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伏屋のづ

Author:伏屋のづ
Mail:nuderiff@gmail.com

書き殴った【おむつ・おもらしフェチ】系妄想置いてます
だいたい月一でもえないごみがふえるよ
文章も構成も壊滅的なんで重箱の隅突きなど歓迎中
萌えについて模索中なので作風も質もブレまくるよ

2016/01
>あいかわらずにほんご書けてねえ
>よかったら好きなシチュ語ってもらえるとうれしいです
@ごみばこ

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(書けたら書くかも)

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trash #035


 陸上は一人でもできる。
 それが高森茅乃が五年生になってから部活を決めた理由だった。
 走っている間は一人だ。だから、体操着が汗だくになるほど夢中になった。
 ゴールなんかなくてもよかった。めんどくさい毎日が待っているだけだ。
「お、おつかれさまです、せんぱい! ドリンクもってきましたっ」
「いらない」
「高森さん、のまなきゃダメだよ。汗かいてるし、脱水症になると……」
「いいって言った」
 うれしそうに集まったコウハイも、自分より遅いセンパイもめんどくさかった。
 同じ返事なんて何度もしたくない。そういう時に限って、一番来てほしくない奴がやってくる。
「もう飲んだからいらないって。ほら、次のせんぱいきてるからね」
「で、でも、いま走ったばかりで」
「走る前に飲んでるから。ほら、早く行かなきゃ間に合わないよ」
 川辺双葉。おしゃべりな幼なじみは、いつも茅乃と周りの間でうろちょろしてきた。しずかにしてくれるだけならよかったけど、双葉はもっとめんどくさい。
 双葉は茅乃が一人になった途端、首の根っこをくすぐるみたいな小声で話しかけてきた。それも、だれよりもうれしそうに、いじわるに笑いながら。
「さあて、今度はいつまでもつかなあ。茅乃のイメージもそろそろ」
「……うるさい」
 さいごまで聞いたらきっとキレる。
 だから、話より早く、茅乃はまた校庭のトラックにむかって走り出した。
「高森さんまじ速えぇ! シャトルランおわったばっかなのに体力凄くない?」
「いいなぁ、どうやったらせんぱいみたいに走れるんだろ」
 コウハイたちの声も聞こえないくらい、速ければいいのに。
 そう思いながら、茅乃はまた息がきれるまで走り込んだ。
 ふくらみ始めた胸の中で、心臓がどくんとはねた。
 お気に入りのヘアゴムも、たばねた前髪の上で何度もはねた。
 リズムに合わせて足を動かせば、何もかもふりきれる気がした。

 だけど、遠くでじっと茅乃を見つめていた、双葉の視線はふりきれなかった。


 部活が終わるのが六時前で、塾が始まるのが午前七時半。
 放課後は何かと忙しいのに、自分の家で夕食を取れたのは何ヶ月前のことだったか。
(いくらお母さん同士が友だちだからって、こんなに甘えていいのかなー)
 親しき仲にも、とはいうけど。でも、つきあいは幼稚園に上がる前から続いている。
(まあ、うちの家より落ち着くかも)
 毎日幼なじみの家に帰って、夕飯を食べて、塾に行く。
 それが、小学校三年生に上がってからいまだにずっと続いている、川辺双葉の日常だった。 
(おばさん、今日は何作ってくれたかな)
 体操服を入れた手もち袋をぶらぶらゆらして、今宵も勝手知ったる他人の家に戻ってきた。
「こんばんわー、お邪魔しまーす」
 一軒家の間取りだって、目をつぶっても歩いていけるほどおなじみだ。
 玄関でくつを脱ぎ、挨拶と共に騒がしいリビングに入ると、いつものお約束が待っていた。
「だから、いらないってば! 買ってもゼッッタイはかないから」
「洗濯するのはあんたじゃないでしょ。いらないって、あんたが毎晩汚すから」
 双葉が家の外で見てきた高森茅乃は、一言で言えば『かっこいい女の子』だった。
 六年生の男子より背も高くて、バスに乗ればオトナ料金も取られてしまう。陸上で絞ったスタイルの良さもあって、JCどころかJKにまちがえられたことも珍しくない。
 茅乃と双葉がいるクラスだとアニメのアイドルにハマる女子の方が多いけど、茅乃はスマホ片手に古着屋を巡ったり、ファッションスナップ系SNSでオシャレコーデ集めに凝っている。切れ長の大きな瞳に小さな唇、モデルみたいな整った小顔も、カワイイよりも美人系だ。
 そんな『男の子よりイケメンな、飯田三小の誇る陸上部の王子様』には、部活で見せた無愛想な塩対応も、実はそれがクールだと喜ぶ女子のファンもかなり多いらしい。
 だが、それも全部、家の外で見た時の話だ。
(クールっていうか、内弁慶なんだよなあ)
 リビングで繰り広げられていたのは、親と娘の怒号合戦。
 ラフな部屋着姿の茅乃が、走っていたときよりも真っ赤な顔で、母親に大声で叫んでいた。
「こんなの穿かせようとするから治らないんだ! これだってストレスだし!」
 茅乃は手にしたクッションを振り上げて、まるでゴキブリでも叩くように床に置かれたビニール袋を叩き、クッションで押し付けたまま中身を潰そうとしていた。それも凛とした立ち姿ではなく、ぺたりとお尻をつけた女の子座りで。立てば母親の手で無理やり着替えさせられる――そう警戒してるのか、上目遣いで顔をあげた情けない姿さえ気にする様子も見られない。
 もっとも怒り狂う娘に対して、母親の方は半ば呆れた顔で返事を返しているように見える。
「ストレスって、やめたら全部なくなる訳じゃないでしょ?
 ストレスを感じてるのはあんただけじゃないんだから」
 母親がはあ、とため息をついて、リビングの出口に立つ双葉に目を向ける。
 釣られて顔を向けた茅乃は、またぼっと火がついたように顔が真っ赤にさせていた。
「……っ!」
 茅乃はきっと唇を噛み、無言で双葉を睨みつけるとすぐに立ち上がる。そのまま入り口の双葉を押しのけるようにリビングから飛び出すと、側にある階段を乱暴に踏み鳴らしていった。
「またですか、茅乃の逆ギレ。おつかれさまっす」
「恥ずかしがるなら言わなきゃいいのにねぇ。あの子双葉ちゃんの前だと格好つけるから」
 仕方がない、と残された二人は互いに力なく笑いあう。
 台所から上がるいい匂いに空腹を誘われながら、双葉も茅乃の後を追った。


 双葉が二階の茅乃の部屋をあけると、中は明かりさえついてなかった。
 薄暗い空間を目を凝らしてのぞき込むと
(うわ、わかりやすっ)
 なりはオトナのくせに――なんて、図書館においてたむかしの本に書いてた通り。
 ベッドの上に、こんもりと丸く盛り上がった、毛布包みのおまんじゅうができていた。
 これ以上ないほどストレートないじけ方だ。子どもみたいで、ちょっと面白い。
「茅乃ー、めし。できたから行くよ」
「……あんたが消えてから食べる」
 ただ、本人的には精一杯の抗議なんだろう。むすっとした声が毛布の中から聞こえてくる。
 いつもローテンションな茅乃だけど、今日はいつも以上にしんどそうな声だった。
(目が見えないと、耳とか鼻とかよくなるんだっけ)
 双葉がうす暗い部屋を手探りで一歩二歩、そろりそろりと歩いていくと、不思議と見えないものが気になってしまう。耳に入る音、声ももちろんその一つだけど、
(おトイレ……っぽくない?)
 すえた匂いが鼻をつく。余計気になってすんすんと鼻を鳴らすと、より鮮明にかぎとれた。
 まるで、掃除の行き届かない公衆トイレか。それとも、保育園に置かれたおむつ入れか。
(これぞ茅乃のへや! って気がするなあ)
 変な安心感があって、ちょっとうれしい。それこそ幼稚園前から知ってる感覚だ。
 これぞ日常、と一人で満足しながら、双葉はベッドにできた毛布の山の隣に腰を下ろした。
「そやってすねんな。どーしよーもないもん、気にしてないって」
「部外者にわかるか」
 もちろんわからない。双葉に今わかるのは、お腹が空いて空いて仕方ないことだけだ。
 だから必然、出てくる話題も食べ物の話になる。
「冷えたご飯食べると体が冷えるらしいね。で、体が冷えたらさぁ」
 次の句が何を指すのか、茅乃だってわからないほど鈍い奴じゃないのは知っている。
 だから双葉も、次の行動に対して、どう反応するか用意ができた。
「人の部屋まで、わざわざ喧嘩売りに来て! あんたはいつも人の気持ちを――っ!」
 勢いよく毛布を脱ぎ捨てた茅乃は、今にも獲物に飛びかかろうとする豹みたいだった。目を怒りに輝かせ、むき出しの敵意で牙をむいて双葉に襲いかかろうと、ベッドに深く膝を突く。
 その瞬間、体勢が大きく崩れる。背中が丸くなるのを、見逃す双葉ではなかった。
「はいかくほー。ダイニングまで連行いたしまーす」
 まるくなった背中から、体を抱え込むように両腕でキャッチ。そのままするりとショートパンツの中に手を突っ込んだ。下着を抑えられたらさすがの猛獣も途端に慌てふためくらしい。
「話聞けよッ! やめっ、わかったっ、いくっ、行くからさぁっ!?」
 恥じらう茅乃を連れて意気揚々と双葉にリビングに戻ると、食卓に暖かいクリームシチューとサラダ――そして、朗らかに笑う茅乃の母が、新聞記事のスクラップを片手に待っていた。

 食事はみんなで楽しく過ごすに限る。
 他人ながら、双葉も茅乃の母親も、意見の一致するところだった。
「この前の記事ですよね。茅乃ってこーいうのは残してないとばかり思ってました」
「だから家族が取っとく羽目になっちゃうのよねぇ。中々自慢できる機会もないから、双葉ちゃんにばかり話しちゃってるけど」
「こちらこそです、茅乃のお母さんが呼んでくれなきゃ今日もぼっち夕飯でしたもん」
 美味しいご飯と楽しい会話が、忙しい夜にも彩りを添える。
 ただし、そんな和やかなムードも、長くは続いてくれなかった。
「……一人で食ってればいいだろ」
 ぽつりと呟く茅乃の声に、双方向から怪訝な視線が向けられる。
「はあ……。ほんと、双葉ちゃんには甘えるんだから」
「はあ? 別に甘えてなんか……」
「それがギャップなんですって。茅乃、学校じゃクールな一匹狼キャラですし」
 親子喧嘩より食事に夢中な双葉は、黙々とシチューを口に運びながら幼なじみの日常エピソードをとうとうと語る。途端に、母娘の表情が一変した。
「い、いっぴきおおかみ……。んふっ、ご、ごめんなさいねっ、食事中に」
 口元を抑えて含み笑いを堪える母に対して、娘の表情がまた重く沈んで爆発する。
「……ごちそうさまでした!!」
 茅乃はシチューを残さずかきこむと、再び自室に足を鳴らして逃げ帰ってしまった。
 母親の方といえば、笑いに震えながら自分の娘を指差している。
「あ、ああいう所も?」
「ですね。それも込みですから」
 クール気取りの娘に対して、愉快な親。以外とバランスは取れているのかも知れない。
 それでいて、彼女なりに気を使っていない訳でもないらしい。
「あ、あの子着替えまた忘れてるわ。ほんと、何度言っても聞かないんだから」
「わたし持って上がりますよ。渡すだけ渡す、でよかったですよね」
 潰れたビニール袋に気づき、慌てて持って行こうとした母親を止めたのは双葉だった。
 塾に行く時間は迫っているけど、また親子喧嘩されてはかなわない。
「汚れて困るのはあの子も同じだから。もうしょうがないわ」
 笑う茅乃の母親は、茅乃に呆れているよりも、むしろ許しているようにも見えた。


 別に気にしないのに。でも、他人は気にするものがある。
 それくらい双葉も知ってる。双葉も知ってるけど、あえて言ってた。
(別に、ちゃんと病院行ってるなら、それでいいのに)
 食後のちょっとした運動に階段往復。
 双葉は茅乃の荷物を抱えて、再びまっくらな茅乃のお部屋にやってきた。
「茅乃ー、忘れ物。これ、ちゃんと穿き替えないとまた明日も大失敗して」
「触るなっ!! で、出て行けっ、は、はやく出て行けよっ!!」
 茅乃はベッドの上で毛布からちょこんと顔を出して、まるで番犬みたいに吠えていた。
 でも番犬ほどは怖くない。むしろ深夜アニメのダメニートな妹が涙目状態、みたいな絵だ。
「おーこわいこわい。別にいいじゃん、一つくらい欠点あったって、愛嬌のうち――」
「それが一番致命的なんじゃない! こんなの知れたら、人生終わるからっ……!」
 双葉が一言声かけしたら、まるで十は返さんと言わんばかりの茅乃マシンガンが炸裂する。
 もっとも強がりは言葉だけで、声や調子は、割とぐずぐずで、弱々しいヘタレボイスだ。
(おもいつめてるなー。うーん……)
 本気で悩むならそれ以上は踏み込めない。抱えた荷物もその場で床に置くしかなかった。
「……そうか。終わるのは、ツラいな」
 かんたんにかけられる言葉もなくて、双葉も精一杯言葉をえらんでみたけれど。
「そうやって、いつも他人事で! そんな知った口で人の秘密に土足で踏みこんで――!」
 茅乃の方は、それで怒りがあおられたらしい。
 なんだか、余計に火に油を注ぐ羽目になってしまった。
 弱さをカバーするために、強くなる。それなら、双葉にもわかる。わかるけど。
(弱さをなかったことにしたいって、しょーじきムリだと思うんだけどなー……) 
 スポーツ万能な凛々しいクラスの王子様系女子――なんて、さすがに自称はしてないけど。
 なまじ『学校で人気者の自分』って気持ちがあるのか、双葉の態度はとても頑固だった。
 それも双葉が持ってきたビニール袋を見た途端、茅乃はどんどんいじけるばかりで。
「こんなの、普通穿かないでしょ!? 赤ちゃんじゃないんだよ、私、もう五年生で!」
「うーん……。でも、毎晩おねしょしちゃうんじゃ、ベッドもぬれるししかたないんじゃ……」
 言った直後、しまったと口を塞いだけど、あとの祭り。
「お、おむつなんてっ、絶対穿かないからっ!! 赤ちゃんいうなっ、ばかああああっ!!」
 双葉の発言は、あっという間に茅乃の顔をやかんみたいに真っ赤に沸騰させてしまった。
 茅乃も直視するのも恥ずかしいのか、枕に顔を押し付けて、毛布の中に逃げ込んでゆく。
(……別に、「赤ちゃん」なんて、言ってないのに)
 とはいえ、双葉がビニール袋の中を開けば、パッケージはでかでかとそう主張していた。
 『ビックより大きい』『朝までぐっすり』『おしっこが言える、たっち期の赤ちゃんに』
 そんなカラフルなロゴデザインの踊るパッケージ写真を飾るのは、おむつ丸出しでニコニコと笑う、一歳児くらいの女の子の赤ちゃん。
 そんな紙おむつを毎晩寝る前に穿くように言われるなんて、大人びた格好が大好きの茅乃にとっての最悪のコーデだったんだろう。
「まあ、人生おわる、か。うん。おわるなら、しかたないよね……」
 毎晩おねしょで、毎朝ぬれたおやすみパンツ――どう見てもおむつ、で目がさめるなんて。
(最悪なのは、わかるけど)
 勉強も運動も自分で努力して身につけていくものなんだろう。茅乃は、そうしてきた。
 だからこそ、部活中にいっぱい水を飲む後輩たちをよそに、どれだけ水をガマンしても。
 寝る時間も決めて、おトイレガマンの練習もして、恥ずかしいおねしょチェックシートも壁に貼って、毎朝チェックつづけているのに。
(バツばっかり、だもんなあ……)
 それでもおねしょは治らない、なんてどんな気持ちなんだろう。
 おねしょシートからもあふれたおしっこのせいで、茅乃のおふとんも何回も真っ黄色の世界地図を描いたあとが残っている。あまりにおむつを穿かないから、一度茅乃のおばさんがキレたときは、茅乃は外におねしょふとんを干さないでと、そばにいた双葉も気にしないくらい、鼻水垂らしてわんわん泣き叫んだこともあったくらいだ。
(ずーっと、赤ちゃんのままなんだよ、とか。赤ちゃんでいなさい、って言われてる気分?)
 お布団をぬらしてもオムツをイヤがる茅乃の気持ちは、そんなところだろうか?
 双葉も、ひどいショックなんだろう、と自分に言い聞かせてきた。
 それでもやっぱり、それで泣けてしまうほど、茅乃の辛さを再現できそうにない。
「……わかってあげられたら、いいのにな」
 そんなことを想像しながら。双葉も部屋をそっと出ると、リズムよく階段を下りていった。


