ちゃんならできるよ。ほら、どーれーにーしーよーうーかーなっ?」

「えと……えっとね、そっちじゃなくて、そっちでもなくて……」

 おねえちゃんはそう言って、史佳のオムツの前で指を動かしてオムツを選んでゆく。
 おねえちゃんの手遊びうたは、史佳を夢中にさせるお遊びの一つだったから、史佳もついつい食い入るように見てしまう。

「はぁい、ちょうちょさんのオムツにけってーい。史佳ちゃんもだいしゅきだもんねぇ、ちょうちょさんおむちゅ」

「うん……しゅきだよっ……えへへ……」

 おねえちゃんが前に『ちょうちょさん穿いてるとホンモノのおねえちゃんみたい』って言ってくれたから、蝶々のオムツは史佳のお気に入りだ。
 大好きなオムツを選んでもらってにこにこのお顔になれたから、おしゃぶりもやっとお口から出すことができた。
 いっぱい吸いついたせいで指もお口の周りもよだれでベタベタだ。

「ふふっ、史佳ちゃん、先にお口拭いちゃおうかっ。一緒に濡れたオムツも外してあげるから、お着替えは史佳ちゃんのお仕事ね」

「うん……おきがえ、しゅるぅ……」

 おねえちゃんはいつもはイジワルだけど、史佳が自分で頑張ろうとしてる時は優しい。
 お口も首にかけたスタイで拭いてくれたし(史佳の好きなちょうちょのアップリケ付きだ)、ちっちでいっぱいのオムツだって、ごろんってしたら外してくれた。
 はだかんぼのお尻は冷たくて、またすぐにちっちが出ちゃいそうになる。『オモラシは赤ちゃんだから、オムツにちっちしなきゃダメ』だと史佳だってちゃんと知っている。

(だって、おねえちゃんだもん……あ、当たり前――だよ……ね?)

 胸の内に問いかけても、答えなんて帰ってこなかった。ほんの少しの違和感が、史佳の動きを止めたけれど。

「ほら、おねえちゃん。お着替え頑張ろうか!」

「う、うんっ……!」

 いまは、お着替えの時間だ。意識を切り替えて、史佳は目の前の課題に集中することに決めた。
 もともと集中力は悪くない方だ。研究の時も、誰よりもはやく着手して――

(……あれ? 私――なんだっけ?)

 離人感。今ここにいるのに、実感のまるで感じられない虚ろな時間。
 なのに、かけていた目録が蘇り、忘れていた記憶を手繰り寄せられそうな気さえしてくる。
 何かが足りない。何かが何かわからない。史佳は部屋の中をきょろきょろと見渡して、あてもなく手がかりを探しそうとして――

「ふみちゃん、はやくしないとオムツのあかちゃんにもどしちゃうよ!」

「っ! は、はやくするっ、はやくできるからっ⁉︎」

 ――いけない。また、気が散っていたことに気づく。いまは、お着替えの時間だった。
 史佳は急いでちょうちょの紙オムツをぎゅっとつかんだ。かわいいオムツにうれしくなるけど、いまははやくおきがえしなきゃ、またおねえちゃんにめってされちゃうからだ。
 しりもちついたままのあんよをオムツに通すために、一度ねんねで保育室の床にごろんって寝っ転がる。おねえちゃんが上からにこにこ見守ってくれてるのを眺めながら、あんよの片方を、ちょうちょのオムツに通していった。

「史佳ちゃん、じょうずだねぇ! じゃあ、つぎはもう片方のあんよ、通してみようか!」

「う、うんっ……や、やってみる……」

 片方がいけたなら、もう片方だってできるはず。だいじょうぶ、わたしはぱんつのおねえちゃんなんだから――そう、自分で言い聞かせながら、史佳はもう片方のあんよをあげようとした。
 した、つもりだったのに。

「ぷっ……あははっ、史佳ちゃん、もうオムツ穿いてるあんよはあげなくていいんだよ?」

「し、しってるのっ……おねえちゃんだから、おてつだいいらないの!」

「そう、じゃあがんばって『ちょうちょのパンツオムツ』穿こうねえ……くくっ、んふふっ……」

 まただ。また、おねえちゃんがイジワルっぽく笑いはじめた。イジワルなときのおねえちゃんは、いつも史佳のことをカメラで撮りながら眺めてきた。
 史佳はお顔を真っ赤にしながらオムツにあんよを通そうとしてるのに、あんよのところにオムツがなかったり、あんよのあるところにあんよを入れたり間違えてしまう。
 実験に失敗はつきものだ。仮説通りにいかないならまた仮説の立て直しから始めなければ――

(ま、まただ……また、いやな気分になっちゃう……や、いまちゅっちゅできないのに……こわいよ、こわいのやだっ、ちっちでちゃうのにっ!)

 がんばって『パンツのおねえちゃん』になろうとするたびに、きまって変な気分が史佳のことを怖がらせてきた。一度こわいと感じると、史佳ももう一人じゃ何にもできなくなる。

「もう、ずっとはだかんぼのまんまじゃ床にオモラシしちゃうでしょ? やっぱり史佳ちゃんには、パンツオムツは早かったかぁ」

「そ、それって……やっ、やだっ、史佳これ穿く! ちょうちょのオムツがいいの! だからおねがいっ、おねえちゃん、行っちゃやだぁっ!」

 ずっと史佳のことを見守ってくれてたおねえちゃんも、我慢できずにお部屋に立ってたオムツ入れの棚に移ってしまった。
 史佳がイヤだというのも聞かずに、棚から新しいオムツを取り出して、史佳の所へと戻ってくる。
 せっかく開けたパンツオムツも全部片付けられ、史佳の穿きかけだったちょうちょオムツさえ取ってしまった。

「やあぁっ……おむちゅ、おむちゅいやあっ……。史佳のおむちゅっ、おむちゅなのっ……!」

「大丈夫でちゅよお、史佳ちゃんのオムツは、おねえちゃんが全部穿かせてあげまちゅからねぇ……」

「だ、だってそれっ――おねえちゃんのじゃない……あかちゃんの、赤ちゃんのおむちゅなのにぃっ……」

 引きつけを起こすようにしゃっくりを起こしながらグズる史佳のお話なんか、おねえちゃんはまるで聞いてはくれない。
 オムツを奪われ、はだかのお尻をぶるりと小さく震わせた史佳の両脚を片手で握ると、床から高々と持ち上げていった。

「やっ、いやあっ……」

「そんなこと言ってる内にまたオモラシでちゃうよ? ほら、オモラシしちゃう子はもっと赤ちゃんでちゅよぉ?」

「やっ、オモラシやあぁっ……! ふ、史佳、ちっちできるもんっ! おねえちゃんだから、おむちゅにちっち! ちっちするのぉっ‼︎」

 おねえちゃんがこわいことばかりいうから、史佳は目をぎゅっと閉じたまま、またおやゆびにちゅうちゅう吸いつかずにはいられなかった。
 史佳が大人しくしていたその間に、おねえちゃんはかさかさと床の上に新しいオムツを開いていく。
 何をしているのかは史佳も、音だけでわかった。

(あ、赤ちゃんにされちゃう……。史佳、ま、また、赤ちゃんオムツにされちゃう……!)

 恐怖で震えたお尻が、おねえちゃんの手によってゆっくりと降ろされてゆく。肌に触れたのは柔らかいギャザーと、おしっこ吸収帯のもこもこの感触。
 内股ではさめば、ぎゅっとおしっこの穴までもこもこの蓋で密着感に包まれる。前当てを重ねられ、両サイドのテープを貼り付ける乾いた音は、史佳の自尊心まで逆撫でていった。

「はぁい、できましたぁ。やっぱり、史佳ちゃんにはパンツオムツのおねえちゃんより、テープオムツの赤ちゃんの方がお似合いだよねぇ。うふふ……」

 おねえちゃんは史佳のオムツを替え終わると、史佳を鏡の前で、オムツが見えるように抱っこした。
 太股を開かれた恥ずかしいオムツ替えポーズを見せられると、史佳もべそをかいてしまう。

「いやあ……あかちゃんおむちゅ、やだぁ……おねえちゃんがいいもん! 史佳、おねえちゃんなのに……」

「だって、お着替えできなかったのは史佳ちゃんでしょ? お着替えできないのはあかちゃんなんだから、あかちゃんのオムツでいいんだよぉ」

「できるの、いつもできてたのに……!」

 鏡に映っていたのは、トイレのおねえちゃんに憧れるパンツオムツの女の子じゃなくて、一人じゃお着替えもできない、テープオムツの赤ちゃんの姿だった。
 さっきまできれいなちょうちょさんのオムツパンツだったのに、かわいいうさぎさんの『赤ちゃん』紙オムツなんて穿いたら、きっと赤ちゃんみたいになってしまう。

(赤ちゃんみたいに、ちっち、わかんなくなっちゃうんだ……。ちぃって、おねえちゃんにいえないと……史佳のおむちゅ、かってにぬれちゃうんだ……)

 いっぱいおやゆびちゅっちゅしても、かなしいきもちはとまらなかった。自分がどんどんちっちゃな赤ちゃんに戻っていくと思うと、涙が勝手に溢れてくる。

「あら、ふみちゃん。カワイイ赤ちゃんオムツ穿かせて貰えて、泣くほど嬉しかったの?」

「な、泣いてない……赤ちゃんオムツでも、な、泣かないもん……」

 ――がまんできたら、いつかおねえちゃんになれる。
 そう信じて、史佳は頬に流れた涙を拭うと、きっと口を一文字に結んだ。
 大丈夫、感情が昂るのはほんの一瞬。その数秒を堪えたら乗り越えられる。
 幼稚な感情と理性の入り混じる混沌の中で、今一度の恥辱を甘受しようと、心を決めた。

 それなのに、おねえちゃんは。

「そう? おねえちゃん、てっきりふみちゃんがオムツにちーしちゃったから、泣きべそかいてるんだと思ったよ?」

「だ、大丈夫だから……私は、ちゃんとトイレにだって――」

 新しいオムツを感触を確かめるように、当てたばかりの紙オムツを撫ではじめた。執拗な手つきは、オムツを替えた後のいつもの儀式だ。
 抱きしめたその表情は慈愛を装っていても、その指先には『赤ん坊の自分』を拒絶する史佳に拭い去れない幼稚性を教え込む、嗜虐の仕打ちが表れている。
 育ちきった脚にはタイトなばかりの紙オムツの乾いた感触に触れるのももう何度目だろう。それも堪えれば済むことだ。史佳もそう信じて、反射的に全身を萎縮させたのに。

 ――ぐじゅっ。

(……え?)

 聞き慣れた音があった。触れ慣れた怖気があった。源は、おねえちゃんの掌の中。ぐっしょりと濡れた、紙オムツが教えてくれた。

(なんで、なんで、なんでっ……? さっき、替えたばかりなのに、なんでっ!?)