「ぐすっ……うぅ、すんっ、えぅっ……」
 布団中で泣けば泣くほど、こぼした涙や声の熱がこもって苦しくなる。
「はっ……あっ、あぁ……」
 クロールの息つぎみたいに、茅乃は布団から涙まみれの顔を出して、息を吸った。
 ついでに、ビビりながら目を開けてみる。部屋には、もうだれもいなかった。
(ほんっと、ずうずうしい……ごはん食べるし、人のこと、バカにするし……!)
 双葉を思い出すと、茅乃にもまたイライラがもどってくる。
 その上、重たい気分で頭が下がったせいで、床に置かれた紙おむつ袋が見えてしまった。
「うあ゛ああっ、もう!」
 茅乃は布団から這い出て、そのまま袋にサッカーのキックをいれる。つぶれたパッケージは床に転がると、口の開いていたオムツ袋から数枚の中身が床の上を滑ってこぼれてしまった。
「さいっっあくっ、こんなの、ありえん、まじないから。ないって……まじで……」
 頭をぐしゃぐしゃかきながら、またベッドの上に前から倒れ、そのまま沈む。
 紙おむつなんて、カサカサ這いよるゴキブリに負けないほどの茅乃にとってのNGだった。
(だって……お子さまよりも、ガキっぽいのに……。ずっと赤ちゃんなんて……そんなの、ヤダ)
 茅乃が服に気を使い出したのは、去年四年生に上がってからのことだ。
 それまでは、夜の格好はママに言われた通りの格好だった。
(うえ……思い出すと、すげーうつなんですけど……)
 かわいいかわいいと言われるがままに着せられた、白地にさくらんぼの柄が踊る丸襟フリル付きの子供用パジャマ。股の間はオムツからもれたおねしょでやっぱり黄色いシミができて、何度漂白してもうす黄色の淡くてちょっと臭う恥ずかしいシミがしっかりついている。
(ずっと子どものかっこしてたら、子どもから成長しないだけじゃん……)
 おねしょでオムツが重たくなると、毎朝オムツからおしっこをこぼさないようにおお股になって歩くのが大変だった。勝手に脱いだらダメなのだ。ママにする朝のごあいさつは一つ。
『お……お、ねしょの、チェック……おねがい……し、しまっ……』
『いまはかり持ってくるから、ズボン脱いで待っててねー』
 おっかなびっくり、パジャマズボンを片足ずつ脱いで、たぷたぷになった冷たい紙オムツの感触に泣きそうになりながら待っているのは、思い出すだけでも死にたくなった。
(細いからいいとか、そんなんじゃない……だって、赤ちゃんのオムツでも……ま、間に合わないこと、いっぱいあったのに……!)
 茅乃のおねしょ癖は、生まれた時からずっと続く重症例――と、お医者さんが言っていた。重症の名前の通り、一度にするおねしょは最低二回以上。寝入り直後、寝てる間、起きる前。それも一度の量が子供用おむつの限界ギリギリまで漏らすことも珍しくないから、オムツがおねしょを受け止めてくれる役目を果たしてくれないことだって結構あったのだ。
『ね、ねえ、ままぁ……は、はやく、オムツとってよっ……!』
『はいはい、じっとしててねー。いま楽になるからねー』
 ママはお菓子作り用みたいな小さな機械のはかりを持って、茅乃のおむつをゆっくりとはがしてくれた。『寝たまま外そうか?』なんて言われたけど、寝たままなんて赤ちゃんっぽいし次のオムツまで当てられそうだから絶対拒否ったから、おねしょでオムツを濡らした朝の茅乃は、いつも立ったままママの手でパンツオムツの両サイドをビリビリと破ってもらっていた。
 脱がされたオムツはすぐに測りにかけられて、一晩の夜尿量がはっきり見える。
『ジュース一本分もしてる、なんて……も、もう、わたし、水飲まないからっ』
『制限以上我慢しなくていいの! そんなこと言ったら熱中症に……』
『脱水も熱中もいらない、もう……むりだからぁ……』
 情けないにもほどがある。
 もちろん、自分で着替えくらいやったことだってある。あったのだ。でも
(お、おねしょオムツ……ボトッて落ちたの……まじサイアクだったしっ……)
 自分のオムツなんて汚いから、指先でつまむようにオムツ外ししたのがいけなかった。
片側を外したら、おしっこの重さでオムツが傾いて、ギャザーでなんとかせき止めてた朝一のおねしょが床にこぼれそうになったのだ。
『だっ、だめっ……ひっ!? やっ、きたなっ……!』
 慌てて股の間に手を入れてオムツを支えたけど、こぼれたおねしょが手のひらを濡らしたせいで、茅乃は情けない悲鳴まで上げてしまった。
(あの時、双葉がこなくてよかった……)
 大人びた格好の大好きな自分が、まだおねしょで毎日ぐずぐず泣くようなお子ちゃまなんだって、たとえ幼なじみにだって知られたくないことだ。それも、自分のおねしょで手がぬれたのにおどろいて、あわてておねしょオムツから手を放したら――
「あっ、あっあっあああっ!?」
 支えきれなかったもう片側のギャザーもビリビリとやぶれていき、黄色い湖を浮かべていた茅乃のオネショおむつは、勢いよく床にぼとり、と墜落してしまったのだ。
 おねしょまみれの股の間から、おなかに残っていたおしっこの雫がぽたぽたと床に、おむつに、不恰好にこぼれていく。それなのに、ショックで固まった茅乃といえば
『え……えうっ……ぐずっ、ひっ、ひぐっ……。ふぇっ……うええっ……!』
 自分より勉強も運動もできない子だって、布のパンツで毎晩ちゃんと一人で寝られるのに。
『どうしたの!? 茅乃、あ、オムツ、またこぼしちゃって! だからママがやるって――』
『ママなんてっ、うええっ、だいっぎらいっっ!! もうやだっ、オムツやだぁあ゛っ!!』
 自分は、まだ、赤ちゃんみたいに、紙オムツもとれないなんて――

 ――思い出のフラッシュバックは、いつも死にたい気持ちであふれている。
 茅乃は、特にそうだった。
(ありえないから。ほんっとに。お母さんも双葉も、私のことなんて、考えてないし……)
 布団から出て鏡の前に立った今の自分の姿は、すくなくともおねしょとはかけ離れていた。
 愛用のパジャマはフリース素材、下のパンツは紺色のややスキニーなすらっとしたフォルムで、上はチュニック丈の長袖トップス、グレー地にロゴの入ったラフなスタイルだ。
 元々体は大きいから、ちょっと気を使うだけで小学生っぽくない格好なんて楽勝だった。
 でも、いくら茅乃が頑張っても、夜の下着だけは思い通りにいかない。
(パジャマの中だけおむつなんて……あり得ない。死ぬ。自分が自分を一番殺したくなる)
 今穿いてるのだってし●むらや●オンに売ってる、安い小学生用のキャラモノショーツだ。どうせおねしょで汚れるんだから思いっきり子供っぽいのを穿いておけば自分だってバレないと思って、汚すことを前提に穿いている。
(これだって、双葉に見られたら死ぬんだろうな、私……)
 昔を思い出すから落ち込むのか、落ち込むから昔を思い出すのか。堂々巡りは終わらない。
 蘇るのはつい最近の記憶。『おねしょしてもオムツなんて穿かない!!』と決めた直後だ。
 自分で決めて、宣言した。それなのに朝起きたらオムツを穿かされていて、当然おねしょでオムツがぬれた朝を迎えてしまった。犯人なんて一人しかいないから、茅乃もすぐ抗議した。
『なんで勝手に穿かせたの!? こんなのママが穿かせるからおねしょも治らないのに!?』
『順番がちがうでしょ! あなたが先におねしょするからオムツが必要になって――』
(……言わないでって、言ったのに)
 もう、その名前も聞きたくない。自分で言うのはまだ我慢できても、他人の口から聞くと、両目からぶわっと涙が流れてしまう。
『ひぐっ、お、オムツってっい゛ゔな゛あ゛っ!! わだじのごとっ、ばかにしてっ!!』
 おもらしお知らせサインが浮かんだおねしょオムツのまま、ママに文句を言いまくっていた最中、茅乃はふと誰かの視線を感じてしまった。そして、思わず振り向けば。
『……あ』
 川辺双葉が、リビング前の入り口で、呆然と立っていたのだ。
 よりにもよって、おねしょオムツで泣き叫ぶ、一番情けない茅乃を見られていたのだ。
(……絶対、私をバカにしてる。そうでもなけりゃわざわざオムツなんて持ってこない)
 そう思うと、怒りがふつふつと湧いてくる。もう、言い返さないと気が済まない。
(絶対クギささないと! あいつのせいで、私のヒミツ、バレたら死ぬから!!)
 火がついたように思い立って、茅乃がドタドタと階段を踏み鳴らし、リビングに戻ると。
「あら、双葉ちゃんならもう帰ったわよ」
「え……?」
 ママは別に茅乃に怒った様子も見せず、テレビを見ながら空返事の真っ最中。
 伝えられていたらしい伝言だけを茅乃に伝えると、またすぐテレビに夢中になった。
「『茅乃の気持ち、わかってやれなくて、ごめん』ですって」
 双葉が言いそうな、物足りない返事。
 嘘じゃないと、はっきり思えたけど。
「……なんだよ、それ」
 何かが変わるわけじゃない『ごめんなさい』に宙吊りにされた茅乃は、黙ってふて寝するしかなかった。


 茅乃は、夜に夢は見なかった。その代わり、毎晩夜3時頃、お尻から背中まで、ぐっしょりと濡れた感触で一度目をさます。
「…………うぅ」
 ねぼけたまま、布団のうえに、おむつの代わりに敷いていたキルト製おねしょシートをずりずりとベッドから引き下ろすのと同時に、ごろりと床に転がり落ちる。
 眠い目をこすりズボンとパンツを脱ぎ、濡れた服と棚から取り出した新しい着替えを取り出して、風呂場へと向かった。
 ここまでの動作はもう寝ぼけてたって勝手にできた。
 茅乃だって、伊達に年齢=おねしょ歴は重ねてない。
「うぅ……のど、かわいた……」
 部活動で意地をはったせいか、大量に流れた夜尿水分もあいまって喉の渇きが止まらない。
 でも、水を飲むわけにはいかないと、シャワーを浴びながら唇を潤すだけで済ませて、着替えを終えたらまた自室へと戻っていく。そのまま冷えた布団にもぐりこみ、二回目と三回目のおねしょはぐっすりと寝たまま過ごす――それがいつものパターンだった。
 それが崩れたのは、目を閉じたまま部屋に足を踏み入れた時の、冷たい違和感のせい。

――ぐじゅっ、ぶじゅるぅぅっ

「ん、うぅっ――ふぇっ!?」
 体重をかけた足の裏が、ぐずぐずと生温い温度に濡れていく。
 思わず目を開くと、自分の足があるはずがないものをしっかりと踏んでいた。
「な、なんでっ!? さっき脱衣所の籠に全部入れ……忘れ……?」
 記憶をたぐると、籠に入れたのはパンツとズボン――だけ。
 布団に敷いたおねしょシートは、部屋にずっとおいたままだった。
「もう、また二度手間ぁ――あらっ?」
 失望と睡魔で思わず千鳥足になった途端、今度は逆の足に何かが当たった。
 柔らかくて冷たいすべすべのビニール製の袋のような、柔らかい紙製の布地のような。
 目を開けてみると、カーテンを閉めた窓辺からは、青白い月の光が届いていた。
 その薄明に照らされた形に。
「あっ……う、うぅっ……。さいってい……」
 強烈な羞恥心のせいで、茅乃の眠気も一気にさめてしまった。
 踏んでいたのは紙オムツ。絶対穿かないと決めていた紙オムツ。
(こんな時まで、双葉は私のことを……!)
 いつものように、怒ることができると、思っていたら。

――気持ち、わかってやれなくて、ごめん

「う、うぅ……」
 茅乃に不意に蘇ったのは、親に預けられた伝言だった。
(心配とか……なにそれ、格好だけなら誰でも……別に……)
 片足は濡れたおねしょシートの感触をまだ覚えていた。紙オムツに触れた足もまた同様に。
 一度動きが止まった隙に、睡魔がまた茅乃の頭に回っていく。
(寝ちゃえ、もう……別に、こんなのなんか……別に……)
 自分に言い聞かせる。言い聞かせたせいで、逆に意識するのは別の意見。
(心配、されてるのに……気づかないのは、私だけなのかな……)
 まぶたを閉じてもベッドには戻れず、立ったままためらう内に。
「うっ……! う、うぅ……」
 のどの渇きが、身体に水を求めてきた。
 睡眠欲にも負けない生理欲求が、茅乃の背中を強く押してゆく。
 気付いたら、部屋から台所に走っていた。
「もうっ……染みるぅ……」
 冷蔵庫を開け冷やしたミネラルウォーターを、これでもかと言わんばかりに胃に流し込む。
 飲むと決めたら好きなだけ。それができるのは、ヤケみたいな覚悟のおかげだった。
「も、もうっ……これでいいんでしょっ、これでっ!」
 茅乃は部屋に戻ると、すぐに下着ごとパンツを脱いだ。目をつぶったまま手に取ったのは、床に置いたままの紙オムツ。たっぷり水を飲めるのもこのお陰――決めたのは止むに止まれぬ妥協の結果だった。
「もう、いいや……」
 最後の言葉を、投げやりに変えて。茅乃は、今度こそ倒れこむようにベッドに沈んだ。
 ベッドの中で、オムツを両足に通し終えると、意識もふっと闇に落ちていった。
 

 騒がしいのが当たり前だと、静かな方が不思議と慣れないものらしい。
 双葉は前日の夕食のお礼を兼ねて、毎朝家まで行って茅乃との登校を誘っている。
 だが、今朝のリビングはいつもと明らかに状況が異なっていた。
「なんだ、一人で上手に穿けたんじゃない。これでもうおねしょでふとんも汚れず済むねぇ」
「べ、別にこれくらい、ほめられることじゃないでしょ……ほ、ほら、オムツ測ってよっ」
 おねしょオムツで恥じらう娘と、それをほめる母親のツーショット。
 フェティッシュな絵に思わず、本音が漏れてしまった。
「なんだ、やっぱりかわいいじゃん、茅乃。オムツ、似合ってるよ」
「う、うっ、うるさいよっ!? オムツが似合うとか、嬉しくないし!!」
「でも、自分で穿けたんでしょ?」
「……う、うんっ」
「よかったねぇ、これで自由にすきなだけおねしょが……」
「しないから!! 
「でも、お水いっぱい飲めるよ?」
「そ、それは飲むけどっ……」
 それから毎朝、双葉が『茅乃のおねしょオムツがかわいい』を連呼したせいだろうか。
 茅乃は、大分丸くなった。特に、部活動でも。
「センパイ、これ! 走ったあとは、飲んでください!」
「う、うんっ……ちゃんと飲む……よっ」
「ありがとうございます!」
 少し頬を赤らめて水を飲む様は、クールなセンパイが見せる新たな一面として後輩人気を大いに増やした。
 ただ、茅乃の顔が、夜の失敗に恥じらう姿だとは、結局誰にも知られなかったようだった。
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trash #034


 清村いずみが騒がしい編集室で聞かされたのは、予想外の答えだった。

「ま、マジ……ですか」
「ほら、今月のアンケート! 論より証拠じゃないっすか!」

 軽薄な口調の担当編集が取り出したのは、いつもの三倍以上は分厚いアンケート葉書の束。そのどれもに、いずみのペンネームが記されている。

「え、ええっ……。あ、あんな、間に合わせで……」
「先生のお陰で、アンケートも売り上げもブーストかかって、お陰でうちらもボーナス貰えて! おしっこ様様ですね!」
「だ、第一、他の作家さんの、だ、代返っ……」
「ほら見てくださいよアンケート! 全部先生宛てですよ?
 『続編期待してます!』『今の話よりずっと良い!』」
「う、ううっ……。そ、それ、褒めてないっ……」

 編集もよほど嬉しかったのか、熱弁は留まる気配がない。まさか急に頼んだ代理原稿が当たるとは思いもしなかったのだろう。それはいずみにとっても、計算違いの事件だった。

(ふ、普通、フェチは当たらないって、みずき、言ってたのに……。だ、だから私も、お、おねしょネタで……仕方なく描いただけなのに……)

 急な依頼でネタに困っていたいずみも、正直自分の作品を軽く見積もりすぎていた。『ロリ物エロ漫画に尿はつきもの!』というアシスタントの煽りに乗って、落書き程度で仕上げただけだったのに。

「いやー、ディテールっていうんですか? すごく真に迫ってて、いや思い出しましたもん、小学生のときこんなオネショの経験あったなーって。やっぱ凄いっすわ、流石人気作家!」「や、その……あ、ありがとう……うぅ……」

 編集者もアンケートも、みな熱気溢れる反応を返している。それに応えたいずみの愛想笑いでも、次第に困惑を隠しきれなくなっていた。

(ま、まずい流れだ、これっ……。は、はよ、逃げないと……)

 滝のように背筋に流れた冷や汗が、容赦なくいずみの熱を奪っていく。全身がぶるりと震えた瞬間、下腹が小さく痛み始めた。最悪の未来予想が、いずみの脳裏に描かれる。

(こ、こんな大勢の中でし、失敗とか、むりっ……!?)

 それだけは絶対に避けなければならない。いくらいずみが年不相応な体格の持ち主であろうとも。

「ゆくゆくは専門誌! いやこれブームになったりして!?」
「は、はひ……そ、それじゃ、わ、わたしっ、これでっ……」

 一人気炎を上げる編集者を置いて、いずみもじりじりと後退した。小鹿のように膝を震わせ、ゆっくりと出口に向かう。

(ひっ、こ、これっ、もう限界っ!? で、出そうっ……)

 おっかなびっくりの歩みでも、いまのいずみには苦行でしかない。小さなお尻までびくつかせるほどの衝動は、膀胱いっぱいに溜まった尿意の限界を知らせていた。ほんの僅かな刺激でさえ、下腹の奥でちゃぷんと跳ね、今にも溢れてしまいそうになる。

(あっ……は、はよっ、逃げないと……!? ひうっ!?)

 焦って足を動かせば、下着にじわりと熱い雫がにじむ。失態に瞳を潤ませて、立ち止まったのが運の尽きだった。

「これはもうおしっこで一冊出しちゃうしかないですね!」

 立ちどまったいずみの眼前に、一人で熱くなっていたはずの編集者が立ちはだかる。爛々と輝く眼光に当てられ、居竦むいずみは、両肩を乱暴にがしりと掴まれてしまった。

「お、おしっ……!?」
「期待してますよ、先生!!」

 笑顔の編集者に、肩をぶんぶんと揺らされた瞬間。

(あ、あっ、ああああぁぁっ!?)

 力一杯塞いできたいずみの栓が、シャンパンコルクのようにぽんと、弾け飛んでしまった。

「ぴぃっ!? あ、あっ、ちょ、か、考えさせてくだひゃっっ!!」
「せ、先生っ!? いずみ先生ーっ!」

 編集者の叫びを背に、いずみも半泣きで逃げ出すも、全てはもう後の祭りだった。

(と、トイレっ、おしっこっ、もるっ、漏れちゃうっ!? あ、ああっ、ひぅうううっ!?)

 編集室から勢いよく廊下へと駆け出して、誰もいない女子トイレに飛び込んだ瞬間。

「あ……ぐすっ……。ひぐぅっ……!」

 いずみの身体に、最後の決壊が訪れてしまった。

「あ、あぁ……ふっ、んぅぅっ、むぅっ……」

 手洗い場の鏡に映るのは、オタク好みのクラシックデザインな淡い茶色のワンピースの袖をぐっと噛み、涙目で堪える140cm台の小柄な自分の姿。丸い頬や大きな瞳といい、出版社に来るたびに中学生向けファッションモデルに間違えられるほど幼かった。意地の悪いアシスタントに『26歳の幼女ですね!』などと笑われても、いずみは何も言い返せない。幼さを否が応でも自覚させた悪癖は、漫画家になった今もまだ続いていた。

「ひっ、ぐ……! むっ、んっ、うぅっ、ふうぅっ……!」

 ――じゅっ、ぶしゅううっ! じょろろろぉっ……!