 また、おめめがぐずぐずになっていく。おかおもあつくて、ぐしょぐしょのオムツがきもちわるい。
 史佳は、おねーちゃんなのに、あかちゃんオムツなんて、はいちゃいけないのに。

「あらぁ……ふみちゃん。これは、何の音かなあ?」

 おねえちゃんがそうやってうれしそうに笑うから。

「ごめん、なしゃいっ……ふええっ、ふ、ふみちゃ、ちー、わかんないの……! あかちゃんやなのに……ちっち、わかんなくて、ごめんなしゃいぃ……! うああああん……!」

 史佳は、おねえちゃんにだっこされたまま、おおごえで、ないてしまった。
 テープオムツのぱっけーじにうつる、ちっちゃなあかちゃんみたいに。

 ***

 一線など、越えてしまえば小さな矜持などたちどころに押し流されてしまう。
 津波のような日々の変化は、史佳の能力さえ、奪い去っていった。
 例えば、密かに誇っていた学習能力。

「ふみちゃん、お部屋にあった絵本が気になったの? ひらがな読めるんだ! すごーい、おねえちゃんだねぇ」

(バカにして……どこまで私を、赤ん坊扱いするつもりなんだろ)

 おねえちゃんから最初に絵本を差し出されたときには、中身の幼稚さよりも明け透けな演技に辟易したものだが、今はちがう。

「ほら、ふみちゃん。次はなんて読むのかな? おねえちゃんといっしょに読んでみようか?」

「よ、よめるから……さきにいっちゃだめなの! え、えと……ち、ちの次は……ま……ま、だっけ……?」

 ある日突然、史佳はひらがなの順番がわからなくなってしまった。
 数日間の悪戦苦闘の内に、読み方もまた櫛の歯が抜け落ちるように、頭の中から消えてしまった。
 失ったのは識字能力ばかりではない。数字を読むちからも、例外ではなかった。

「ほら、指を使ってかぞえるの。おねえちゃんといっしょにやってみようか、いちのつぎはに、にのつぎはさん……」

「やめてよ、バカにするのは!? わ、わかるもん……うさぎしゃん、い、いっぱいだってわかるのっ、わかってるもんっ‼︎」

「そう? じゃあ史佳ちゃんが今日つかったオムツの数は?」

「やだ……おむちゅの話、しちゃやだよお……!」

 おねえちゃんが見せてくれたかずあそびの絵本も、史佳にはもう『いっぱい』しかわからなかった。
 それがどんなに『あかちゃん』なことか、プライドだけは残っていても、その自尊心に能力がおいつくどころか、日をまたぐ毎に差が開いてしまうのだ。
 できない、わからない、とどかない――そうして教え込まれた無力感は、人を果てなく堕落させてしまう。

「ふみちゃん、おねえちゃんになる練習、しなくていいの? ほら、絵本も持ってきたし、ちっちの練習のDVDもあるよ?」

「いいもん……ふみちゃ、おねえちゃんだもん……。お、おねえちゃんだから、れ、れんしゅう……ないない、するの……」

「はいはい、わかったわかった。じゃあおねえちゃん、おむちゅのチェック、させてくれるよね。替えてる間、おゆびちゅぱちゅぱしてていいから」

「う、うぅっ……! おねえちゃんの、せいだもん……史佳、ちゅぱちゅぱするの、おねえちゃんがさせたんだもん……!」

 そうして、オムツのちっちも教えられなくなった大きな赤ん坊が身につけたのは、親指をしゃぶる癖と、駄々をこねるようにおねえちゃんに甘える癖だけだった。

 ***

「あ……う、うそだっ……こ、こんなの、私じゃないっ⁉︎ ちがうっ、ちがうったら、なんで、私は……!」

 赤ん坊になんてならない――史佳が決意した夜から、およそ2ヶ月後。

「うふふっ、おかしなふみちゃん。このお部屋にはふみちゃんしかいないんだよ?」

「だってっ、こ、こんなのっ……自分から、進んでなんて……いやだ……やだよおおっ……!」

 久々に理性が戻った時、史佳はベビーチェアの上に置かれたタブレットで、自分の映る動画を見せられていた。
 この2ヶ月、何が起きたのか。無自覚の内に、自分が何をしてしまっていたのか。

『ふみちゃん、ほら待って! ハイハイしてちゃおむちゅ変えられないでしょ!』

『やだぁ、ふみちゃ、もっとあしょぶのぉ! おむちゅちーないないだもん!』

『うそだあ、オムツにちっちのサイン、出ちゃってるよ!』

 一見、微笑ましい母と子のやり取りも、すぐに狂気の沙汰だと思い知らされた。
 画面の向こうでは口元をミルクまみれにしたピッグテールの髪型の自分自身は、赤ん坊染みた言動を繰り返し、オムツ替えよりも知育玩具で遊ぶのに夢中になっていた。
 もう何度も漏らしたのだろう、すっかり黄色く重たくなった紙オムツのお尻をカメラに向けて、笑いながらハイハイで逃げ回っている。
 その内に、おねえちゃんの手がオムツで膨らんだお尻を捕まえた。

『捕まえたっ! ふみちゃん、ちっちのおむちゅ、おねえちゃんが替えちゃうからねぇ』

『んーっ、つかまってないのー。まだあそぶのー……』

 幼児みたいに甲高い声で無邪気に笑う史佳のお尻も、ハイハイの体勢のまま、おねえちゃんの手によって丸裸にされていく。
 史佳は、その次の展開を覚えていた。

「いや……やめてっ、そんなことしないでっ! おねがいっ、おねがいしますぅっ、だからぁっ‼︎」

『ふみちゃ、おねえちゃんだもんっ、おねえちゃんパンツしかはかないのー!』

 ここにいる史佳が涙ながらに懇願しても、画面の向こうの大きな赤ん坊には届かない。
 写っていたのは、まるで幼児用紙オムツのCMのワンシーンのようなおねえちゃんによるオムツ替えの瞬間だった。
 『あかちゃんのふみちゃん』は甲高い声でけらけらと笑いながら、おねえちゃんの手から必死に逃げようとハイハイを続けていたのに――

『はいはい、おねえちゃんのふみちゃんにはちゃんと、おねえちゃんみたいなパンツオムツ穿かせてあげるから』

『おねえちゃんっ、ふみ、オムツもパンツのおねえちゃんなんだあ……』

 おねえちゃんは両手に通したパンツタイプの紙オムツを、四つんばいの史佳のあんよに、するすると通していく。
 お腹の上まですっぽりと通されたあと、ごろんと仰向けにされたふみちゃんは、おねえちゃん気分のパンツオムツが気に入ったのか、穏やかな笑みを浮かべながら親指をちゅうちゅう吸い始めた。
 もはや、自分が赤ん坊であることを疑いもしていない。17歳の大きな赤ん坊は、おねえちゃんの胸に抱かれながら、オムツにまた新しいオモラシを広げていく――そんな倒錯した姿が、自分自身だと認められなかったから。

「おねがいしますぅ……もう、もどしてぇ……こんなの、しぬ、死んだほうがマシっ、だからぁぁ……‼︎」

「どうして? 史佳ちゃん。あんなに穿きたがってた『おねえちゃんみたいなパンツオムツ』なのに。ほら、あんなに喜んで……」

「イヤ……いやああああっ‼︎‼︎」

 二人きりの保育室に、現実を拒絶するように叫んだ、史佳の哀願が響く。
 画面のの向こうにいた自分は、そんな未来が来ることなどかんがえてもいなかっただろう。

『おねえちゃんだもんっ、ふみちゃ、おねえちゃんぱんつだよ!』

 口元からよだれを垂らしながら、おねえちゃんオムツを誇るように見せびらかす17歳児。
 大きな赤ん坊は、穿いたばかりの紙オムツを濡らしながら、無垢な微笑を浮かべていた。



 このままではいつか、心まで変えられてしまう。
 甘い夢想で心を守ろうとした史佳の決意は、結局は現実から目をそらすだけの逃避行動に過ぎなかった。
 実際は破綻の道を徒に進み続けている。故に、絶望は甘さを捨てる転機となった。

(戻らなきゃ……絶対、もどらなきゃダメ! このままじゃ……なっちゃう。あ、あかちゃんイヤ……嫌だっ、ふみは……私は……)

 数時間だけ冴える頭で考えた方略は二つ。

「ふみちゃん、またちー出たの? もう、これじゃおむちゅ足りなくなっちゃうよお」

「ご、ごめ、なしゃいっ……ふ、ふみちゃの、おもらち、おむちゅ……かえてぇ……」

 一つは徹底的に『お姉ちゃん』に甘えて、彼女に従順な赤ん坊として信頼されること。

「ふみちゃん、お外は気持ちいいでしょ? ふふっ、オムツのお尻ではいはいしようか」

「う、うんっ! ふみちゃ、おむちゅのハイハイ、すきだよっ……う、うぅっ……」

 もう一つは、史佳がいまいる世界の把握。ベビーカーでの外出の度、史佳は『お姉ちゃん』の目を盗み、周囲の環境を記憶することに努めた。
 必要なのは死角となる空間の把握。まだ史佳が夢に浸っていた頃に『お姉ちゃん』が部屋の鍵を閉め忘れた事があったのだ。
 その遇機、今度こそ無駄にしてはならない。

(もう少し、もうすこしで……おそとに!)

 笑裏蔵刀の思惑を研ぎながら、必ずくるであろう機会を待つ内も、史佳の幼児化は刻一刻と進行を続けている。
 気づけないまま、時は無情に過ぎていった。

 ***

 ――ちょろっ、じゅうぅっ、しょわあああぁ……。

「んっ……はぁ、はふぅ…………」

 意識が戻ってからもう何日目になるだろう。たっぷりのオネショで目覚めた朝、史佳は濡れたオムツに朝一のおしっこを放っていた。
 尿意を感じたと同時にオムツの中が暖かくなるのも、すっかり慣れてしまっている。おしっこのアンモニア臭さと毎日飲まされた粉ミルクの甘ったるい香りも、体に染み付いてもう違和感さえ覚えない。

(ちっち……また、出ちゃった……あしたこそ、あしたこそちー、ないないするの……)

 自分が17歳だという認識だけは、何故だかずっと覚えていた。なのに、頭の中でつぶやく言葉は、すっかり幼児語と化している。
 記憶を失い能力を忘れる度に、史佳を監禁した異様な部屋は『史佳のほいくしつ』に変わり、謎の保育士は『おねえちゃん』に、そして自分は、『大きな赤ちゃん』に。

(あれ……そのまえって、なんだっけ?)

 膀胱の中の水分をすっかり出し切ると、史佳の穿いていた紙オムツも股地の吸収体が膨らみ、一際強調される格好になる。
 オモラシ直後の虚脱感に襲われると、史佳は仰向けに寝転んだ状態で、自分が濡らした紙オムツを両足で開閉するのが日課だった。
 挟んでは開き、圧力がかかった下着から不恰好な水音が響く音色を確かめる。自分の行為がすぐに感覚として帰ってくることを確かめる、赤ん坊と同じ遊び方の途中。
 あてのない疑問が、ふと湧いた。

(じゅう、ななさい……おねえちゃん、だよね? わたし……どれくらい、おねえちゃんだった……?)

 オムツを挟んでは開き、その間に足りない思考が頭を巡る。パンツのおねえちゃんよりはおねえちゃんなはずだし、えほんもよめるしかずだってわかるはずだ。ううん、それどころか、きっと。

(あたま……よかったんだもん。わたし、おねえちゃんだったとき……えらいねって、ほめられたの……おぼえてる?)