 袖にじわり、と涎の痕が染みるように、解放された乙女の秘門が、静かなトイレに激しいせせらぎの音を奏でてゆく。

「ひ、あっ、あぁぁ……! あっあっ、あゔぅっ……」

 ――ぐじゅっ、じゅううううっ、しゅううぅっ……!

 便座にもまだ座れていないのに、中腰の状態で固まった身体は最早自動放水機と化していた。膀胱に溜っていたおしっこを下着の中に撒き散らし、熱い飛沫の渦を巻いていく。鏡の向こうの大人幼女は熱っぽい赤ら顔で嬌声を漏らしながら、ガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうになっていた。いずみも両手を洗面台に突き出して必死に身を支えると、背負っていたリュックにワンピースが絡まり、お尻がぺろんとめくりあがってしまう。

「うあ……! やっ、とまりぇえっ、ひっ、いぃぃん!?」

 慌てて身をよじらせて腰に手をやろうとするも、下半身を捻る格好では、開きっぱなしの尿道を歪に圧迫してしまう。

 ――じゅ、じゅぶっ、じょっ、じょじょっ、じゅぼぼっ!

「あ、ああっ、ひぃぃいっ!! むぐっ! んんんんっ!」

 慌ててお尻を隠そうとした腕の袖で口を塞ぐも、突然押し潰された尿道は尿意の激流を堰き止められた反動で、間欠泉のような噴射を下着の中で繰り返してしまった。お尻だけがまるで温泉のように熱くて、喘ぎ泣きの果てに涙目と鼻水で汚れた顔のように、隅々までぐっしょりと濡れ尽くされていく。

(やっ、これぇっ、後背位っ……!? やらっ、いまおひり見られたら、わたひっ、ひぬっ、しんじゃうっっ!?)

「は……はふ、う……うぅっ……」

 最早いずみは自らの尿意に支配され、まるで自身の描く漫画さながらに腰を突き出し、息も絶え絶えにはしたない排泄欲に打ち震えていた。だが、童貞殺し《チェリーボーイキラー》の衣服には、爆ぜた飛沫の一滴さえ残ってはいない。水溜りに沈んでいるはずの茶色のラウンドトゥシューズさえ、乾いたままになっている。

「あ、あぅぅ……」

 最後の一滴が零れ落ちても、濡れていたのはただ下着だけ。幼さを強調するロリータもどきの装いの下から現れたのは、尻肉の薄い腰を締め付けるように、タイトにフィットした――パンツタイプの、幼児用紙おむつだった。

(へ、編集さん、おしっこなんて言うからっ……。う、うぅ、おむつ、あと一枚しか持ってきてないのに……)

 脱力したいずみの身体はもたれた洗面台からずるずると崩れ落ち、冷たいトイレの床にぺたんと墜落していった。小さな大人の大量の尿を含んだ紙おむつは、だらしなく膨れ上がったその吸収体を、自然とお尻と床に挟まれる格好になる。

 ぶじゅるっ――!

「ひぃんっ!?」

 衝撃で押し出された尿が、緩んだお腹や足回りの尿漏れ防止ギャザーから、じくじくと染みて肌を汚してゆく。冷たい床に熱を奪われて冷えていくお漏らしおむつの冷感に、いずみも反射的に幼女のような鳴き声を上げてしまう

「は、はよ帰って、そ、その前におむつ替えなきゃ……!」

 反射的に脳裏に浮かんだのは、同居しているあのいじわるなアシスタントの悪い笑顔。予想された仕打ちを思うと、いずみの濡れたおむつが、またじわりと熱くなる気がした。


「はぁ……」

 夕日に染まる駅のホームに、重く沈んだ溜息がこぼれる。赤く染まる床に伸びた黒い影の根元で、いずみは鬱々と沈み込んでいた。

(ぜったい、ウソだ……。『やらない後悔よりやってから後悔する方が絶対いいです!』とか、ありえないし……)

 両手で掴んだ前持ちのバッグの取っ手をぎゅっと掴みながら、小さな背丈を丸めて縮こまる。行き交う人並みの視線を避けて、小さなテリトリーをリスのように固持していた。

(どうしよう……。報告……しない訳にもいかないし……)

 深い溜息を繰り返す内に、ホームに電車が侵入する。軽やかな電子音のチャイムに合わせて動く人波に押し流されて、いずみも電車の中に足を踏み入れた。

(うぅ……。これだから、電車、いやなんだ……。なんで、いっつも混む時間に行かなきゃいけないのか……)

 学生やパート主婦の帰宅ラッシュを迎えて、車内はすでにすし詰め状態だった。座る場所もないと、いずみも必然的に自分より高い背丈の人間たちに囲まれることになる。
 自宅近くの駅までおよそ30分。都心への移動距離としては短い方だが、ノミの心臓が受ける心理的圧迫下では苦行を過ごす体感時間も計り知れない。何より一番心配なのは、いずみはそんな状況で一度も『我慢できた試しがない』のだ。

(だ、大丈夫……さっき、いっぱいしちゃって……もう出るものもない……はず)

 そっと自分の心に言い聞かせようと顔を上げたら、着飾った自分の姿を物珍しそうに見つめた女子高生たちの目線と目があった。

「わ、こっち向いた……。コスプレ? ロリィタって奴?」
「うちのアニオタのお姉ちゃんも同じ格好してたわ」
「知ってる、あれ童貞殺す服だって」

 年柄の少女らしく、狭い車中でも憚かることなく騒いでいる。着崩した紺のブレザー姿でアクティブに過ごす彼女たちは、いずみの最も苦手とする人種だった。

(うぅ、り、リア充、爆発しろっ……。き、キツいっ……)

 唇を噛んで小さく縮こまると、またカワイイ!の合唱が車内に響き渡る。騒々しさは彼女たちが降りる二駅間しか続かなかったが、いずみのか細い神経はすっかり消耗してしまった。

(や、やっと降りた……。長かった――はっ、席、空いてる)

 いつもなら家に着くまで埋まっていた筈の席は、今日に限って下車する客が多いせいか、意外にも空きを見せていた。いずみも気づいた時にはすでに身体が動いていて、客の隙間を縫うように移動して、ちゃっかり席を確保することができた。

(こういう時に、小さいと便利だ……ふあぁ……)

 安心すると、さっきまで尖らせていた全神経も一気に弛んでゆく。強烈な睡魔に襲われ、いずみも大あくびを見せた。

(スマホの目覚ましつけて……十分だけ……仮眠しよ……)

 音漏れ防止のイヤホンを耳に入れてから、瞼を閉じて力を抜く。それだけで、いずみの意識はすぐに遠のいていった。


「んーっ……。落書きすんのも、飽きたぞぉぉっ……っと」

 主なき作業場に、液晶タブレットの上に走るペンの音だけが響く。線が走り、色が重なり、その内に出来上がったのは眠りこけたままおねしょパンツを穿かされている女の子のイラスト。どこかいずみに似た面影の少女を描き切って、描き手はペンを持ったまま組んだ両手背中に回し、軽い呻き声と共に背伸びをした。

「……遅い。もー、何してんだかあの子は」

 独りごちて、志方みずきが席を立つ。小規模オフィスのような作業場は、みずきがアシスタントを務めている大学漫研時代の同級生、清村いずみのアトリエだ。ちっこくて臆病でコミュ障で、その割漫画だけは上手い友の代理人として、食事、生活、そしてトイレの世話まで――単なるアシスタント以上の働きをこなしている。

「はよ帰ってこないと、ご飯たべちゃうぜー……。って、また寝過ごしてるんと違うかな、アイツ」

 いずみに頼んでおいて貰ったエスプレッソマシンのボタンを押して、こぽこぽと湯気の立つ紙カップを背に窓を開ける。
 冬の日没は早い。外はもう暗くて、街を見下ろすマンションの窓からも点在する街灯や家の明かりしか見えなかった。

「電話入れといてやるかな……。おむつ忘れて、心配だしな」

 みずきは湯気の立った紙カップ片手に折りたたみ式の旧式電話を開き、慣れた手つきで履歴を参照、発信ボタンを押してゆく。すぐに、小さな呼び出し音が、受話器を当てた耳元に聞こえ始めた。

 ***

「ん……んうぅ……」

 甲高い着信音は、短い眠りを図々しく妨げてゆく。中途半端な覚醒に頭痛を感じながらも、いずみは眠い目をこすって目を覚ました。

(だいぶ寝たな……。う、まだ着いてない……早漏か、みずきの奴……。まだ、寝かせろよ……)

 変な時間に起こされることは、いずみにとって重罪だった。創作は頭脳労働だから、頭を使った後は泥のように眠らなければならないと信じている。薄めを開けてスマホ画面を見ると、アラームが鳴る予定時刻までまだ五分は残っていた。

(五分……上出来、じょーとー……。まだねれるし……)

 着信を切り、もう一度身を丸めて目を閉じる。電車の座席は暖房が効いて、お尻の芯まで熱くなるから眠るには持ってこいの場所だ。これで二度と邪魔もされない――そう確信して、いずみも夢に落ちるはずだった。

「……ちゃ……ん?」

(……? なんだ、一体……)

 肩が揺れるのは電車のせいだと思っていた。だが、右肩だけを何度も揺らされると、いずみも人の手の感触に気づかざるを得ない。せっかくの眠りも、再び中断されてしまった。

(なん、だよぉ……いったい、何を――えっ?)

 重い目をを開くと、数人の大人たちが心配そうにいずみの顔を伺っていた。誰もがそわそわと、まるで交通事故にあった車を囲む野次馬のように、いずみの周りで輪を作っている。

(な、なに……? わ、わたし、何かした……?)

「お嬢ちゃん、大丈夫? 電車降りて、お着替えできる?」
「え……? お、おきがえ……って?」

 突然囲まれて怯えきったいずみに客の一人が心配そうに声をかけた。何のことかわからず、いずみの目線も左右に泳ぎ――

(なんでみんな、わたしの足元だけ――えっ?)

 言われてみれば違和感はあった。ただ、お尻の下の暖房の熱に当てられ、ぼやけた感覚では状況をすぐに掴めずにいた。

「あ……あっ」

 いずみも身を起こそうとして、椅子に沈めた重心を崩そうとした。ほんの少し、お尻の位置をずらしただけだ。
 それだけで。

 ――ぐじゅうぅ……。

 寝起きの悪い朝、寝相の悪い布団の上に出来る水溜りが、肌をぐっしょりと濡らす感触が、お尻全体に広がっていく。不快感を煽るばかりの水気を吸った生地を潰すような音も、さきほど聞いたばかりの音色だった。

「あ、ああぁっ……!」
「大丈夫だから、失敗することもあるもんね? ね、泣かないで……」

 やさしそうな中年女性がかけた慰めの言葉で、ついにいずみも確信する。乗客がざわついていたのは、座席で眠りこけたいずみが、おむつから漏れるほどの大量のおねしょで座席も床も濡らしてしまったせいだった。

「ご、ごめんなさいぃっ……。わ、わたしっ……ぐすっ……」

 まさか、人前でおねしょ姿を晒してしまうなんて。中学生の頃の臨海学校を除けば、みずきにしか見せたことのない姿を、見ず知らずの人たちに見せてしまった。強烈なショックに湧き上がる羞恥心が、年相応の大人らしくあろうと背伸びしてきたいずみの精神を、無残なまでに崩壊させてゆく。

「お母さんは? もしかして今の電話だったんじゃない?」
「は……う、うんっ……そう……」
「お家の人呼んで、来てくれるまで駅員さんの所で待ってよう、ね? 降りる駅はどこ?」
「つ、次のつぎ……」
「じゃあもうちょっとだ。もうちょっと頑張ろう、ね?」

 幸いにして、周りの乗客たちは自分を子供だと信じているらしい。複雑な想いに心を痛めながらも、いずみも自分が大人だとは、決して口にできそうになかった。

(こっ、こんなの……だから外なんかヤなんだっ……。おむつも取れないガキのくせに、わたしは、ずっと……)

 大粒の涙をこぼしながら、いずみも大人だとなんとかみずきにショートメールを打つことだけはできた。
『おねしょした きがえもってきて』
 ――そんな幼稚な一文を送信して、およそ五分後。
 みずきは、いずみの着替えを入れた紙袋を持って駅の事務室まで迎えに訪れた。



 清村いずみは、生まれてこのかたおむつが外れたことがない。一時期はトレーニングパンツとパッドでなんとかやり過ごせたものの、漫画家家業を始めてからの不規則な生活のせいで、昼夜を問わずおねしょやおもらしが止まらなくなった。そのため外出する際には鞄に替えのおむつを持って家を出るのだが、まさか家ばかりでなく野外でのおねしょ、それも電車内での公開放尿など、失禁癖の多いいずみにとっても想像を絶するほどの大失敗の一つに入る経験だった。
 そんないずみを励まし、支え続けたのが志方みずきだ。変人同士気軽な付き合いを続けている内に、大学を出ても半同棲状態で、私生活から仕事まで片時も離れず過ごしている。
 その日常は、おもらしとおねしょのダブルパンチで泣いて帰った日も、何一つ変わらなかった。

 作業所兼自宅のメリットは、好きな時にお風呂に入れること。特にいずみが泣いて帰った日には、二人一緒に入るのが習慣になっている。

「災難だったなー、いずみぃー」
「も、もう、行かない……。みずきが行けばいい……」

 中学生体格のいずみと人並みに育ったみずきがバスタブに入ると、みずきを椅子にしていずみが重なる格好になる。いずみが子供扱いを嫌がっても人一倍ストレスに弱い子供作家先生を慰めるのもアシスタントとしての役目だとよく分からない理由で説得され、今夜も同じお湯に二人して浸かっている。

「そうもいかねーじゃん? 作家先生はいずみなんだし」
「でも、ヤだ……。お、おねしょ姿、み、みんなに見られたし……。そ、それ、漫画にしろって……」
「いいじゃん、自分がネタなら取材の必要なくて」
「そ、そんなの、はっ……恥ずかしくて……しぬから……」

 口調では突き放し気味ないずみも、後ろから発育不良の矮躯を抱きかかえてくれたみずきの腕をお腹に回し、シートベルトのようにしっかり巻き付けている。成長も性徴も同い年とは思えない格差をみると表情も曇るが、みずきが一向に気にする素振りを見せないから、いずみは一緒にお風呂に入るたびに彼女の体をおもちゃにして遊んでいた。みずきの方も、小さな手足にぺたぺたと蹂躙されても意に介した様子はない。象が古い皮膚をついばみに来た小鳥を放置するかのように、自由に弄ぶのを許しきっている状態だ。
 とはいえ、みずきも時折反撃に手を伸ばす。悪友がうじうじと沈みかけたと見るや、ベルト代わりに巻きつけさせた腕を離し、彼女の小さな二つのつぼみを隠すように、両手でそっと包み込んだ。

「わたし、好きだけどなー、いずみんのおねしょ」
「へんたいっ……。わたし、おねしょフェチじゃない……」

 脂肪のない薄い胸にやわやわと触れても、小さな嬌声を上げたいずみは、胸より先に木の枝のように細い脚をきゅっと閉じて、今日一日中おしっこの我慢できなかった無毛の恥部を隠しにかかった。胸をフェイントにされておしっこの穴を攻められたら、お風呂場にまで黄色い噴水を撒き散らしてしまうことを恐れたのだろう。その稚気に満ちた仕草を眺めたみずきの顔も、浴槽で茹だる熱とはまた異なる、レスボスとしての色に熟れた赤みに染まっていた。

「読者はあったんでしょ? 編集さんも気に入ってくれた。もうあとは自分の問題だと思うんですけど、いずみさん」
「へ、返答、きょひ……」
「ふふ、相変わらずビビりやさんめ。ま、今日もおつかれ」

 白い湯気を上げた水面の奥で揺らいだ桜色の実を、まるで子供をあやすような優しい手つきで慰められていたいずみも、
幼い顔立ちをはしたなく歪め、情欲に打ち震えていた。半開きになった口のから涎をこぼし、甘えた声で鳴く姿は幼女の仕草でありながら、強く閉ざしたはずの姫戸からは、排泄にはないぬかるみと、糸を引くほど粘液質な雫をお湯の中にじんわりと広げていた。格好だけは胸を覆う背後の彼女の手を払おうとしているが、時折自分の叉座に向かいそうになっては、また引き返す逡巡を繰り返している。もじもじと細いももすり合わせるたびに、目を伏せたまま口元からこぼれた、切なげな吐息が湯気に散る。

「つかれたよ……ほんとに。しぬかと、思ったし……」
「しなねーよ。大丈夫だいじょーぶ。いずみんのおねしょ埋蔵量、あと二十年は持つから」
「か、枯れてしまえっ……」
「あはは、すねるなよー。ちゃんとお世話するから、ね?」
「……うん」

 軽口を叩き合いながらの拙い二人遊びは、互いに見て見ぬ振りの綱渡りの中で続いてゆく。欲望のままに二匹の獣として交わる夜もあれば慰めと愛しさを交感し合うだけの、過ぎた友情に尽きる夜もある。二人の性活はただただ曖昧だった。

 ***

 ゆるゆると過ごした後も、溺れるままに貪った後も、入浴の後にいずみを待っていたのは、みずきによる『おきがえのじかん』だった。子供用バスローブのまま寝室に戻ると、先にパジャマに着替えていたみずきが、いずみの穿く『夜のぱんつ』を手にして、ベッドの上で手招きを見せている。

「ほれっ、いずみー。おむつの時間だよー」
「……それ、毎回やらなきゃだめか」
「んー? 穿かせて欲しがってるのはどなたかにゃー?」
「うぜえ……。はんせーしろ。ばか……」

 嬉しそうな声色で口撃しつつ、いずみはバスローブを脱ぎ、まだ火照りの残る肌を冷えた部屋の空気に晒す。凹凸もなだらかさもない、か細いだけでまっすぐな、生まれたままの姿でベッドの上に上がると、みずきが膝を並べて座る、そのすぐ側にごろりと仰向けに寝転んだ。

「やめませんけど? むしろこれが楽しいんだし」
「お前もおねしょしろ。少しは恥ずかしい気持ちあじわえ」

 おねしょの世話も仕事の内――ではないのだが、いずみが戯れに一度穿かせて貰ってから、夜のおむつ交換はみずきの仕事になった。みずきは脚を通すためにクロッチの左右に開いた穴に一度腕を通し、形を整えてからいずみの細い脚を高く掲げる。お姫様の描かれた桃色生地の如何にもお子様パンツなデザインは、パンツの世話も大人に任せきりのいずみの姿に違和感なく馴染んでいた。言われなければ二十歳を超えているとは信じられないし、いい年をしておもらしやおねしょで泣きじゃくるほど弱くて情けない、甘えん坊には相応しい。

(わ、わたし……やっぱ、え、Mなのかなっ……これして貰うの、ゾクゾクしてるっ……!)

 みずきはただ穏やかに、小さな妹を慈しむように平静な態度でおねしょ用おむつを当ててくれている。だが、二人は紛れもなく同い年の女性同士で、さっきまで浴室で互いの肌を重ねあった仲でもある。それが、夜が来るたびに、おむつの世話を焼かれる妹と、甲斐甲斐しく世話をやく姉に変わる。

(は、はやくっ、おむつしてっ……。ま、また、濡れてくるからっ……)

 下腹の奥は、既にひくりと小さな疼きに震え始めている。つるんと向けた卵の肌に刻まれた、たった一本のクレバスの門もお湯から出た今容易く涎を垂らすことはないだろうが、例えば指先でこづくだけ、皮被りの陰核を少しでも刺激されれば、恥ずかしいお漏らしも知られてしまうだろう。

「いいかもねー、お揃いおねしょ。あ、入るかな、おむつ」
「みずきにはむりだな……。おっきいし、けつ」
「うるせえ幼児体型。ほれっ、足あげて」
「んっ……」

 幸か不幸か、もどかしさに腰を浮かせたいずみを、みずきは単におむつを穿かせやすいように協力しただけだと思っているようだった。先程までの如何わしい空気も、軽口にかき消されてゆく。
 いずみがぴったりフィットしたおねしょ用おむつから出た太ももや腹周りのギャザーを確かめている間に、みずきは畳んでいた寝巻きをベッドに並べていた。
 自分はちゃっかり20代女子が好みそうなルームウェアタイプのフリース生地パジャマを着ている癖に、いずみに渡したのは今時の女児好みのアイドルアニメのヒロインがポーズを決めた、キャラ柄のパジャマだ。中学生どころか小学生で卒業していてもおかしくないデザインが160㎝サイズまで用意されているのだから、近頃の子供はよほど体格が良いのだろう。

(子供にも負けるわたしって……おねしょパンツもしてるし……)

 ちなみにパジャマはみずきの趣味で着せられている。笑顔のアニメキャラが笑う胸元は、手をかざしても谷間など夢のまた夢と言わんばかりの大平原が続いている。いずみの長いため息をよそに、女児パジャマを着せるみずきの方は、おねしょ用おむつを穿かせる時より心なしか生き生きしていた。

「ほんっと、よく入るよねー。パジャマも子供用でいいし」
「みずきの趣味……悪趣味だ。ロリコンのへんたいで」
「いいじゃん、お互いヘンタイ漫画描いてるんだし」
「お前はさっさと、どくりつしろ」

 着替えが全て終わった後は、二人同じベッドに潜り込む。ダブルベッドほど大きくないが、一人と半人前なら寝返りだって打てるサイズだ。ベッドの中では向かい合う時もあれば、背を向けて早々に眠りにつく時もある。

「えー、おねしょの世話できなくなるけどいいのかよー」
「おやすみ」
「もー拗ねるなってばー。はいはい、おやすみなさいっ」

 今日は、疲れるばかりの日だったから。
 いずみは物欲しそうな友を背に、一人先にうもうぶとんに身を埋めると、胎児のように全身を丸めていった。

 ***

 どんなに体を温めて、水分制限してみたところで、生まれてからずっと付き合ってきた夜尿癖は、ちょっとやそっとの努力でおねしょっ子を解放してはくれないらしい。
 深夜、ごそごそと寝床が動く感触がして、いずみは目を覚ました。

「……ん」
「寝てな、今日は疲れたんだし、すぐ替えるから」

 帰ってきたのはみずきの声。布団の中で温まっていたはずの下半身が酷く寒いせいで、今の状況を悟ってしまった。

(そっか……今夜、もうやっちゃったんだ……)

 体は小さな癖に、いずみが一晩に漏らすおねしょの回数は平均して3回前後になっている。就寝直後の決壊、熟睡して夢を見ている間の漏水、そして寝起きの大洪水。

「いま、なんじ……?」
「一時すぎ。ほら、いいから」

 すっかり寝入ったと思ったのに、まだ一回目のおねしょらしい。一回より二回目、そしてラストと、いずみのおねしょは最後になるほど酷くなる。人類の神秘だとみずきも首を傾げていたが、いずみにはそれも無用の長物でしかなかった。

「なあ……みずき」
「ん、なーに」

 ただ、夜に二度、早朝一度。新生児に数時間おきにミルクを与える母親のようなみずきに、頭がさがるばかりだから。

「……ありがと」
「どーいたしまして」

 いずみは感謝の言葉一つ残して、再びおねしょの待つ深い眠りへ落ちていった。

 ***

 清村いずみだって、やるときにはやるのだ。……たまに。
 そう、少しでもドヤ顔をして見せたくて、みずきより早く起きようとする日がある。公開野外おねしょのショックに涙を見せた翌日が、たまたまそんな日だった。
 起きた時には、まだ隣でみずきは横になっていて、おむつはおねしょで濡れていたけど、まだみずきの手で交換されてはいなかった。

「……よ、よし。これで、みずきより早く――」

 そっとベッドから降りて、パジャマズボンを脱いでゆく。おねしょおむつはズボンの中で、買いすぎで今にも破れそうな、スーパーのビニール袋みたいに下に垂れ下がっていた。

「う、うわあ……」

 おねしょおむつは人の手で替えて貰うののが当たり前になってから、いずみはしばらく自分の失敗の結果を直視する機会を失っていた。フロントプリントからクロッチにかけて、くっきりと浮かんだおねしょお知らせサインがなくても、大量のおしっこを吸った生地はその重みでおねしょの失敗をいずみに訴え続けている。布団に蒸されていたから生暖かいものの、ちょっと足をうごかすだけで、ぐじゅっ、ぶじゅうと禍々しい水音が股の間から響いている。その上、恐る恐る歩く内に、おねしょおむつだけの下半身も次第に冷えてゆく。

(う……ま、まだおしっこ、残ってるなんて……)

 朝一の尿意が、いずみのお腹の中で渦を巻く。すぐにトイレに行かないと間に合わないと、おむつで膨れたお尻でよちよち歩きを始めようとした時に。
 背後に、いずみを覆う影が忍び寄る。振り返るより早く、影に抱きつかれてしまった。

「お、一人で起きられたんだ。えらいえらい」
「や、やめろっ!? いま揺れたら、おむつからもれるっ」
「あ、おしっこ我慢中?」
「そうだっ、だから……み、みずき?」

 せっかくドヤ顔できると思っていたはずの、いずみの顔が不安の色に染まってゆく。両脇を抱き上げられ、子供みたいに抱っこされたことに抵抗して振り向くと、みずきの顔は格好のおもちゃを見つけた、いたずらっ子の顔になっていた。

「くふふっ、せっかくだし、お手伝い、してあげよー」
「や、やめっ、ちょっ、やだっ、だっこはやあぁっ!?」

 みずきの腕が両脇から両太ももへと移り、いずみはおむつのままM字開脚させられて、部屋からトイレへと運ばれてしまった。乱暴な輸送では、限界寸前の尿意が決壊するのも容易い。トイレに続く廊下の道には、いずみの朝一おもらしが、点々と痕を残す結果になってしまった。

 ――この後、この夜尿百合生活が、いずみの作家キャリアに大きく貢献することとなる。

『先生のおねしょ単行本、増刷決まりましたよ! 次もまた、新しいおねしょネタで――』


thanks やにょ□P @onesikaP

trash #033


 そこは、窓一つないというのに、ひどく明るい雰囲気に満ちた空間だった。やさしいベージュカラーの壁紙が囲み、おだやかな暖色灯が照らす部屋の中は、厳重に塞がれた出入り口には不釣合いな物たちで溢れかえっている。
 床は転んでも痛くなさそうな、やわらかそうなフェルトのマットレスが一面に敷かれている。上にはガラガラやおしゃぶり、よだれのシミでくしゃくしゃになったぬいぐるみまで、足の踏み場もないほどそこかしこに転がっていた。特に目を惹くのが部屋に備えられた家具や収納の数々だ。転落を防ぐためにしっかりと柵で囲まれた木製のベッド、カラフルでファンシーなデザインが踊るベビー服が並んだオープンクローゼット、そして、まるでドラッグストアのように陳列された様々な種類の幼児用紙おむつのビニールパッケージが並ぶ大きな棚。
 そんな『保育室』と呼ばれるに相応しい環境の中で、ベビー服姿の女児がべそをかきながら、エプロン姿の保育士から逃げ回っていた。

「やめろよおっ……。わたしはおとななんだよ、おとななんだったらあっ!やだっ、こっちくんなぁ……!」
「そんなこといわないで。先生もこまっちゃうから、ね?」

 赤ん坊は耳まで林檎のように赤く染め、頬を涙で汚しながらいやいやと頭を振って逃げ惑う。その必死さに反して、姿も仕草も見るものの庇護欲を想起させるほど愛らしかった。淡いピンクカラーで統一されたボディスーツタイプのロンパースは、こもこの起毛の生地で体を覆い隠しており、丸みを帯びたフォルムになっていた。特にお尻周りはまるでかぼちゃパンツみたいに膨らんでいて、歩く度に左右にふらふらと揺れるものだから、不安定な歩行は歩き始めたばかりの赤ん坊を思わせるよちよち歩きになっている。そんな立つのもやっとの歩みは、すぐに追っ手の手に捕まってしまった。

「あらあら、そんなに急いであんよしたらまた転けて、えーんえーんしちゃうでしょ? さぁちゃんはまだ赤ちゃんだから、そんなに急いであんよしなくていいんだよ」
「だからっ、わたしは赤ちゃんなんかじゃ……!」

 保育士の言葉にムキになり、振り返ったが最後。『さぁちゃん』と呼ばれた女児は、保育士の腕に抱き抱えられた。

「はいっ、捕まえたっ!」
「ひっ、やめろっ、ばかぁっ、へんたいぃっ……!」
「もう、変態じゃないよ? さぁちゃん、いい子にしてないとおっきなお姉ちゃんになんてなれないよお?」
「わ、わたひはっ……もう、おっきいのにっ……!」

 保育士の腕に抱かれて、宙に浮いた足をバタつかせながら泣き喚く女児の口調は辿々しくも、はっきりと自己主張を示している。その言葉も、何一つ間違っていない。だが、この部屋で1番おかしいのは、保育士に抱かれた女児の方だった。

「お姉ちゃんなら、おむつにおもらししないでしょ? さぁちゃんはまだ、ちっちも言えない赤ちゃんなんだから」
「やだ……いっちゃやだっ、そんなこと、いうなぁ……!」

 保育士の言葉に涙ぐむ女児は、150㎝以上はありそうな身長に大人びた青年期の顔つきといい、保育園児どころか女子高生相当の発育を見せていた。それなのに、口元には甘ったるい匂いの漂う人工ミルクの痕を、頬には流した涙の轍まで残している。そんな生後1年未満の赤ん坊同様の汚れが染み付いた「おっきな」女児は、『おもらし』や『おむつ』の言葉を聞いた途端、まるで発作のように怯えだしている。すぐに慌てて両股を強く閉じるも、保育士の手がそれを阻んだ。

「それなら、確かめなくっちゃね。さぁちゃんはお姉ちゃんかな? それともぉ……」
「いやぁ……」

 かぼちゃ状に膨らんだ大きな赤ん坊の下半身は、股間からお尻にかけてモンキーパンツのように垂れ下がっていた。宙に浮かべば重力に引かれてより強調されたその部分だけ、大きなボタンが放射状に、取り囲むように並んでいる。保育士は赤ん坊を抱いたまま、片手で器用にそのボタンを外してゆく。ぽふっ、と鈍い音が上がり、布地に隙間が開く度、赤ん坊の表情もより一層悲壮さに染まっていった。

「ね、ねえ、ちっちないから……おねがい、やめてよ……ねえ、ねえってばぁ……」
「えー、ほんとに? でもさぁちゃん、さぁちゃんのおむつ、もう『おしっこお知らせサイン』、浮かんでるよ」
「うそ……うそ、だよねっ……ねえっ……!?」

 告げられた真実に固まった赤ん坊を、保育士はベビールームの端に置かれたベビーベッドへと横たえてゆく。露わにされた彼女の下着は、保育士の言う通り、赤ん坊の穿くようなデザインの紙おむつだった。高々と持ち上げられた、すらりと伸びた両脚の付け根には、横漏れ防止のギャザーがしっかりと備わっていて、その間に見えたクロッチ部分――おしっこを受け止める高分子吸収体の箇所には、黄色く染まったライナーの上に、青いラインがくっきりと浮かんでいる。受け止めた量も多かったのか、薄いボディライン上に盛り上がったなだらかな丘陵は、ずっしりとした重量感さえ備えているようにも見えてしまう。呆れたように笑う保育士に上体を支えられ、身を起こした赤ん坊も、自分の失態を見せられていた。

「いや……し、してないのにっ、なんでっ、なんでっ……。やだ……こ、こんなの、わたし……どんどん、赤ちゃんになっちゃうなんて……」
「だから、私がいるんでしょ? ちゃんとさぁちゃんのおむつのお世話してあげるから、心配しなくていいんだよ」
「いやぁ……。あ、あかちゃんじゃないもん! おねえちゃんだもんっ……おねえちゃんなのぉ、おむつはいやぁ……!」

 赤ん坊の泣き声はすぐに嗚咽に変わり、ベビールームに響き渡る。保育士はベッドの下から新しい着替えを取り出すと、あやすように笑いながら、赤ん坊の前にそれを差し出した。

「ほら、さぁちゃん。新しいおむつ、どれがいいかなぁ?」
 それはプライドを踏み躙る死刑宣告。号泣で答えた赤ん坊は、もう『お姉ちゃん』の言葉さえ忘れているようだった。

***

 大義のためと、信じてきた。それなのに、目の前を遮る壁のようなガラスの向こうに、目を疑う景色が広がっている。

「……何なんですか、これは」
「立派な保護処置だよ。熟し過ぎた近代社会の持続性に寄与する最も新しい社会福祉実験」
「はぐらかさないで……こんなのが福祉だとでも!?」

 同じ白衣を着ていても、向かい合う二人の少女の間には越えられぬ溝が刻まれていた。一人はガラス越しに繰り広げられた『幼児保育』に無関心で、デスクの上に並べた書類に目を通して離しもしない。その無関心に眼前の光景に衝撃を受けたばかりのもう一人が、強い口調で糾弾の意思を訴える。だが、訴えられた側の返事は、ガラス窓をコツコツと軽く叩くだけ。

「五体満足に産まれながら自己意思で決定する事を放棄した怠け者、『学習性無力感』なんて責任放棄の換言で他者依存に逃げた愚か者を救うプログラム」
「ふざけないで! 人格に対する冒涜じゃないですか!」

 繰り返される詭弁を前に冷静さは失われていた。剥き出しの怒りをぶつけてぶつかるも、詭弁は更に重ねられた。

「知ってるでしょ? ガラスの向こうのあの子たちのこと。今までずっとワガママと言い訳を繰り返して、自分の足で歩もうとさえしなかった。それって、私たちが手を下すまでもなく、もう充分に――赤ん坊と同じ生き方を選んでるんだよ」
「だから弄んでいいとでも! 私は更生プログラムだと信じて彼女たちを連れてきたんです、それをあなたは!」
「そうだよ。わたしは彼女の望んだ未来を彼女が指一本も動かさずに叶うように手伝っただけ。ほら、あの子もあんなに可愛くなれて……きっとみんなに、愛して貰えるよ」

 書類から顔を上げるなり、ガラス戸の向こうを見つめたもう一人の白衣は、再び始まろうとするベビールームでの『更生プログラム』の様子を前に、無邪気に瞳を輝かせていた。

 ***

 ガラス戸越しに映る保育室内の保育士と大きな赤ん坊は、覗く二人の白衣の視線にさえ気づいてはいなかった。むしろ、赤ん坊はガラス戸のある方向から顔を必死に背け続けていた。

「さぁちゃん、またおめめギュってしちゃってるね? 先生もお部屋もこわくないよ? ほら、イヤイヤしてたら折角替えたばかりの可愛い紙おむつさんも見れないよ?」
「みなくていいっ、いいからっ……。やらよぉ……!」

 まるで強いお化けでも避けるように怯えに萎縮するものだから、同じ位の背丈の保育士も世話を焼くのに苦労した様子はない。おもらしおむつを替えた間も、ベビーベッドから抱きかかえた時も、ガラス戸の前に両手で支えて立たせていた今も、赤ん坊はずっとまぶたを固く閉じ、己の視界を閉ざしていた。
だからされるがまま。五体を支える保育士にとってもこれほど御しやすい状態もなかった。

「あ、さっき替えたおむつ、もうちっちサイン出てる」
「うそっ!? し、してないしっ! ――あっ」

余裕のない相手ほど他愛ない嘘にすぐ引っかかる。保育士の言葉に唆されて、頑なに塞いだままの瞳はあっけなく開かれていった。ありもしない失敗を鵜呑みにするほど、赤ん坊の方も自分の体を信じられずにいるようだ。それも、今の彼女にしてみれば無理のない話だった。

「あ、あぁ……! う、うそっ……この、うそつきっ……!」
「ごめんね、こうしないと、さぁちゃんも見てくれないから」

 眼前の光景を目にするや否や、赤ん坊はわなわなと唇を震わせたまま、怒りと悲しみ、羞恥と絶望をない交ぜにしたような、絵もいわれぬ表情を浮かべてゆく。涙に滲む視界に、逃げ場などあるはずもないのだ。壁一面、鏡張りの向こう岸には、保育士に脇を抱えられた、紙おむつ丸出しの大きな赤ん坊が泣きべそをかいていた。下卑た視線もそれを非難する糾弾の声も鏡像の境界一つに阻まれて、保育室には届かない。マジックミラーの檻は、常に被保育児たちに赤ん坊になった自己像を容赦なく突きつけている。

「こ、こんなことしてっ……ぜ、ぜったい、ゆるさないからっ……! わ、わたしを、元にもどせっ……。あ、赤ちゃんなんか、するんじゃねえぇっ……ぐすっ……!」
「さぁちゃん、イヤイヤさんが治らないねぇ。この前躾直してあげたばかりなのに、また可愛がって欲しいのかな?」
「い、いらないっ……わ、わたしっ、おむつも、服も、あ、あかちゃん、じゃないぃっ……。こんなのちがう、違うったらぁぁぁっ……!」