 断片的なイメージが脳裏を過ぎる。保育士のおねえちゃんより、立派なおようふくを着ていた気がする。それはようちえんどころか、小学生? ううん、それ以上の――高校生で。

(こーこーせぇ……? わかんない。えほんに……書いてあるかな……)

 頭の中には答えがなかったから、史佳はのっそりと、濡れたオムツをお尻で潰しながらベッドの上で起き上がった。

「……あ」

 見つけた瞬間、ぽっかり開いたお口から、よだれがぽとっと、ベッドにおちた。
 史佳のほいくしつにはだれもいないのに、ドアがぜんぶ、開きっぱなしになっていた。

 ***

(み、見つからないかな……見つかったら、またおねえちゃんにめってゆわれる……?)

 ベッドから一人で下りたとき、史佳は怖くて、おもわずまたオムツにちっちをちびってしまった。
 長い廊下は、ハイハイで進むには泣き出しそうなほど長く続いている。わからないことが怖くて、おねえちゃんのことを呼びたくなるけど。

(ちょ、ちょっとおそと、いくだけだもん……おむちゅ、変えてくれないおねえちゃんがわるいの……)

 『パンツのおねえちゃん』はきっと、こんなことでは泣かない。
 思い直すと、史佳はオモラシで膨らんだ紙オムツを左右に振りながら、恐る恐る先へ進んでいった。
 もちろん、進む間も、おしっこの感覚が史佳を襲うから。

(う……また、ちっち、ちぃでちゃう……ふあぁ……!)

 数歩進むたびに、ハイハイを止めて、オムツのお尻を小さく震わせて。

 ――しょわあああああ……。

「あ、ぅう……!」

 せせらぎの音をかなでながら、史佳はおむつの中におしっこを放っていった。
 もう随分前から、自分の意思で楽しめる自由は、オムツごしの放尿以外見当たらない生活を送ってきたのだ。
 大事に抱えていた健気な抵抗も必死の嫌悪も惨めな羞恥心も、反復練習のように身体に刻み込まれた排泄快楽に押し流されてゆく。

「ん、んぅ……あぁっ……お、おむちゅ、ち、ちっちぃ……ふみちゃ、ちぃ、でたぁ……っ」

 自らオムツを汚すようになってから、史佳はお漏らしの度に『ちっち』の報告をするようになった。そうすればおねえちゃんがすぐにオムツを替えてくれるし、『いっぱいちっち出たねえ』と褒めてくれるからだ。
 だが、今ここにはおねえちゃんはいない。あるはずのものがない不安は、史佳の心に不安を生んでゆく。

(お、おねえちゃん、どこぉ……おむちゅ、ちっちでつめたいの……はやく史佳のおむちゅ、替えてよぉ……!)

「ひっ、ぐすっ……おねえちゃぁん……」

 史佳のお漏らしは一回の尿量が多いため、たっぷりのおしっこを受け止めた紙オムツもロンパースからずり落ちそうなほど重くなる。
 自分が濡らしたオムツがお尻やお股をぐずぐずと汚し続けた怖気や気持ち悪さは、孤独に怯えた史佳をより一層追い詰めてゆく。

(や、いまは、おそとにいかなきゃだめなのっ……。おむちゅ、ないないするの……わ、わたしっ、おねえちゃんなんだからっ……!)

 不幸中の幸いは、その悲しみだけが史佳に残るか細い理性を保つ命綱になっていたことだ。
 オムツにお漏らしなんて、絶対に間違っている――無意識の叫びが、愚図りかけた幼稚な思考を駆り立てた。
 その一念で太ももをノロノロと動かすと、足回りから染み出したお漏らしがロンパースのお尻に恥ずかしいシミを広げてゆく。
 
「えぐっ、ひぐっ……ぐすっ……」

 『ちっちおむちゅ』の気持ち悪さに泣きべそをかきながら、史佳はハイハイを止めなかった。
 真っ直ぐ続く廊下も、進めば必ずドアが見えてくるはずだと信じていた。

「もうすぐ……だもん。ぜったい、おそとにいけるもん……っ」

 確信めいた認識は、歩みを続ける程に強くなった。歩むほどに失うばかりだった時間を一つずつ取り戻しているような実感さえあった。

(そうだ、私は……赤ん坊なんかじゃ、ない! わかってる、私は私だ! 大丈夫、このまま進めばきっと!)

 誰かに身体を預けていた時は、自分の身体さえ不安を生む厄介な檻でしかなかった。だが、愚鈍な匍匐前進でも、自分の意思が通っているという自覚が、心の中に沸々と勇気さえ生み出していく。

(何でだろう……? でも、今なら、きっと――!)

 板張りの床を見つめていても、身体に力が蘇ってゆく。ベッドの上では重しのようだった腕も脚も軽くなったような気がして、史佳はそっと四肢に力を込めてみた。思惑は――嘘のように、獣から人の体勢へ、赤ん坊の姿勢を変えてゆく。

「う、うんっ、しょっ……はっ、はぁっ、あっっ……」

 生まれたての子鹿のように、突っ張った両手両脚をぷるぷると震わせながら起き上がる。
 上体を起こしながら膝立ちを作り、壁に手を当てて――脚の裏が、久しぶりに地面をしっかりと踏みしめた。の
 ぐっと、踏ん張った無様なガニ股だが、二本の足はしっかりと、史佳の身体を支えられた。

「やっ……たぁっ、立て、た――あっ」

 力を込めすぎたのか、下腹がヒクついた瞬間、またオムツに熱い飛沫が迸る。だが、それもほんの僅か。止めようとすると――

「とま……った? や、やったっ、お漏らし、止められたっ……!」

 『史佳はオムツがなきゃダメな赤ちゃんなんだよ』――そう教え込まれて、情けないお漏らしを嘆くたびに史佳は弱く幼くなった。
 だが、今やその呪縛さえも嘘だとはっきりわかった。『おねえちゃん』――いや、全てはあの女の策略に過ぎなかったのだ。

(行かなくちゃ……! 走れる内に、この場所の、出口を探さないと!)