 大きな赤ん坊も繰り言のように、朝も夜もオムツも幼児服もいやがるばかりで、飽きずに泣きべそをかき続けている。保育士もその強情さに呆れた苦笑いを浮かべながら、エプロンのポケットから、赤ん坊のための玩具を取り出してみせた。

「ふぅん、あくまでもまだ、おねえちゃんのつもりなんだ? でもね、さぁちゃんがお姉ちゃんなら」
「な、なんだよぉっ――んぐっ!」

 保育士が玩具を赤ん坊の口に突っ込むと、柔らかいプラスチックが舌を押さえ、咥内を根こそぎ塞いで圧迫してゆく。

「いあ、やめ、むぐっ!? んぐっ、んううっ、んぐうっ!」

 捌ききれない異物感が喉に嘔吐反射を引き起こすも、吐き出す出口を奪われた空気や唾液が気管に入り、赤ん坊も悶え苦しみながら床を転がる羽目になった。涙目で見上げる赤ん坊がおかしくて、目尻を下げたままの保育士の瞳にも、隠しきれない嗜虐の光が宿ってゆく。

「おしゃぶり、ちゅぱちゅぱなんかしないよねえ?」

 保育士の言葉で、赤ん坊は瞳を恐怖に震わせた。その仕草の滑稽さに保育士の口元も不意に歪む。薄く形を歪めた唇の隙間から、白い八重歯が牙のようにちらついた。

 ***

 勉強もイヤで、人間関係もウザかったから、楽して暮らせるならそれでいい――それが志村早月が『さぁちゃん』にされる前に提出した、『稚育更生同意書』への志望動機だった。
 今はもう夢に見ることもなくなった過去の過ちが、さぁちゃんとして生きることを強いられた彼女に、恥辱に満ちた地獄を与え続けている。

「さぁちゃんはほんとにおしゃぶり大好きだねえ。ちゅぱちゅぱ、そんなに欲しかったんでちゅかあ? うふふ……」
「う、あうぅっ……んっ、くちゅっ……れぅ……うぁ……」

 あんなにイヤがったおしゃぶりも、口に入れられた瞬間、早月は無我夢中で吸い付かずにはいられなかった。慢性的な苛立ちと不安感で思考もまともに回らなかったところに、甘い味が口の中に広がった瞬間、同時に頭の芯が鈍く痺れ、激しい嫌悪も絶望も、緩慢な思考の中でゆっくりとほどけてしまった。おしゃぶりに含まれる薬物は、一時の快楽と引き換えに早月の精神に重度の依存性を形成している。早月も保育士から与えられたミルクやおしゃぶりのせいで、赤ん坊のような衣装と言動を躾けられたのだと自覚していても、抵抗の意思の縁だった感情は、今も一握の砂同然にこぼれ落ちていた。

「おいしそうにちゅぱちゅぱして……ほら、お口がよだれでべとべとだよ? さぁちゃんによだれかけしててよかったよね」
「むぅ……う、ふううっ……むっ、ふぅぅ……」

 床に座る保育士に抱かれた状態から、なけなしの気力で瞳に力を入れて睨み返そうとするも、甘ったるい味の多幸感に蕩けていた身体はとうに脱力しきっており、まるで本当の赤ん坊のように、頬の筋肉までゆるんでいた。おしゃぶりを吸う力も徐々に鈍り、口角からこぷりと上がった小さな泡と共に、だらだらとよだれまでこぼれてしまう。

(なんで、だよぉ……わた、し……このまま、あかちゃんに……)

 赤ん坊になんか、されたくない――早月はそう想像するだけで、悍ましさに怒り、立ち向かうことができたはずだった。だが、保育士の『幼児保育』が早月から年相応の自我を奪い、『甘えん坊のさぁちゃん』の人格を上書きしてゆく。

「あら、さぁちゃん、にこにこさんになって。おしゃぶりちゅぱちゅぱできたのが、そんなにうれしかったんだぁ?」

 見下ろした保育士は自分より年下のガキの癖に、まるで聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。こんなに屈辱的なことなんて、舐められることが何よりも嫌いだった早月には許し難い仕打ちだったのに。
 保育士の柔らかい手が、そっと早月の頭を撫でた瞬間。

「ふ、あぁっ……!」

 反射的に漏れた甘い声に、早月の顔は火がついたように赤くなった。喜悦に蕩けた吐息交じりの声色は、物心つく前の声、言葉ですらない幼児の発語――喃語そのものだった。

(い、いまの、私の声っ!? び、びっくりしただけだっ、今のはまぐれでっ……!)
「ふふっ、かわいい声。さぁちゃんの声、先生ももっといっぱい聞きたいなぁ」

 慌てた早月を見透かすように、保育士は撫でる手を止めなかった。手櫛でそっと梳くような、やさしい手つきが早月の心をざわつかせてゆく。

(な、なんだこれっ! ぞくぞくって、なんでっ、わたしうれしくなってぇっ!!)

 死を望むほどに強烈な羞恥心に襲われた直後、激情はすぐに歓びへと変わった。脳髄を白く焼き切る電撃的な奔流が、早月の身体の隅々に伝わると、眼前の景色さえ輝きだした。

「ひぅ……。あむ……ふぁあん……。ちゅむ、ちゅく……」
「さぁちゃん、いい子いい子。さぁちゃんはかわいい赤ちゃんでちゅもんねぇ」

 聖母に抱かれた神の子のように保育士の腕の中で体を揺らされ、『22才にもなる大学生が、5つも年下の高校生に「かわいい赤ん坊」扱いされている』。早月はその異常さに、ほんの数分前まで怒りと絶望に身を焦がしてきたはずだった。
 それなのに、口をついて出た言葉は。

「しょっ……しょんなこと、なひぃ……。かんひかい、しゅんにゃ、ばかぁ……」

 回らない舌で必死に紡いだ言葉は隠しきれない喜色に震え、声色は保育士の慈愛に感謝さえ伝えていた。

(わけわかんねぇっ、へんなことされて、わたしっ、わたしっ……あかちゃんにされて、ひあわせなってりゅっ……!)

 抵抗の余力など、もはや微塵も残っていない。
 早月を抱いた保育士が笑顔でいてくれるだけで、『さぁちゃん』が無邪気な喜びを爆発させてしまうから。

「さぁちゃん、おむつ替えたしハイハイの続き、しよっか?」
 そっと床に戻された時には、早月の返事は決まっていた。
「うんっ!」

 先程まで保育室に響いていた抵抗の泣き声は、保育士の世話によって、あどけない嬌声に変わっていた。ベビールームの中で再開された追いかけっこは、今度は笑い声に満ちた微笑ましい光景を見せている。

「さぁちゃん、待って! ほら、またおむつのちっちサイン変わってるよ!」
「さぁちゃん、ちっちおむつでいいもんっ! せんせぇが、おむちゅかえてくれるからぁ!」

 黄色く染まったお尻を振り、けらけらと笑う22歳児の赤ん坊と、困ったように笑いながらそれを追う、17才の保育士。
 戯れる彼らの表情に、不幸の色は見えなかった。マジックミラー越しに全てを見つめる、糾弾者の絶望も届かぬほどに。

 ***

 糾弾者の前に繰り広げられたのは、目を疑う光景だった。怒りや同情、嘆きさえ沸かなかった。

「赤ん坊のように……」

 紙の上でしか知らなかった『再教育』の実態に直面して、呆然とたたずむ彼女に、今度は書類を手にしていたもう一人の白衣が向き直した。眼鏡を下ろし、こんなことは今更だと、一から子供に教えるように、淡々と口を開いてゆく。

「不幸に見えるから不幸なんて勝手な言い草だよね。処置の進んだ子を見ても同じこと言う? あんなに幸せそうなのに」
「選ばされた結果じゃないですか……あなたに無理やり!」
「生まれ落ち、名づけられる。始まりはみな受け身だよ。それに他人の幸福や意志を勝手に忖度した君はどうなの?」
「詭弁です、あなたの言葉は全て自己正当化でしかない!」

 見てきたものが虚ろでも、今語る相手の欺瞞なら分かる。ようやく湧いた怒りに任せて、糾弾者は怒声を飛ばした。
 だが、それでも、向かい合った少女の表情は崩れない。

「わからないか……。なら、自分の身で確かめればいいよ」

 彼女が冷たく言い放って背を向けると、部屋のドアが乱暴に開いた。同じ白衣を着た少女たちが、糾弾者の両手を掴み、部屋から引きずり出してゆく。

「いや、やめて……! 私は、あの子たちみたいになんかなりたくない! やだ、離せっ、こんなの絶対間違ってる!!」

 力の限り暴れながら、それでもゆっくりとドアへと引かれていく糾弾者に、向き合う者はもう振り向くことはなかった。

「間違ってるかどうかは、処置が終わったら報告してくれたらいいよ。それができる知性があなたに残っていれば、ね」

 一瞥もせぬままに背中で応え、長く続いた呻き声の最後に、ドアが閉まる音がした。
 それでも、部屋に残った少女は、注意一つ引かれることもなかった。彼女がどうなろうと関係ない――そもそも、初めからいなかったのだとでもいうように。


 一番古く鮮烈な記憶は、目がくらむほどの電気ショックの衝撃だった。首筋に焼ける痛みを受け、遠のく意識の中、誰かの声が木霊していた。
『処置の用意を……佳……新しい被験者に……』
 抵抗の間もなく気を失ってから、もう何日経っただろう。
 日下部史佳を取り巻く環境は、理不尽に満ちていた。

「あっ……う、あうぅっ……!」

 繰り返す悪夢から逃げるように目覚めると、辺りは薄暗い保育室の中、檻のような柵付きベビーベッドの上だった。
 身長こそ低くても、史佳も一応17歳の高校生だ。切れ目がちの冷ややかな瞳にすっきりとした顔立ちは同世代より大人びてすらいる。見た目相応の落ち着きを備えた少女は、当然初めのうちは意図の見えない悪趣味に悪態も吐けたし、着せられた服装を馬鹿らしいと鼻で笑うこともできた。
 第一、どう見ても狂気にしか見えない環境を見れば、笑うしか他にない。
 部屋の丁度品も幼稚な服装も、手足も伸びきった一介の人間を、まるで赤ん坊に見立てたスケール感で統一されていた。
 上下がひとつなぎに縫い合わされたロンパースによだれかけ。転落防止用の柵は160cm以上はある巨大なベビーベッド。その錯誤しに見えた水色のおまるも、ドラッグストアのように棚一杯に並んだ紙オムツのパッケージまで、全てが史佳が自分を赤ん坊に戻ってしまったかのと錯覚させるためだけに作られていた。
 だから、本当は笑い飛ばせばいい――理性も知性も、必死に胸の内で叫ぶのに。
 強いられ続けた拉致生活の日々は史佳の心身に異常な変調を引き起こしていた。

「くっ……は、はやく、行かなきゃ……。ひっ、ひぃんっ……!」

 四方を囲む柵を力尽くで外し、ベビーベッドから床に降りたとき、史佳は小さな嬌声を上げてしまった。この数日、史佳は突然強烈な尿意に襲われ、その度に恥ずかしい粗相を繰り返してきたのだ。些細な変化にさえ麻痺したのか、身体は排泄の自由さえ失っていた。

(今日こそ、今日こそは、ぜったいに――。トイレで、するの……っ。オモラシなんか、絶対にしないっ、おまる、おまるがいいからっ!!)

 17才にもなって情けない言葉を胸の中で繰り返す屈辱も、本当の幼児みたいにおしっこも我慢出来ずにオモラシも我慢出来ない恥辱よりはマシだった。全てが自分のサイズに用意された狂気の保育室で、史佳は毎日おぞましい幼児扱いを受けてきた。例え抵抗しても、漏らした事実を嘲笑されるのだけは堪えられない。
 涙で滲む視界できっと睨みつけた先には、水色の大きなおまるが鎮座している。だが、いまの史佳にとってそれはたった数歩の距離さえ手の届かない玉座だった。

「っ……はあ、あぁ……っ」

 かわいいよりもキレイと呼ばれるのが誇りだったクールな表情も、今や見る影もなく歪んでいた。がくがくと内股になった膝も笑い、立っているのもやっとだ。
 限界水位まで尿意を溜め込んだ膀胱は、表面張力で保たれたコップの水面にも等しい。
 下腹に重くのし掛かる切迫感で、一歩踏み出せば息が切れ、肺呼吸の刺激さえいたずらに下腹を揺らしてゆく。
 久遠に続く苦悶に苛む地獄は、衰弱した史佳の心裏に白昼の悪夢を幻視させた。

『まるでオムツの取れない3歳児のみたいな繰り言なんて、情けない』
『その格好、恥ずかしくないの? 幼児どころか赤ん坊じゃない』
『ほら、お尻あげて。史佳ちゃんの大好きな、新しい紙オムツあててあげるから』

 『エプロン姿の保育士』は、ベビーベッドの上で涙と絶望で溺れた史佳の痴態を嗤い、『オムツ離れできなかったために、10年以上も留年している乳児園の落第生』であるかの如く扱ってきた。蘇る恥辱の記憶に、指先の神経まで凍ってゆく。怖気で背筋の震えも止まらない。奥歯さえ小刻みに鳴り出して、股ぐらもじわりと灼ける熱を帯び始めている。

(あ、赤ちゃんなんかじゃない……。こんな服、押しつけられただけなのに! 嫌だ……。オモラシなんかしないっ……オモラシしたらまた、わ、私、赤ちゃんにされちゃう……!)

 部屋の隅にある姿見には、よだれかけを首に巻き、ロンパースの腰をパンツ型紙オムツでもこもこにした大きな赤ん坊がいつも映っていた。『自分もいつか、本物の乳幼児に変えられてしまう』――理性で必死に否定しても、理不尽な恐怖心が史佳の心を侵してゆく。

(いや、だっ……そんなの、絶対に……)

 史佳がいやいやと頭をふった瞬間、すっと一滴、口元からて涎が零れていった。
 ただ、それだけのことで、頑なな心に再び呪詛が響き渡る。

『幼児どころか赤ん坊じゃない』

「あ……あ、あぁ、ああぁ……!」

 それを自ら認めた瞬間、堪え続けた史佳の堰は情けなく崩壊してしまった。

 ――じゅっ、じゅわわっ! じょっ、じょおおっ、しょおおぉぉ……!

「やっ……や、やだっ……! やだ、私、おしっこまだなのっ! いやああっ!!」

 誰もいない保育室の中で、史佳はおまるを目の前に、膝を着いて大声で泣き出していた。両手で股ぐりを握りつぶし、必死に押し止めようとした尿意は、指の隙間から零れる砂のように、無様な哀願を嘲笑いながらこぼれ落ちてゆく。

「おまるっ、おまるがいいのっ! やだ、いやだよお……! ひっ!? とまれっ、とまってよ……! オムツのあかちゃんになんか、なりたくないよぉ……!!」

 溺れるほどの涙に咽び、途切れ途切れに喘ぐ間も、我慢失禁は止め処なく溢れ続けた。紙オムツの吸収量を超え、ギャザーの中から溢れた湖は太股に幾つものせせらぎを産み、ロンパースをぐずぐずと汚した大洪水は足下にまで水浸しにしていく。眼前の大惨事に、史佳は呆然と立ち尽くしていた。何一つ出来なかった無力感に打ちひしがれ、縋り付いたはずの自尊心を自ら裏切る愚かさを呪い、感情の奔流に任せて大号泣の醜態を晒してゆく。

「なん、でぇ……おかし、いよ……ひぐっ……ないちゃダメ……、ダメだったらぁ……! ひぐっ、うえぇん……!! うああああああん……!!!!」

 日々、少しずつ得体の知れない何かを喪失する中で、史佳はまだ『自分が17才である』という記憶だけを残していた。だが、不幸にも少女としての自意識が、幼い自分を全否定する。
 赤ん坊にだけはなりたくない。叶わぬ願いにしがみついて泣きじゃくる史佳の姿は、自分が一番なりたくなかったであろう、赤ん坊そのものだった。


「ひぐっ、ぐずっ……うええっ、うあああん……っ」

 せめて一人で泣けたなら、みじめな気持ちにひたることもできただろうに。
 囚われの身の史佳には涙を隠す自由すらなかった。

「あらあら。史佳ちゃん、また勝手にベッドから降りて。どうしたのかなぁ」
「こ、こないでっ、もう、嫌なの……。早く私を、私の家に帰してよおっ……!」
「もう、おかしな史佳ちゃん。ここが、あなたのおうちじゃない」

 史佳がオムツを汚すたび、『エプロン姿の保育士』は必ず保育室にやってきた。史佳が涙を拭いながら解放を訴えても、保育士はただ頬に手を当て、呆れたように笑うだけだ。どんな言葉も赤子の戯言として流す態度に、史佳も語気を強めて尚も迫ってゆく。
 だが――。

「な、何バカなこと言ってるの!? 私の家は……私――わたしの――あれ……?」

 反論はすぐに勢いを失った。思い出そうとしても、自分の家が思い出せない。
 不自然な記憶の欠落に気づいてしまい、史佳の顔からも血の気が引いてゆく。

「あ、あれ……? ね、ねぇ……。私の家って……ど、どこだっけ……?」
「史佳ちゃんはずっとここにいていいんだよ? 史佳ちゃんのおうちだもの」
「ち、ちがうっ、ここじゃない!! ちがうのに……私の、家は……」

 不安に震える史佳をよそに保育士は史佳の着替えの用意を始めていた。保育士は棚に並ぶ紙オムツを一枚一枚抜き取ると、また史佳の元へ戻ってきた。

「大丈夫、お姉ちゃん怒らないから。史花ちゃん怖くてちーでちゃったんだよね」
「ちがう! ちがうからっ! 私は……ぐすっ、私の家はここじゃないの……。お、オモラシじゃなくてっ、私、おまっ……うう、おしっこしようとしたのにっ」

 年相応の抵抗もまだ赤ちゃんだからと笑われた。幼児扱いされるたびに冷静さも失い、ムキになってしまう。何より濡れて冷え切った紙オムツが、史佳の心を弱らせた。反論も次第に勢いをなくし、びくびくと卑屈に怯えた表情を隠すこともできなくなった。

「違わないでしょ? ほら、史佳ちゃんのオムツ、おしっこでたぷたぷだよ?」
「言わないでってば!? オムツなんて穿きたくないのに!! もう、やめてよ……ぐすっ、もう、やめてえ……。えぐっ、わたし、あかちゃん、やなのおっ……!」
「じゃあ、ちゃんとちーでたって教えてくれる? 史佳ちゃん、いっつもオモラシ教えてくれないんだから」
「だってそれは、おねえちゃんが……。おしっこのときにいないからぁ……っ」

 史佳が幼稚な非難をぶつけても、保育士の笑顔は一向に崩れはしなかった。無力感は依存心を肥大化させる。気持ちに引きずられた口調も甘ったるく、幼い響きに変わり果てた。

(私、人のせいにするなんて、赤ちゃんみたいなこと、言いたくないのに……。いつの間にか保育士のこと『おねえちゃん』なんて呼んで、甘えちゃってるの、恥ずかしい……!)

 感情の暴走に呑み込まれ、日に日に『オムツの似合う赤ん坊』に近づいてゆく。そんな自身の変化に顔を隠していやいやと首をふった史佳を、保育士は尚も追い詰めてきた。

「ほら、史佳ちゃんのお気に入りのオムツ選んできたよ? かわいいでしょ?」
「そ、そんなの……私穿かないからっ、オムツなんて穿かせてバカなのっ!?」
「ふふっ、おかしな史佳ちゃん。オモラシしちゃうからオムツなんでしょ?」

 保育士が見せた紙オムツのせいで、史佳の瞳にじわりと涙がにじむ。昔CMで見た覚えのあるデザインは、ハイハイを始めたばかりの乳幼児が穿いた、パンツ型紙オムツだった。
 史佳がいま穿かされていた紙オムツは、立ちあるき期の幼児のための紙オムツだ。それよりも一つ成長の階段を降ろされたような扱いが、史佳のプライドを否が応にも逆撫でる。

(あ、あんなの穿いたら、また赤ちゃんにされちゃう……! オムツなんか要らないのに、オムツに慣らされて……。これ以上オモラシはイヤなのに! オムツなんかやだっ!!)

 保育士の手の中で鈍い音を立てながら、濡れたロンパースの股ボタンが外されてゆく。緩慢な作業に抵抗を挟もうと史佳も腕に力を込めるも、彼女の腕に届く前に力なくベッドに墜落していった。

「うごかない……。お、おねえちゃんが……おねえちゃん、へんなことして……」
「私は何にもしてないよ? 赤ちゃんはまだお手々あそびも上手じゃないもんね」
「だから赤ちゃんじゃ……さ、触っちゃダメ! 汚いからっ、汚れちゃうから!」

 史佳の必死の抗議も虚しく暴かれ、オモラシに濡れた紙オムツは、保育士の手に拠って全て晒されてしまった。前から後ろにまで広がった全面吸収帯は隙間無く膨らんでいて、クロッチ部からフロントプリント部に到るまで『おしっこおしらせサイン』の青い絵柄を浮かび上がらせていた。保育士が膨らんだ紙オムツからの漏れを確かめるように、サイドギャザーに指をなぞらせた途端、史佳の足回りから幾つも雫がこぼれていった。おしっこを受け止めるはずの紙オムツでさえ漏らしてしまった尿量はぶじゅう……と間抜けな水音を立てながら、細い脚や無毛の肌に伝わって、オムツ替えシートまで汚してしまう。

(お、オムツの音……聞いたら、へんになっちゃう。やだ、いやだ……わたし、また、あかちゃんみたいにないちゃうっ……)

 保育室で起きた変化は、史佳の理解をとうに超えていた。『毎日17才でいられた頃の記憶』なら自制のできた言動も、日々保育士と過ごす中で少しずつ抑制を失い続けていた。
 せめて過去の記憶を頼りに元の自分を取り戻そうとしても、最近では記憶さえあやふやで、不安になる度にオムツを濡らし、保育士の幼児扱いを恥じてまた涙する――そんな、とりかえしのつかない負の螺旋を描き続けている。
 史佳はすっかり幼くなった口調で、意識だけでも、保育士に逆らい続けてきた。
 それでも、現実はあまりに残酷で。

「ふふっ、大丈夫だよ。赤ちゃんのちっちは汚くなんかないんだから」
「だから私は赤ちゃんじゃ――ひっ!?」

 穿いていた『オモラシオムツ』を保育士の手の平で僅かに押されただけで、史佳の心にまた臆病心が蘇ってしまった。保育士は潤んだ瞳から一粒涙をこぼした史佳をくすくす笑うと、史佳のオムツのサイドギャザーを破り、おしっこの失敗まで指摘してきた。

「やめて、おねがい……。オムツ、あかちゃんいやっ、やだって言ってるのに!!」
「ねぇ、史花ちゃん。赤ちゃんオムツにこんなにちっちしちゃったのは、誰?」
「そ、それはベビーベッドが重くて開かなくて……。それで間に合わなくてっ!」
「いっぱいオモラシできて気持ち良かったんだよね? オムツにちーって、ね」

 汚くないなんていいながら、保育士は人差し指と親指で、両サイドの破れた紙オムツを開いていった。すっかり幼児同然の無毛化された史佳の秘所の真下で、レモンイエローに染まる絨毯がそっと広げられていく。手際よく引き抜き、重たくなった紙オムツを畳む時も嬉しそうな保育士の顔のせいで、史佳の涙もまた尽きることなく溢れだし始めた。

「ちがうったらぁ……っ。やめてよ……もう、やだっ、おねえちゃあん……!」
「いつまでもちっちでぐしょぐしょのオムツでいるから泣いちゃうんだよ。史佳ちゃんも新しいオムツにお着替えしたら、おねえちゃんと一緒に遊ぼうねぇ」
「あそばない、どうせ私のこと赤ちゃん扱いするくせに!! やだっ、やああっ!」

 濡れたオムツを脱がされる度、史佳の表情は情けなく歪んだ。太股をオモラシ防止ギャザーに締め付けられる感覚と人の手を借りねば着替えもできない幼稚さに、堪えきれなかった嗚咽まで口からこぼれてゆく。記憶ばかりを失いながらも、プライドだけは捨てきれずにいた史佳に最後のトドメを刺したのは、保育士が差し出した新しい紙オムツだった。

「ね、ちっちでぐしょぐしょのオムツじゃ気持ち悪いでしょ? サラサラの新しいオムツの方がきもちいいよ? 史佳ちゃんも新しいオムツ大好きだもんね!」
「ちがっ、ひぐっ、ちがうぅ……ちがうったらぁ……」

 保育士は軽口を叩きながらおしっこ臭い史佳の下腹部を手際よく清拭すると、先程目の前で見せた紙オムツを、片方ずつ持ち上げた史佳の足に通していった。
 それはまるで、本物の赤ん坊にするような、やさしい手つきだったから。

「すきじゃないっ、ひっく、えぐっ……。オムツもやだっ、赤ちゃんもやなのぉ……。かえしてよ、おうちかえしてぇ……。うえええっ、うああああんっ……!」

 感情を爆発させた瞬間、穿かされたばかりの紙オムツの中が熱くなっていった。
 それでも史佳は、取り巻く運命に泣きじゃくる以外の手を持ってはいなかった。


 史佳が過ごした保育室生活は、終わりのない悪夢だった。昼夜を問わず一日中浅い眠りにまどろみ、目が覚めてもすぐに激しい尿意に襲われる。我慢もできずにオムツを濡らしてしまう。必死に逆らっても保育士からは逃げられず、ベビーベッドで濡れたオムツを替えられてしまう。

(……一体、どうしてこうなったんだろう)

 一日の内に、史佳が理性を取り戻すことができる時間は短い。赤ん坊扱いの恥辱に堪えきれずに大声で泣き喚いた後に訪れる、倦怠感混じりのカタルシスに浸る間だけは、年相応の思考を取り戻すことができた。
 だが、それも刹那に過ぎない。オモラシの数と量が増えるのに比例して、史佳は自分の中で『何か』が変化していると感じていた。

(覚えておかないと。これ以上忘れないために。私が私でありつづけるために)

 例え人形のように着せ替えられても心までは奪わせない。決意を胸に秘めて虚空を見つめた史佳の姿は、皮肉にもか弱い理想に縋るばかりの、滑稽な夢想家でしかなかった。
 『最近史佳ちゃんのちっちも増えたから、オムツの中にオネショパッドも当てようね』――涙に溺れた時の史佳に、返事なんてできやしない。保育士は元より答えを聞きもせずに世話を焼くから結局されるがままになる。

(感情失禁……だっけ。こういうの、どこかで教えて貰った覚えが……)

 残り少ない過去を手探りで手繰りながら、史佳は口元に当てられたおしゃぶりをちゅう、と吸った。2枚も当てられたオネショパッドのせいで両脚も閉じられず、ずっとがに股に開きっぱなしになっている。腰がもこもこになったロンパースの中は、身悶える度にお尻が紙オムツがこすれ、サイドギャザーに足まわりを柔らかくくすぐられてしまう。
 
(オムツ……やわくて、あったかい……)

 あたまが、ぼーっとしてきた。
 ふわふわで、おめめもだんだんねむたくなった。
 そして、ゆっくりゆっくり、あかちゃんに――
 
(オムツ……きもちいい――っ!?)

 ――なってしまう、その寸前に。
 史佳は、真っ青な顔でベッドから飛び起きた。

(違うっ、赤ちゃんじゃない……! 違う、ちがうっ!! 気持ちよくないっ、キモチ悪いだけなの! こんな、赤ちゃん用のオムツなんか……!)

 そして、ほんの一瞬、オムツの柔らかさに浸ってしまった時に限って。
 最悪はいつも、獲物が弱った時に訪れた。

「史佳ちゃん、いっぱい泣いて喉も渇いたでしょ? 『お姉ちゃん』が史佳ちゃんの哺乳瓶、持ってきてあげたよぉ」 

 扉をあけてやってきたのは、今一番見たくない相手。保育士は朗らかな笑顔を浮かべながら、ミルクの入ったほ乳瓶を手に、史佳の元に近づいてきた。
 おかしな妄想にとりつかれたのも、自分を赤ん坊にした張本人のせいだ。その上『おねえちゃん』だなんて、狂っている。

「誰が、『おねえちゃん』なんて――っ!」

 狂った論理は一つとして受け入れられはしない。だから史佳も、怒りを込めて抗議の罵声を上げた――つもりなのに。
 叫びは、突然とぎれてしまった。
 得体の知れない違和感が、史佳の叫びを押し留めてゆく。

(あれ? 『おねえちゃん』……? わたし……この人のこと、覚えてるの?)

 忘れたはずの記憶の中に、覚えのない懐かしさを感じてしまう。
 見覚えのないはずの保育士が、どこからどう見ても『おねえちゃん』にしか見えなくなってくる。

「違う、ちがうの、『おねえちゃん』は『おねえちゃん』じゃなくて、その……」

 どこまで考えても答えのでない戸惑いは、蟻地獄のように史佳を不安の淵に追い詰めてゆく。
 あわあわと開いた口の端から、涎が一筋、首元のよだれかけに墜ちていった。

「大丈夫だよ、史佳ちゃん。『おねえちゃん』がちゃんと着いてるからね」

 『お姉ちゃん』がやさしい手つきで、史佳の口元を拭いてくれたから。

「う、うん……」

 史佳も、流されるままに頷いてしまった。
 にっこりと笑っていた『おねえちゃん』の瞳に、暗い輝きが宿っている事にも気づいていたのに――。

 ***

「イヤあっ!! 『おねえちゃん』っ、ふみのこと、あかちゃんにしちゃやだぁ!」

 ああ、まただ――頭ではそう気づいてる。
 史佳が気づいた振りをしてみても、溢れた恐怖は止められなかった。

「もう、おかしな史佳ちゃん。いつも『おねえちゃん』言ってるでしょ? ちゅぱちゅぱ飲まないと、おっきくなれないよ、って」
「ちがうのっ、それはあかちゃんの! ミルクいらない、あかちゃんやなのっ!!」

 悪魔はいつも、やさしい顔で現れる。笑顔の『おねえちゃん』が史佳に持ってきたモノは、いつも史佳を泣かせてきた。

(ちがう! 『おねえちゃん』は『おねえちゃん』じゃない! わたしに、おねえちゃんなんかいない――やだ、なんで、こわいの、またこわいのきちゃう……。『おねえちゃん』がいないなんて……わたし……そんなのやだ、いやなのにっ!)

 紙オムツや涎掛け、ロンパースやほ乳瓶――赤ちゃんのお世話のための道具を見る度に、史佳は何度も逆らっている。わたしは、おおきなおねえちゃんなんだ――だが、意地を張った結果、何度も敗北を重ねてきた。
 『おねえちゃん』に『史佳ちゃんはまだ赤ちゃんなんだよ』と言われる度、口癖みたく『ちがう』と叫んで繰り返しても、結局はされるがままの、赤ちゃん扱いは続いていく。

「『おねえちゃん』言ってるでしょ? 『ムリして保育園行かなくてもいいの。オムツのふみちゃんが恥ずかしいってからかう方が悪いんだから。イジワルな子にいじめられるくらいならおねえちゃんがちゃんと史佳ちゃんを赤ちゃん保育するから』、大丈夫だよ」
「そんなのちがうっ! ほいくえんなんか、いかない……ち、違うっ、行ってないのに……なんで、なんでそんなこというの!?」

 『おねえちゃん』はいつも史佳のことをだっこして、よしよしと背中をさすって慰めてくれた。だけど、何か絶対にちがっている。それなのに、史佳が『おねえちゃん』に逆らうことなんてできるはずもなかった。

「……ごめんね。史佳ちゃんも怖かったんだよね。『赤ちゃんがオムツしててもおかしくないのに、みんな史佳ちゃんのこといじめるからいけないの。だから、史佳ちゃんはおねえちゃんがちゃんと守ってあげなきゃね』」
「そ、そんなのっ……うそなの……。ぐずっ……。いじめられてなんか、ないぃ」
「うんうん、『史佳ちゃんも恥ずかしかったんだよね。でも大丈夫、お姉ちゃん全部知ってるんだから』」
「えぐっ……そんなのっ、ないぃ……!」

 おねえちゃんに恥ずかしいことをいわれるだけで、史佳は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに汚し、紙オムツを何度も濡らしてしまっていた。怖いのに、悲しいのに、それでもどこにも逃げられないことにまた涙があふれ、ロンパースの中で重たく沈んでいた紙オムツの中まで、またじわりと暖かくなってしまう。
 抱きしめられた胸元に顔を埋め、タオルのようにごしごしと顔を拭いた史佳を、おねえちゃんは怒ることもなく、やさしく迎え入れてくれた。

「泣き疲れたらお腹すいたでしょ? ちゅぱちゅぱのんで、またねんねしちゃお」
「えぐっ……、うん……んちゅっ……」

 瞳を真っ赤にするほど泣きはらした後なら、史佳も酷く嫌がったはずのほ乳瓶だって自然と口に含むことができた。
 口の中に広がった甘ったるい雫が、混乱してた頭の奥にまで染み渡っていく。体の芯から暖かくなるような優しい感覚に包まれて、史佳の気持ちまで穏やかになってしまった。

「ほら、ちゅぱちゅぱの間にちーでたでしょ? おねえちゃん、新しいオムツ当てて上げようか?」
「うん、おねえちゃん……。おむちゅ、あてて……」

 泣き叫ぶほど嫌がったオムツ替えさえ、今なら自然におねだりできる――自らに起きた変化に満足するように、史佳はベッドの上に寝かされると、嬉しそうに目を細めながら、オムツ替えしやすいように脚を大きく開いてみせた。

「あらあら、史佳ちゃん、そんなにおむちゅ当てて欲しいんだ?」
「うん……もう、ちっちいっぱいなの……」

 おねえちゃんに笑われても、史佳はにへらとだらしなく笑い返すだけだった。
 赤ん坊なんて嫌だ――そう主張する度に地獄を見たはずなのに。
 赤ん坊らしくする――そう振る舞えば、楽になれる。
 そんなの間違っている――後で、いくら気づいた振りをしてみても。

「ほら、新しいオムツ、気持ちいいねえ」
(オムツ……きもちいい……)

 ふやけて緩んだ思考の波は、ただ感じるだけの緩慢な刺激に打ち消されていく。
 後に残ったものは、ぼんやりと親指を吸いながらサークルメリーを見つめた、ロンパースに紙オムツ姿の似合う、17歳の赤ん坊と化した史佳だけだった。


 抵抗と挫折の日々の連続は、史佳の自我を意識の外からゆっくりと侵食し続けていた。
 意識と行動の明らかな乖離が始まったのは、夜中に一人、オネショで濡れた紙オムツに気づいて目が覚めるようになった頃からだ。

(どんなに、人をモノ扱いしたって……私が望まない限り、私は私……だから。赤ん坊にされたって、心まで受け渡しはしない……)

 恥辱の仕打ちを何度も受けた保育室も、真夜中は静かな孤独に心穏やかでいられる。
 決して赤ん坊になんてならないと自分の世界に浸っている最中も、史佳は無自覚の内にちゅぱちゅぱと親指を吸い続けていた。
 不安に襲われるたびに思考も感情も幼児退行を起こしてしまうなら『落ち着ける行動を続ける限り』、自分を見失うことはない。
 おかげで、史佳もちょっとのオネショくらいではおねえちゃんを呼ばずに済むようになった。それどころか――

(あっ……お、おしっこ、出そう……お、オモラシしたらまた泣いちゃうから、ちゃんと『オムツにちっち』しなきゃ……)

 『我慢できずにしちゃったオモラシは赤ちゃんがするもの』だけど、『自分でちゃんとオムツにちっちするのはオモラシじゃない』。
 いつの間にか史佳の中で矛盾なく成立した二つの認識は、昼も夜も一時間も経たぬ内に感じてしまった尿意の衝動に対する抵抗の意志さえ麻痺させていた。

「ふ、うぅ……ち、ちぃ、でるぅ……。わたし、ちゃんと『ひとりでちっち』、出来るんだからっ……ふぁ、あん、うあぁっ……」

 ――しゅいいぃ……。しょわあぁぁ……!