 気づけば、指先の自由も戻っている。
 史佳はロンパースのボタンを外し、濡れたオムツをその場に脱ぎ落とすと、お尻も裸のままに、廊下を駆け出していった。

 ***

 記憶のベールは、歩みを進めるほどに剥がれていった。
 ここがどこだったか、なにがおきてたのか。
 見覚えのなかったはずの道も身体がちゃんと覚えてくれていたお陰で、迷う気なんてまるで起きなかった。

(そうだ……この屋敷、見覚えがあったんだ。いつだったかな……何故か、安心できる気がする)

 久しぶりに感じた自己効力感——そうだ、難しい言葉だって今ならちゃんと使える——自分から行動することで、自分の望む結果を手にすることのできる達成感が、確実に史佳の背中を後押ししている。自分自身、その確信が持てた。

(もう赤ん坊になんてならなくて良い! あんな目になんて二度と合わないんだから!)

 羞恥も屈辱も、全ては自分の持てる力を十全に発揮できないもどかしさから生まれた感情だ。押し付けられた無力さから解放されれば、怯えながら生きることもない。久々に味わう自由は、史佳の胸に勇気まで呼び起こしていた。

「確か、このあたりに……あった。多分、ここが出口に繋がってるんだ……」

 追い風に押されて廊下を進み続けると、見覚えのあるドアを見つけた。黙って目視すればいいだけのことだが、独語は自然と口をついて出ていった。いまや史佳は舌の回り具合さえ順調だ。口を開けば、赤ん坊の甘ったるい喃語ではなく、年相応の17歳らしい明瞭な言葉を出すことだって出来る。

(当たり前のことがこれだけ嬉しかったなんてね……)

 しみじみと当たり前の価値を噛み締めながら、史佳はドアの元へと駆け寄り、丸いドアノブに手をかけた。赤ん坊をさせられていた頃には開かずの扉にも思えた戒めは、思った通り軽々と開け放たれた。

「暗っ……照明、ついてないの? 全く、何をやってるのか……」

 薄暗い部屋の中に、踏み入れた歩調も軽かった。手探りで歩く暗闇と違い、体が馴染む感覚があった。
 やはりそうだ。ここは、名前も場所も知らない土地ではなかった。

(私はここで……何かを、していたの?)

 うっすらと目が闇に慣れて行く。壁一面に並ぶ金属製の机、書類の詰まった大きな棚、様々な機械が詰まったサーバーラック……どれもこれも、懐かしささえ蘇る。

(……どこかに、私のことを書いた記録が、ある)

 史佳は書類棚に手を伸ばして、綴じられた紙の束をいくつか抱えて机に置いた。腰を下ろす場所もいつもの通り——

(いつも……そうだ、いつもここにいたんだ、私は)

 書類をめくり、内容を精査する。机に肘をつき、他人の存在を気にも留めないのが史佳のスタイルだった。
 何度か注意されたのだが、これが一番集中できるのだと、顔も向けずに応えてきた。

(そうだ……ここで、赤ん坊にしてきたんだ。私も……)

 書類には、この『施設』の目的や、行われてきたプログラムが詳細に書かれていた。
 学校制度の老朽化による、社会不適応者の増大——少年院でも刑務所でもない、オルタナティブな社会復帰制度を求める声——若年世代の政治参加、地域主権、PFI、その合一——様々な条件が重なり合い、生まれた施設が、ここ。

「稚育更生支援院、ミソノ会……そうだ、わたし。ここで働いていたんだ……」

 『先生』と呼ばされた保育士に世話されていた頃は、文章なんて決して読み進めることも出来なかっただろう。
 だが、今や史佳の心の中は、『わからなかったことがわかるようになった』喜びなど、かけらも残っていなかった。
 あるのはただ、疑問の隙間から湧き上がる、不信と怒り。

「なんで……なんで、なんで! なんでわたしが! あんなグズと一緒の扱いを受けなければならなかったの!?」

 叫び声は、部屋を震わせた。

「ふざけないで、私は違うの、あんなダメ人間と、自分の人生を投げ捨てた愚か者と同じなわけないでしょ!!」

 拳は、書類をばら撒き、机を酷く撃ち鳴らした。

「 何が赤ん坊よ……何がお世話よ! こんなもの、ふざけてるに決まって——!!」

 脚は床を踏み荒らし、椅子を蹴り倒し、ドアを、壁を、そこら中を怒り任せに蹂躙していった。
 そうでもしなければ、この怒りは収まらないと——沸騰した血の巡りに任せて、荒れ狂っていた、その時。

「……わかってるじゃないですか、日下部主任」

「っ!?」

 薄暗かった部屋に、突然光が大量に流れ込んだ。机に面した壁が、左右に自動的にスライドして、ガラス張りの大窓に変わってゆく。窓に透けた光に視界を焼かれて、史佳も思わず立ちすくんでしまった。

「何、一体……!?」

「覚えてないですか? あの日のこと。あなたが、私を陥れようとして——逆に、ハメられた日のこと」

「ハメっ……なによ、それ……?」

 視界を潰されている間も、誰かが史佳にずっと話しかけていた。
 あまりに冷たく、軽蔑の色を帯びた声色も、なんとなく懐かしい。

(私が赤ん坊にされた理由を知ってる……? だったら、捕まえて、問い詰めないと!)

 失った記憶の最後の一欠片を、ようやく埋めることができるかも知れない。
 声の元に手を伸ばすのは必然だった。だが——

(え、なに、ここ——なんで、戻ってきたの!?)

 光に慣れた目に飛び込んできたのは、ありえないはずの光景だった。

「なんで、なんで、なんでっ……!? 出て行ったはずなのに……なんでぇ……っ!!」

 ベビーベッド、オムツ棚、ロンパースのしまわれたクローゼット。ガラス窓の向こうに映る景色は、拭い去れない恥辱の日々によって、史佳の記憶に刻まれてきた。数ヶ月間ずっと閉じ込められてきたベビールームを、史佳が見忘れる訳もない。その中にいたのは、白衣をまとい、冷やかな瞳を史佳に向けた一人の少女だった。

 ***

「お前……! よくも、よくも私を!」

「お久しぶりです。思い出されたようで」

「間抜けな質問を……! 主人の手を噛む犬の顔、忘れるとでも!」

 史佳は奥歯をすり潰すほど噛み締めると、禍々しい面持ちを晒したまま、激昂の叫び声を張り上げた。
 ほんの数ヶ月前まで、史佳はまだ高校生の身分でありながら、ミソノ会所属の児童更生保育士として、対象児童の更生支援にあたっていた。その中で、史佳は全国共通の画一的なプログラムに疑問を抱き、オリジナルのカリキュラムと処置を提案、様々な生徒の反社会性を『治療』したことを認められ、その新型指導の主導者、プロジェクトリーダーとしての地位を得ていた。
 だが、その栄華も、ある日突然、幕引きの時を迎える。
 正義感に燃えた一人の同僚を、排除し損ねたのだ。

 あの日——史佳は自分に噛み付いた造反者の処分を他の同僚に任せて、自分の仕事を続けようとしていた。

(全く、くだらない。ゴミが一人減れば、それだけ家族や社会の負担も軽くなる。わかりきった話じゃない)

 だから、不意にドアがまた開いても、顔を向けようともしなかった。

「なに……? 処置が終わったからって、一々報告しに——むぐっ!?」

 突如として、史佳は口に何かを詰められ、目隠しと耳栓をされ、視聴覚を奪われた。
 そしてすぐさま全身は四方八方から人の手に捉えられ、部屋から運び出され、冷たい処置台の上に乗せられた。

「ングッ、ンンーッ、ムグーッ!!」

 最後に記憶にあるのは、首筋に走った電流の、肉の裂けるような痛みだけ。
 そこからの記憶はおぼろげだが、長い時間が経っていたのは確かだった。
 ——紙おむつを汚すことが、日常になってしまうほどには。

「二度とまともな人間には戻れなくしてあげる。出てきなさい、私直々に処置してやる!!」

 蘇る記憶は、端正な顔を歪めるほど、激しい憎悪を史佳にもたらした。
 ガラス戸一枚、破れるならば飛び込んで殴りかかってもおかしくなかった。
 だが、向かい合う少女はぶつけた怒りに何一つ堪えてはいない。
 それどころか、聖女のように口元だけを少し緩め、くすりと笑う余裕を見せていた。
 その態度が、火に油を注ぐのだ。史佳の顔に、深い亀裂が走った。

「なんだその顔は! ふざけるな、お前のようなクズが私を——!」

 それでも、少女の笑みは絶えない。彼女はただ悠々と、身を覆う白衣を静かに脱ぎ去っていった。
 現れた姿を見た瞬間、史佳の怒りが静止する。

「それ……は」

 白衣の下の彼女の衣装に、史佳は見覚えがあった。
 何度も涙をこぼし、よだれをなすりつけ、オムツを替えるタイミングで漏らしたおしっこを飛ばしてしまったこともあった。
 なつかしい、エプロン姿。それは保育士の「せんせぇ」しか着ていないはずで。

「もう、ふみちゃん、そんなこわいこと言ったら、先生もかなしいなあ?」

「あ、あ、ああぁぁ……!?」

 保育士の先生は、やっぱり全てを見通すように、史佳を眺めて笑っていた。
 衝撃で硬直するのもお見通しだと言わんばかりに、エプロンポケットから、紙おむつを一枚取り出して、窓の向こうの史佳に差し出してきた。

「ふみちゃん、もうちっち我慢できない頃なんじゃない? おむちゅ外しちゃって、おしりさむさむさんだよねぇ? ほら、お部屋に戻ったら、せんせぇがふみちゃんのおむちゅ、替えてあげるのになぁ」

「やっ……! い、いらないっ……おむつ、ちっち……いや、もう赤ちゃんに……もどりたくないのにぃ……!」

 ベビールームを逃げだせたと思ったのに、廊下を半周して対面の部屋に辿り着いただけだという徒労感が、さきほどまでの達成感を、無慈悲にも塗りつぶして行く。無力さと絶望が心に満ちれば、さっきまで取り戻せていた知性も言葉も、ぼろぼろとかなしいくらい史佳の頭から抜け落ちていった。

(や、やなのっ、わたしは、あたまいい、おねえちゃんなの。あかちゃんじゃない……あかちゃん、やあなのっ……)

 顔面蒼白、全身を両手で抱いてがくがくと震えて堪えようとしても、ずっと出したままのお尻から冷えがお腹の奥まで響いていた。がまんすればするほど、もっともっとこわくなる。ふみかが、ふみになっていく。

「な……ないないだもん……。ち、ちっち、ない……。おむちゅ、ないよぉ……」

「困ったねえ、じゃあせんせぇが、ふみちゃんのおむつ持ってってあげるよ。そこで待っててねぇ」

「や! きちゃやあっ……ひっぐっ、ぐすっ……!」

 おなかから「ちっち」がでそうになっても、ふみかはがんばった。おねえちゃんだって、おもらししないように。
 あんよをばたばたさせて、ゆかにごろんってなって、ちっちのでるとこを、ぎゅっぎゅって、おさえた。
 でも、そんなことすればするほど、あかちゃんみたいで、はずかしくなる。
 ——17歳としての意識など、膀胱が決壊するほどの強烈な尿意の前では、その激しい水流が小さなプライドごと根こそぎ激流に呑み込んで行くだけだ。
 もはや、なんのために我慢しているのか分からなくなっても、一度決めたルールは、史佳を強く支配していく。