「あむぅ……ちゅっ、ちゅむっ、んちゅ、んっ、んくっ……」

 史佳は夜の寒さにぶるりと背筋を震わせながら、恥ずかしい『赤ちゃんオモラシ』を回避するために、こみ上げた下腹の疼きを、濡れたオムツの中に解き放ってゆく。
 冷たかったはずのオムツの中が、再び暖かくなってゆく。その心地よさに思わず頬もだらしなく緩み、口に含んだ親指しゃぶりにも夢中になってしまう。
 今の史佳の密かな自慢は、寝ながらのオモラシにも動じなくなったことだ。おねえちゃんにもほめられたくらいだから、この不安もやがて消える。そう信じられた。

(オムツだって、パンツになればきっと……オモラシなんか、しないもん……)

 千里の道も一歩から。スモールステップを重ねれば、きっと『ぱんつのおねえちゃん』にだって近づける。
 オモラシに泣きじゃくる日々よりも、自分でちゃんと『オムツにちっち』できたほうが『いいこ』に決まってるだろう。
 きっと明日になればおねえちゃんも史佳のことをほめてくれるはずだ。取らぬ狸の皮算用でも、それを想像するだけで、また史佳の顔が笑顔になった。

(だから、ふみちゃんも……おねえちゃん……なるの)

 たとえ、オモラシでオムツを濡らしても、おまるに座るのがこわくておねえちゃんに泣きついても。

(ふみね、おねえちゃんぱんつだから……)

 理想の自分を夢想するだけで、おめめもとろんと蕩けてゆく。親指を吸う唇の力もふにゃふにゃにゆるみ、よだれがとろりと頬を伝い、お布団にまで垂れてしまう。

(おまるでだって、ちぃ、できるもん……)

 そうしておねえちゃんが絵本で教えてくれた『ぱんつのおねえちゃん』に自分もなれると信じて、史佳は再び夢の世界に沈んでいった。
 手段と目的の転倒の末路が、何を引き起こすのかも考えずに――

 ***

 おねえちゃんはいつも史佳にイジワルばかりを繰り返す。今日だって、史佳が恥ずかしいの知ってるクセに、『できるかな?』なんて言ってきたのだ。
 ベビーベッドから降ろされて床にぺたんとしりもちをついた史佳の前で、おねえちゃんは見せつけるように新しいオムツの袋を開いていった。

「史佳ちゃんが『ぱんつのおねえちゃん』なら、一人でお着替えくらい簡単だよね?」

「う、うん……で、できる、もん……で、でもっ……おねえ、ちゃん、あのね……」

 できない、なんて言ったら。自分があかちゃんだって言ってるようなものだ。
 ちがう。史佳は17さいのおねえちゃんで、ちゃんとひとりでお着替えだってできる。
 だけど、それはぱんつのおねえちゃんだから、おねえちゃんが袋から出したオムツなんて穿いちゃダメなんだ。
 でも、濡れたオムツが気持ち悪いから、本当はおねえちゃんに綺麗にしてほしい。したら赤ちゃんになる。ダメだって、わかってる。なのに……。

「おねえちゃんがちゃんと見ていてあげるから、どれでも好きなの穿いていいよ?」

「や……ぱんつが、いいの……そ、それ、おむちゅ……」

「あら、これだってぱんつなんだよ? 史佳ちゃんがおトイレの練習するために穿く、『おねえちゃんパンツ』。オムツの史佳ちゃんにはまだ早かったかなぁ」

「や、やあっ……。は、はやくないっ、史佳、ぱんつだもんっ……」

 うそだ、ほんとはそういいたいのに、おねえちゃんのいじわるで史佳も思わずオムツでオモラシしちゃった時みたいにイヤな気持ちになってしまった。
 おねえちゃんが袋から一枚一枚オムツを並べて、史佳に見せるようにならべるのがいけないのに。
 史佳もにこにこ笑うおねえちゃんは好きだけど、赤ちゃんオムツなんて見せられたら、濡れたオムツのこと思い出すにきまっている。
 やだ。いやだ。こわいのやだ。急いでおやゆびをちゅっちゅして、史佳は心を落ち着かせようとした。

「ふふっ、大丈夫、史佳ちゃんならできるよ。ほら、どーれーにーしーよーうーかーなっ?」

「えと……えっとね、そっちじゃなくて、そっちでもなくて……」

 おねえちゃんはそう言って、史佳のオムツの前で指を動かしてオムツを選んでゆく。
 おねえちゃんの手遊びうたは、史佳を夢中にさせるお遊びの一つだったから、史佳もついつい食い入るように見てしまう。

「はぁい、ちょうちょさんのオムツにけってーい。史佳ちゃんもだいしゅきだもんねぇ、ちょうちょさんおむちゅ」

「うん……しゅきだよっ……えへへ……」

 おねえちゃんが前に『ちょうちょさん穿いてるとホンモノのおねえちゃんみたい』って言ってくれたから、蝶々のオムツは史佳のお気に入りだ。
 大好きなオムツを選んでもらってにこにこのお顔になれたから、おしゃぶりもやっとお口から出すことができた。
 いっぱい吸いついたせいで指もお口の周りもよだれでベタベタだ。

「ふふっ、史佳ちゃん、先にお口拭いちゃおうかっ。一緒に濡れたオムツも外してあげるから、お着替えは史佳ちゃんのお仕事ね」

「うん……おきがえ、しゅるぅ……」

 おねえちゃんはいつもはイジワルだけど、史佳が自分で頑張ろうとしてる時は優しい。
 お口も首にかけたスタイで拭いてくれたし(史佳の好きなちょうちょのアップリケ付きだ)、ちっちでいっぱいのオムツだって、ごろんってしたら外してくれた。
 はだかんぼのお尻は冷たくて、またすぐにちっちが出ちゃいそうになる。『オモラシは赤ちゃんだから、オムツにちっちしなきゃダメ』だと史佳だってちゃんと知っている。

(だって、おねえちゃんだもん……あ、当たり前――だよ……ね?)

 胸の内に問いかけても、答えなんて帰ってこなかった。ほんの少しの違和感が、史佳の動きを止めたけれど。

「ほら、おねえちゃん。お着替え頑張ろうか!」

「う、うんっ……!」

 いまは、お着替えの時間だ。意識を切り替えて、史佳は目の前の課題に集中することに決めた。
 もともと集中力は悪くない方だ。研究の時も、誰よりもはやく着手して――

(……あれ? 私――なんだっけ?)

 離人感。今ここにいるのに、実感のまるで感じられない虚ろな時間。
 なのに、かけていた目録が蘇り、忘れていた記憶を手繰り寄せられそうな気さえしてくる。
 何かが足りない。何かが何かわからない。史佳は部屋の中をきょろきょろと見渡して、あてもなく手がかりを探しそうとして――

「ふみちゃん、はやくしないとオムツのあかちゃんにもどしちゃうよ!」

「っ! は、はやくするっ、はやくできるからっ⁉︎」

 ――いけない。また、気が散っていたことに気づく。いまは、お着替えの時間だった。
 史佳は急いでちょうちょの紙オムツをぎゅっとつかんだ。かわいいオムツにうれしくなるけど、いまははやくおきがえしなきゃ、またおねえちゃんにめってされちゃうからだ。
 しりもちついたままのあんよをオムツに通すために、一度ねんねで保育室の床にごろんって寝っ転がる。おねえちゃんが上からにこにこ見守ってくれてるのを眺めながら、あんよの片方を、ちょうちょのオムツに通していった。

「史佳ちゃん、じょうずだねぇ! じゃあ、つぎはもう片方のあんよ、通してみようか!」

「う、うんっ……や、やってみる……」

 片方がいけたなら、もう片方だってできるはず。だいじょうぶ、わたしはぱんつのおねえちゃんなんだから――そう、自分で言い聞かせながら、史佳はもう片方のあんよをあげようとした。
 した、つもりだったのに。

「ぷっ……あははっ、史佳ちゃん、もうオムツ穿いてるあんよはあげなくていいんだよ?」

「し、しってるのっ……おねえちゃんだから、おてつだいいらないの!」

「そう、じゃあがんばって『ちょうちょのパンツオムツ』穿こうねえ……くくっ、んふふっ……」

 まただ。また、おねえちゃんがイジワルっぽく笑いはじめた。イジワルなときのおねえちゃんは、いつも史佳のことをカメラで撮りながら眺めてきた。
 史佳はお顔を真っ赤にしながらオムツにあんよを通そうとしてるのに、あんよのところにオムツがなかったり、あんよのあるところにあんよを入れたり間違えてしまう。
 実験に失敗はつきものだ。仮説通りにいかないならまた仮説の立て直しから始めなければ――

(ま、まただ……また、いやな気分になっちゃう……や、いまちゅっちゅできないのに……こわいよ、こわいのやだっ、ちっちでちゃうのにっ!)

 がんばって『パンツのおねえちゃん』になろうとするたびに、きまって変な気分が史佳のことを怖がらせてきた。一度こわいと感じると、史佳ももう一人じゃ何にもできなくなる。

「もう、ずっとはだかんぼのまんまじゃ床にオモラシしちゃうでしょ? やっぱり史佳ちゃんには、パンツオムツは早かったかぁ」

「そ、それって……やっ、やだっ、史佳これ穿く! ちょうちょのオムツがいいの! だからおねがいっ、おねえちゃん、行っちゃやだぁっ!」

 ずっと史佳のことを見守ってくれてたおねえちゃんも、我慢できずにお部屋に立ってたオムツ入れの棚に移ってしまった。
 史佳がイヤだというのも聞かずに、棚から新しいオムツを取り出して、史佳の所へと戻ってくる。
 せっかく開けたパンツオムツも全部片付けられ、史佳の穿きかけだったちょうちょオムツさえ取ってしまった。

「やあぁっ……おむちゅ、おむちゅいやあっ……。史佳のおむちゅっ、おむちゅなのっ……!」

「大丈夫でちゅよお、史佳ちゃんのオムツは、おねえちゃんが全部穿かせてあげまちゅからねぇ……」

「だ、だってそれっ――おねえちゃんのじゃない……あかちゃんの、赤ちゃんのおむちゅなのにぃっ……」

 引きつけを起こすようにしゃっくりを起こしながらグズる史佳のお話なんか、おねえちゃんはまるで聞いてはくれない。
 オムツを奪われ、はだかのお尻をぶるりと小さく震わせた史佳の両脚を片手で握ると、床から高々と持ち上げていった。

「やっ、いやあっ……」

「そんなこと言ってる内にまたオモラシでちゃうよ? ほら、オモラシしちゃう子はもっと赤ちゃんでちゅよぉ?」

「やっ、オモラシやあぁっ……! ふ、史佳、ちっちできるもんっ! おねえちゃんだから、おむちゅにちっち! ちっちするのぉっ‼︎」

 おねえちゃんがこわいことばかりいうから、史佳は目をぎゅっと閉じたまま、またおやゆびにちゅうちゅう吸いつかずにはいられなかった。
 史佳が大人しくしていたその間に、おねえちゃんはかさかさと床の上に新しいオムツを開いていく。
 何をしているのかは史佳も、音だけでわかった。

(あ、赤ちゃんにされちゃう……。史佳、ま、また、赤ちゃんオムツにされちゃう……!)

 恐怖で震えたお尻が、おねえちゃんの手によってゆっくりと降ろされてゆく。肌に触れたのは柔らかいギャザーと、おしっこ吸収帯のもこもこの感触。
 内股ではさめば、ぎゅっとおしっこの穴までもこもこの蓋で密着感に包まれる。前当てを重ねられ、両サイドのテープを貼り付ける乾いた音は、史佳の自尊心まで逆撫でていった。

「はぁい、できましたぁ。やっぱり、史佳ちゃんにはパンツオムツのおねえちゃんより、テープオムツの赤ちゃんの方がお似合いだよねぇ。うふふ……」

 おねえちゃんは史佳のオムツを替え終わると、史佳を鏡の前で、オムツが見えるように抱っこした。
 太股を開かれた恥ずかしいオムツ替えポーズを見せられると、史佳もべそをかいてしまう。

「いやあ……あかちゃんおむちゅ、やだぁ……おねえちゃんがいいもん! 史佳、おねえちゃんなのに……」

「だって、お着替えできなかったのは史佳ちゃんでしょ? お着替えできないのはあかちゃんなんだから、あかちゃんのオムツでいいんだよぉ」

「できるの、いつもできてたのに……!」

 鏡に映っていたのは、トイレのおねえちゃんに憧れるパンツオムツの女の子じゃなくて、一人じゃお着替えもできない、テープオムツの赤ちゃんの姿だった。
 さっきまできれいなちょうちょさんのオムツパンツだったのに、かわいいうさぎさんの『赤ちゃん』紙オムツなんて穿いたら、きっと赤ちゃんみたいになってしまう。

(赤ちゃんみたいに、ちっち、わかんなくなっちゃうんだ……。ちぃって、おねえちゃんにいえないと……史佳のおむちゅ、かってにぬれちゃうんだ……)

 いっぱいおやゆびちゅっちゅしても、かなしいきもちはとまらなかった。自分がどんどんちっちゃな赤ちゃんに戻っていくと思うと、涙が勝手に溢れてくる。

「あら、ふみちゃん。カワイイ赤ちゃんオムツ穿かせて貰えて、泣くほど嬉しかったの?」

「な、泣いてない……赤ちゃんオムツでも、な、泣かないもん……」

 ――がまんできたら、いつかおねえちゃんになれる。
 そう信じて、史佳は頬に流れた涙を拭うと、きっと口を一文字に結んだ。
 大丈夫、感情が昂るのはほんの一瞬。その数秒を堪えたら乗り越えられる。
 幼稚な感情と理性の入り混じる混沌の中で、今一度の恥辱を甘受しようと、心を決めた。

 それなのに、おねえちゃんは。

「そう? おねえちゃん、てっきりふみちゃんがオムツにちーしちゃったから、泣きべそかいてるんだと思ったよ?」

「だ、大丈夫だから……私は、ちゃんとトイレにだって――」

 新しいオムツを感触を確かめるように、当てたばかりの紙オムツを撫ではじめた。執拗な手つきは、オムツを替えた後のいつもの儀式だ。
 抱きしめたその表情は慈愛を装っていても、その指先には『赤ん坊の自分』を拒絶する史佳に拭い去れない幼稚性を教え込む、嗜虐の仕打ちが表れている。
 育ちきった脚にはタイトなばかりの紙オムツの乾いた感触に触れるのももう何度目だろう。それも堪えれば済むことだ。史佳もそう信じて、反射的に全身を萎縮させたのに。

 ――ぐじゅっ。

(……え?)

 聞き慣れた音があった。触れ慣れた怖気があった。源は、おねえちゃんの掌の中。ぐっしょりと濡れた、紙オムツが教えてくれた。

(なんで、なんで、なんでっ……? さっき、替えたばかりなのに、なんでっ!?)

 また、おめめがぐずぐずになっていく。おかおもあつくて、ぐしょぐしょのオムツがきもちわるい。
 史佳は、おねーちゃんなのに、あかちゃんオムツなんて、はいちゃいけないのに。

「あらぁ……ふみちゃん。これは、何の音かなあ?」

 おねえちゃんがそうやってうれしそうに笑うから。

「ごめん、なしゃいっ……ふええっ、ふ、ふみちゃ、ちー、わかんないの……! あかちゃんやなのに……ちっち、わかんなくて、ごめんなしゃいぃ……! うああああん……!」

 史佳は、おねえちゃんにだっこされたまま、おおごえで、ないてしまった。
 テープオムツのぱっけーじにうつる、ちっちゃなあかちゃんみたいに。

 ***

 一線など、越えてしまえば小さな矜持などたちどころに押し流されてしまう。
 津波のような日々の変化は、史佳の能力さえ、奪い去っていった。
 例えば、密かに誇っていた学習能力。

「ふみちゃん、お部屋にあった絵本が気になったの? ひらがな読めるんだ! すごーい、おねえちゃんだねぇ」

(バカにして……どこまで私を、赤ん坊扱いするつもりなんだろ)

 おねえちゃんから最初に絵本を差し出されたときには、中身の幼稚さよりも明け透けな演技に辟易したものだが、今はちがう。

「ほら、ふみちゃん。次はなんて読むのかな? おねえちゃんといっしょに読んでみようか?」

「よ、よめるから……さきにいっちゃだめなの! え、えと……ち、ちの次は……ま……ま、だっけ……?」

 ある日突然、史佳はひらがなの順番がわからなくなってしまった。
 数日間の悪戦苦闘の内に、読み方もまた櫛の歯が抜け落ちるように、頭の中から消えてしまった。
 失ったのは識字能力ばかりではない。数字を読むちからも、例外ではなかった。

「ほら、指を使ってかぞえるの。おねえちゃんといっしょにやってみようか、いちのつぎはに、にのつぎはさん……」

「やめてよ、バカにするのは!? わ、わかるもん……うさぎしゃん、い、いっぱいだってわかるのっ、わかってるもんっ‼︎」

「そう? じゃあ史佳ちゃんが今日つかったオムツの数は?」

「やだ……おむちゅの話、しちゃやだよお……!」

 おねえちゃんが見せてくれたかずあそびの絵本も、史佳にはもう『いっぱい』しかわからなかった。
 それがどんなに『あかちゃん』なことか、プライドだけは残っていても、その自尊心に能力がおいつくどころか、日をまたぐ毎に差が開いてしまうのだ。
 できない、わからない、とどかない――そうして教え込まれた無力感は、人を果てなく堕落させてしまう。

「ふみちゃん、おねえちゃんになる練習、しなくていいの? ほら、絵本も持ってきたし、ちっちの練習のDVDもあるよ?」

「いいもん……ふみちゃ、おねえちゃんだもん……。お、おねえちゃんだから、れ、れんしゅう……ないない、するの……」

「はいはい、わかったわかった。じゃあおねえちゃん、おむちゅのチェック、させてくれるよね。替えてる間、おゆびちゅぱちゅぱしてていいから」

「う、うぅっ……! おねえちゃんの、せいだもん……史佳、ちゅぱちゅぱするの、おねえちゃんがさせたんだもん……!」

 そうして、オムツのちっちも教えられなくなった大きな赤ん坊が身につけたのは、親指をしゃぶる癖と、駄々をこねるようにおねえちゃんに甘える癖だけだった。

 ***

「あ……う、うそだっ……こ、こんなの、私じゃないっ⁉︎ ちがうっ、ちがうったら、なんで、私は……!」

 赤ん坊になんてならない――史佳が決意した夜から、およそ2ヶ月後。

「うふふっ、おかしなふみちゃん。このお部屋にはふみちゃんしかいないんだよ?」

「だってっ、こ、こんなのっ……自分から、進んでなんて……いやだ……やだよおおっ……!」

 久々に理性が戻った時、史佳はベビーチェアの上に置かれたタブレットで、自分の映る動画を見せられていた。
 この2ヶ月、何が起きたのか。無自覚の内に、自分が何をしてしまっていたのか。