「ちっちでるのっ、ちーでるからぁっ!? せんせぇといれ! おねえちゃんといれ、つれてってよおぉ……!」
 泣きべそをかいて駄々をこねているうちに、きゅっと閉じられた太ももと股間の間にできた三角州が、じわりと湿り気を帯びてゆく。それは、情けなく甘えきった、幼稚な思考に囚われてゆく史佳にも理解できる危機だった。

「ひっ、ち、ちっちもるっ、もっちゃうっ、ちーでるっ、ちーっ、ちぃぃ……! ふえぇぇっ……!」

 表情を深く歪ませる、先程までの凶眼は嘘のように消えていた。下がった目尻に目尻の潤みが集まり雫が生まれ、頬に描かれたわだちに沿ってすっと一筋、そこから堰を切ったように、涙は止めどなく流れてゆく。上が流れに飲み込まれると、心にずっと支え続けられてきた下出口の戒めも、虚しく意味を失ってしまった。

「は、あっ、あ、ああ、うぁぁ……うえぇぇっ……! ぐすっ、ひっ、いっ、いやあああっ、うああああああんっ!」

 細い体が弓なりに、一二度びくん、と跳ねると同時に。
 三叉路の奥、ひくんと震えた姫戸から、溢れんばかりの水流が勢いよく床に水たまりを作り始めた。
 せせらぎの流れを響かせて、白い湯気まで立てて注がれたおもらしは、史佳のお尻も背中も、余すところなく染み渡ってゆく。
 おむつなしで失敗してしまったおもらしは、おむつという守る最後の砦をなくしたせいで、想像をはるかに超えた嫌悪感を史佳に与えてゆく。自分でつくったお漏らしの水たまりに尻餅をついてもなおおしっこが止められないなんて。

「ひっぐっ……うええっ、うあああああん……! せんせぇ、おむちゅっ……!」

「あらあら、間に合わなかったねえ、ごめんなさい……日下部主任。ふふっ」

「やぁ、ふみはふみなのー……。ぐすっ、ふえっ、うえええっ、おねえちゃん、いじわるやらぁ……!」

「はいはい、赤ちゃんふみちゃんにはおむちゅだよね。ほら、あんよたかいたかーい」

 不平を喚いても、自分の足一つ上げられない。ただ保育士に泣きついて、おむつを当ててと泣きつくだけ。
 ほんの数刻前では、自分の力を信じてきたはずの日下部史佳は、また、おむつの取れない赤ん坊に戻っていた。


 今はもう、名前が何だったのか、自分が誰だったのか。
 日下部史佳だった赤ん坊は、なにも覚えていなかった。

「おはよう、史佳ちゃん。ふふっ、昨日の夜も、いい子にしてたみたいだね」

「あむぅ……えぷ、だぁ、あぅう……」

 朝になれば保育士のおねえちゃんが、ベッドまでおむつのチェックにきてくれた。前の晩にたっぷりおむつを汚した史佳のおねしょおむつはお団子のように膨らんで、お尻を揺らすだけでぐちゅり、とおむつからおもらしがあふれてしまう。
 史佳の朝の楽しみは、このたっぷりのおむつをなるべく長く履き続けること。だから、朝のオムツ交換は保育士にとってもちょっとした苦労の時間だ。

「もう、いつまでもちっちおむつじゃくちゃいくちゃいでちゅよお? ほらっ、つかまえたーっ」

「あぶぅ……んふ、ふぅん……」

 保育士の手をよけながらも、おむつを替えて貰える赤ん坊は、楽しそうに無邪気な笑い声を上げている。こぼれたよだれで口元をべたべたにしながら笑う17歳の赤ん坊は、大人が忘れていた幼気の世界に浸りきっていた。

「ちっちいっぱい出て良い子だねえ、ほら、きれいきれいでしゅよぉ」

「んくっ、ん、んゆ、うぷっ……んっ、んんっ」

 赤ん坊の朝食はおむつを替えられなから与えられる哺乳瓶のミルクだ。両手でしっかりと掴みながら一心不乱に喉を鳴らして嚥下しては、時折小さなげっぷをけふ、と漏らす。その胸元には赤子に施すほどの成育を見せながら、大人への道を諦めた大きな赤ん坊は、おむつを替えられた直後に身を緩めて、小さく震えていた。

「はふ……ひくっ、うええ、うあああんっ!」

「あらあら、ちゅぱちゅぱしたらちっちでちゃったのね、すぐおむちゅ替えするの、大変なんだからね

 当てたばかりのおむつは、史佳にとってあってないようなものだ。四六時中漏らすこの大きな赤ん坊は、おむつのストックがいくらあってもたりないらしい。
世話をやく保育士には、その理由もわかっていた。

「そんなに、赤ちゃんするのがきもちよくなっちゃったんですかあ? 史佳さん、変態ですよね……うふふ」

「そ、そんなの、ないっ……」

 口先だけ否定して見せても、赤ん坊の顔はまたおむつが当てて貰えるという期待と喜びに満ちていた。赤ちゃんでいれば、おむつの世話もずっと続く。おむつなしには生きられないと口で言い訳を言うより、おむつが目に入った瞬間嬉々としてお尻を上げておむつ替えをせがむ始末だ。

「いいですよ、日下部主任。それがあなたの幸せならば」

「えう……ちゅぱ、ちゅっぅぅ……」

 赤ん坊は中身のなくなったおしゃぶりにしゃぶりつきながら、自分に向かう言葉を必死に拒絶してゆく。ぬれたばかりのおむつは、赤ん坊のおしりをまたぐずぐずに汚してゆく。
 終わりの見えない永遠の始まりは、まだはじまったばかりだった。
スポンサーサイト
[PR]

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。