『ふみちゃん、ほら待って! ハイハイしてちゃおむちゅ変えられないでしょ!』

『やだぁ、ふみちゃ、もっとあしょぶのぉ! おむちゅちーないないだもん!』

『うそだあ、オムツにちっちのサイン、出ちゃってるよ!』

 一見、微笑ましい母と子のやり取りも、すぐに狂気の沙汰だと思い知らされた。
 画面の向こうでは口元をミルクまみれにしたピッグテールの髪型の自分自身は、赤ん坊染みた言動を繰り返し、オムツ替えよりも知育玩具で遊ぶのに夢中になっていた。
 もう何度も漏らしたのだろう、すっかり黄色く重たくなった紙オムツのお尻をカメラに向けて、笑いながらハイハイで逃げ回っている。
 その内に、おねえちゃんの手がオムツで膨らんだお尻を捕まえた。

『捕まえたっ! ふみちゃん、ちっちのおむちゅ、おねえちゃんが替えちゃうからねぇ』

『んーっ、つかまってないのー。まだあそぶのー……』

 幼児みたいに甲高い声で無邪気に笑う史佳のお尻も、ハイハイの体勢のまま、おねえちゃんの手によって丸裸にされていく。
 史佳は、その次の展開を覚えていた。

「いや……やめてっ、そんなことしないでっ! おねがいっ、おねがいしますぅっ、だからぁっ‼︎」

『ふみちゃ、おねえちゃんだもんっ、おねえちゃんパンツしかはかないのー!』

 ここにいる史佳が涙ながらに懇願しても、画面の向こうの大きな赤ん坊には届かない。
 写っていたのは、まるで幼児用紙オムツのCMのワンシーンのようなおねえちゃんによるオムツ替えの瞬間だった。
 『あかちゃんのふみちゃん』は甲高い声でけらけらと笑いながら、おねえちゃんの手から必死に逃げようとハイハイを続けていたのに――

『はいはい、おねえちゃんのふみちゃんにはちゃんと、おねえちゃんみたいなパンツオムツ穿かせてあげるから』

『おねえちゃんっ、ふみ、オムツもパンツのおねえちゃんなんだあ……』

 おねえちゃんは両手に通したパンツタイプの紙オムツを、四つんばいの史佳のあんよに、するすると通していく。
 お腹の上まですっぽりと通されたあと、ごろんと仰向けにされたふみちゃんは、おねえちゃん気分のパンツオムツが気に入ったのか、穏やかな笑みを浮かべながら親指をちゅうちゅう吸い始めた。
 もはや、自分が赤ん坊であることを疑いもしていない。17歳の大きな赤ん坊は、おねえちゃんの胸に抱かれながら、オムツにまた新しいオモラシを広げていく――そんな倒錯した姿が、自分自身だと認められなかったから。

「おねがいしますぅ……もう、もどしてぇ……こんなの、しぬ、死んだほうがマシっ、だからぁぁ……‼︎」

「どうして? 史佳ちゃん。あんなに穿きたがってた『おねえちゃんみたいなパンツオムツ』なのに。ほら、あんなに喜んで……」

「イヤ……いやああああっ‼︎‼︎」

 二人きりの保育室に、現実を拒絶するように叫んだ、史佳の哀願が響く。
 画面のの向こうにいた自分は、そんな未来が来ることなどかんがえてもいなかっただろう。

『おねえちゃんだもんっ、ふみちゃ、おねえちゃんぱんつだよ!』

 口元からよだれを垂らしながら、おねえちゃんオムツを誇るように見せびらかす17歳児。
 大きな赤ん坊は、穿いたばかりの紙オムツを濡らしながら、無垢な微笑を浮かべていた。



 このままではいつか、心まで変えられてしまう。
 甘い夢想で心を守ろうとした史佳の決意は、結局は現実から目をそらすだけの逃避行動に過ぎなかった。
 実際は破綻の道を徒に進み続けている。故に、絶望は甘さを捨てる転機となった。

(戻らなきゃ……絶対、もどらなきゃダメ! このままじゃ……なっちゃう。あ、あかちゃんイヤ……嫌だっ、ふみは……私は……)

 数時間だけ冴える頭で考えた方略は二つ。

「ふみちゃん、またちー出たの? もう、これじゃおむちゅ足りなくなっちゃうよお」

「ご、ごめ、なしゃいっ……ふ、ふみちゃの、おもらち、おむちゅ……かえてぇ……」

 一つは徹底的に『お姉ちゃん』に甘えて、彼女に従順な赤ん坊として信頼されること。

「ふみちゃん、お外は気持ちいいでしょ? ふふっ、オムツのお尻ではいはいしようか」

「う、うんっ! ふみちゃ、おむちゅのハイハイ、すきだよっ……う、うぅっ……」

 もう一つは、史佳がいまいる世界の把握。ベビーカーでの外出の度、史佳は『お姉ちゃん』の目を盗み、周囲の環境を記憶することに努めた。
 必要なのは死角となる空間の把握。まだ史佳が夢に浸っていた頃に『お姉ちゃん』が部屋の鍵を閉め忘れた事があったのだ。
 その遇機、今度こそ無駄にしてはならない。

(もう少し、もうすこしで……おそとに!)

 笑裏蔵刀の思惑を研ぎながら、必ずくるであろう機会を待つ内も、史佳の幼児化は刻一刻と進行を続けている。
 気づけないまま、時は無情に過ぎていった。

 ***

 ――ちょろっ、じゅうぅっ、しょわあああぁ……。

「んっ……はぁ、はふぅ…………」

 意識が戻ってからもう何日目になるだろう。たっぷりのオネショで目覚めた朝、史佳は濡れたオムツに朝一のおしっこを放っていた。
 尿意を感じたと同時にオムツの中が暖かくなるのも、すっかり慣れてしまっている。おしっこのアンモニア臭さと毎日飲まされた粉ミルクの甘ったるい香りも、体に染み付いてもう違和感さえ覚えない。

(ちっち……また、出ちゃった……あしたこそ、あしたこそちー、ないないするの……)

 自分が17歳だという認識だけは、何故だかずっと覚えていた。なのに、頭の中でつぶやく言葉は、すっかり幼児語と化している。
 記憶を失い能力を忘れる度に、史佳を監禁した異様な部屋は『史佳のほいくしつ』に変わり、謎の保育士は『おねえちゃん』に、そして自分は、『大きな赤ちゃん』に。

(あれ……そのまえって、なんだっけ?)

 膀胱の中の水分をすっかり出し切ると、史佳の穿いていた紙オムツも股地の吸収体が膨らみ、一際強調される格好になる。
 オモラシ直後の虚脱感に襲われると、史佳は仰向けに寝転んだ状態で、自分が濡らした紙オムツを両足で開閉するのが日課だった。
 挟んでは開き、圧力がかかった下着から不恰好な水音が響く音色を確かめる。自分の行為がすぐに感覚として帰ってくることを確かめる、赤ん坊と同じ遊び方の途中。
 あてのない疑問が、ふと湧いた。

(じゅう、ななさい……おねえちゃん、だよね? わたし……どれくらい、おねえちゃんだった……?)

 オムツを挟んでは開き、その間に足りない思考が頭を巡る。パンツのおねえちゃんよりはおねえちゃんなはずだし、えほんもよめるしかずだってわかるはずだ。ううん、それどころか、きっと。

(あたま……よかったんだもん。わたし、おねえちゃんだったとき……えらいねって、ほめられたの……おぼえてる?)

 断片的なイメージが脳裏を過ぎる。保育士のおねえちゃんより、立派なおようふくを着ていた気がする。それはようちえんどころか、小学生? ううん、それ以上の――高校生で。

(こーこーせぇ……? わかんない。えほんに……書いてあるかな……)

 頭の中には答えがなかったから、史佳はのっそりと、濡れたオムツをお尻で潰しながらベッドの上で起き上がった。

「……あ」

 見つけた瞬間、ぽっかり開いたお口から、よだれがぽとっと、ベッドにおちた。
 史佳のほいくしつにはだれもいないのに、ドアがぜんぶ、開きっぱなしになっていた。

 ***

(み、見つからないかな……見つかったら、またおねえちゃんにめってゆわれる……?)

 ベッドから一人で下りたとき、史佳は怖くて、おもわずまたオムツにちっちをちびってしまった。
 長い廊下は、ハイハイで進むには泣き出しそうなほど長く続いている。わからないことが怖くて、おねえちゃんのことを呼びたくなるけど。

(ちょ、ちょっとおそと、いくだけだもん……おむちゅ、変えてくれないおねえちゃんがわるいの……)

 『パンツのおねえちゃん』はきっと、こんなことでは泣かない。
 思い直すと、史佳はオモラシで膨らんだ紙オムツを左右に振りながら、恐る恐る先へ進んでいった。
 もちろん、進む間も、おしっこの感覚が史佳を襲うから。

(う……また、ちっち、ちぃでちゃう……ふあぁ……!)

 数歩進むたびに、ハイハイを止めて、オムツのお尻を小さく震わせて。

 ――しょわあああああ……。

「あ、ぅう……!」

 せせらぎの音をかなでながら、史佳はおむつの中におしっこを放っていった。
 もう随分前から、自分の意思で楽しめる自由は、オムツごしの放尿以外見当たらない生活を送ってきたのだ。
 大事に抱えていた健気な抵抗も必死の嫌悪も惨めな羞恥心も、反復練習のように身体に刻み込まれた排泄快楽に押し流されてゆく。

「ん、んぅ……あぁっ……お、おむちゅ、ち、ちっちぃ……ふみちゃ、ちぃ、でたぁ……っ」

 自らオムツを汚すようになってから、史佳はお漏らしの度に『ちっち』の報告をするようになった。そうすればおねえちゃんがすぐにオムツを替えてくれるし、『いっぱいちっち出たねえ』と褒めてくれるからだ。
 だが、今ここにはおねえちゃんはいない。あるはずのものがない不安は、史佳の心に不安を生んでゆく。

(お、おねえちゃん、どこぉ……おむちゅ、ちっちでつめたいの……はやく史佳のおむちゅ、替えてよぉ……!)

「ひっ、ぐすっ……おねえちゃぁん……」

 史佳のお漏らしは一回の尿量が多いため、たっぷりのおしっこを受け止めた紙オムツもロンパースからずり落ちそうなほど重くなる。
 自分が濡らしたオムツがお尻やお股をぐずぐずと汚し続けた怖気や気持ち悪さは、孤独に怯えた史佳をより一層追い詰めてゆく。

(や、いまは、おそとにいかなきゃだめなのっ……。おむちゅ、ないないするの……わ、わたしっ、おねえちゃんなんだからっ……!)

 不幸中の幸いは、その悲しみだけが史佳に残るか細い理性を保つ命綱になっていたことだ。
 オムツにお漏らしなんて、絶対に間違っている――無意識の叫びが、愚図りかけた幼稚な思考を駆り立てた。
 その一念で太ももをノロノロと動かすと、足回りから染み出したお漏らしがロンパースのお尻に恥ずかしいシミを広げてゆく。
 
「えぐっ、ひぐっ……ぐすっ……」

 『ちっちおむちゅ』の気持ち悪さに泣きべそをかきながら、史佳はハイハイを止めなかった。
 真っ直ぐ続く廊下も、進めば必ずドアが見えてくるはずだと信じていた。

「もうすぐ……だもん。ぜったい、おそとにいけるもん……っ」

 確信めいた認識は、歩みを続ける程に強くなった。歩むほどに失うばかりだった時間を一つずつ取り戻しているような実感さえあった。

(そうだ、私は……赤ん坊なんかじゃ、ない! わかってる、私は私だ! 大丈夫、このまま進めばきっと!)

 誰かに身体を預けていた時は、自分の身体さえ不安を生む厄介な檻でしかなかった。だが、愚鈍な匍匐前進でも、自分の意思が通っているという自覚が、心の中に沸々と勇気さえ生み出していく。

(何でだろう……? でも、今なら、きっと――!)

 板張りの床を見つめていても、身体に力が蘇ってゆく。ベッドの上では重しのようだった腕も脚も軽くなったような気がして、史佳はそっと四肢に力を込めてみた。思惑は――嘘のように、獣から人の体勢へ、赤ん坊の姿勢を変えてゆく。

「う、うんっ、しょっ……はっ、はぁっ、あっっ……」

 生まれたての子鹿のように、突っ張った両手両脚をぷるぷると震わせながら起き上がる。
 上体を起こしながら膝立ちを作り、壁に手を当てて――脚の裏が、久しぶりに地面をしっかりと踏みしめた。の
 ぐっと、踏ん張った無様なガニ股だが、二本の足はしっかりと、史佳の身体を支えられた。

「やっ……たぁっ、立て、た――あっ」

 力を込めすぎたのか、下腹がヒクついた瞬間、またオムツに熱い飛沫が迸る。だが、それもほんの僅か。止めようとすると――

「とま……った? や、やったっ、お漏らし、止められたっ……!」

 『史佳はオムツがなきゃダメな赤ちゃんなんだよ』――そう教え込まれて、情けないお漏らしを嘆くたびに史佳は弱く幼くなった。
 だが、今やその呪縛さえも嘘だとはっきりわかった。『おねえちゃん』――いや、全てはあの女の策略に過ぎなかったのだ。

(行かなくちゃ……! 走れる内に、この場所の、出口を探さないと!)

 気づけば、指先の自由も戻っている。
 史佳はロンパースのボタンを外し、濡れたオムツをその場に脱ぎ落とすと、お尻も裸のままに、廊下を駆け出していった。

 ***

 記憶のベールは、歩みを進めるほどに剥がれていった。
 ここがどこだったか、なにがおきてたのか。
 見覚えのなかったはずの道も身体がちゃんと覚えてくれていたお陰で、迷う気なんてまるで起きなかった。

(そうだ……この屋敷、見覚えがあったんだ。いつだったかな……何故か、安心できる気がする)

 久しぶりに感じた自己効力感——そうだ、難しい言葉だって今ならちゃんと使える——自分から行動することで、自分の望む結果を手にすることのできる達成感が、確実に史佳の背中を後押ししている。自分自身、その確信が持てた。

(もう赤ん坊になんてならなくて良い! あんな目になんて二度と合わないんだから!)

 羞恥も屈辱も、全ては自分の持てる力を十全に発揮できないもどかしさから生まれた感情だ。押し付けられた無力さから解放されれば、怯えながら生きることもない。久々に味わう自由は、史佳の胸に勇気まで呼び起こしていた。

「確か、このあたりに……あった。多分、ここが出口に繋がってるんだ……」

 追い風に押されて廊下を進み続けると、見覚えのあるドアを見つけた。黙って目視すればいいだけのことだが、独語は自然と口をついて出ていった。いまや史佳は舌の回り具合さえ順調だ。口を開けば、赤ん坊の甘ったるい喃語ではなく、年相応の17歳らしい明瞭な言葉を出すことだって出来る。

(当たり前のことがこれだけ嬉しかったなんてね……)

 しみじみと当たり前の価値を噛み締めながら、史佳はドアの元へと駆け寄り、丸いドアノブに手をかけた。赤ん坊をさせられていた頃には開かずの扉にも思えた戒めは、思った通り軽々と開け放たれた。

「暗っ……照明、ついてないの? 全く、何をやってるのか……」

 薄暗い部屋の中に、踏み入れた歩調も軽かった。手探りで歩く暗闇と違い、体が馴染む感覚があった。
 やはりそうだ。ここは、名前も場所も知らない土地ではなかった。

(私はここで……何かを、していたの?)

 うっすらと目が闇に慣れて行く。壁一面に並ぶ金属製の机、書類の詰まった大きな棚、様々な機械が詰まったサーバーラック……どれもこれも、懐かしささえ蘇る。

(……どこかに、私のことを書いた記録が、ある)

 史佳は書類棚に手を伸ばして、綴じられた紙の束をいくつか抱えて机に置いた。腰を下ろす場所もいつもの通り——

(いつも……そうだ、いつもここにいたんだ、私は)

 書類をめくり、内容を精査する。机に肘をつき、他人の存在を気にも留めないのが史佳のスタイルだった。
 何度か注意されたのだが、これが一番集中できるのだと、顔も向けずに応えてきた。

(そうだ……ここで、赤ん坊にしてきたんだ。私も……)

 書類には、この『施設』の目的や、行われてきたプログラムが詳細に書かれていた。
 学校制度の老朽化による、社会不適応者の増大——少年院でも刑務所でもない、オルタナティブな社会復帰制度を求める声——若年世代の政治参加、地域主権、PFI、その合一——様々な条件が重なり合い、生まれた施設が、ここ。

「稚育更生支援院、ミソノ会……そうだ、わたし。ここで働いていたんだ……」

 『先生』と呼ばされた保育士に世話されていた頃は、文章なんて決して読み進めることも出来なかっただろう。
 だが、今や史佳の心の中は、『わからなかったことがわかるようになった』喜びなど、かけらも残っていなかった。
 あるのはただ、疑問の隙間から湧き上がる、不信と怒り。

「なんで……なんで、なんで! なんでわたしが! あんなグズと一緒の扱いを受けなければならなかったの!?」

 叫び声は、部屋を震わせた。

「ふざけないで、私は違うの、あんなダメ人間と、自分の人生を投げ捨てた愚か者と同じなわけないでしょ!!」

 拳は、書類をばら撒き、机を酷く撃ち鳴らした。

「 何が赤ん坊よ……何がお世話よ! こんなもの、ふざけてるに決まって——!!」

 脚は床を踏み荒らし、椅子を蹴り倒し、ドアを、壁を、そこら中を怒り任せに蹂躙していった。
 そうでもしなければ、この怒りは収まらないと——沸騰した血の巡りに任せて、荒れ狂っていた、その時。

「……わかってるじゃないですか、日下部主任」

「っ!?」

 薄暗かった部屋に、突然光が大量に流れ込んだ。机に面した壁が、左右に自動的にスライドして、ガラス張りの大窓に変わってゆく。窓に透けた光に視界を焼かれて、史佳も思わず立ちすくんでしまった。

「何、一体……!?」

「覚えてないですか? あの日のこと。あなたが、私を陥れようとして——逆に、ハメられた日のこと」

「ハメっ……なによ、それ……?」

 視界を潰されている間も、誰かが史佳にずっと話しかけていた。
 あまりに冷たく、軽蔑の色を帯びた声色も、なんとなく懐かしい。

(私が赤ん坊にされた理由を知ってる……? だったら、捕まえて、問い詰めないと!)

 失った記憶の最後の一欠片を、ようやく埋めることができるかも知れない。
 声の元に手を伸ばすのは必然だった。だが——

(え、なに、ここ——なんで、戻ってきたの!?)

 光に慣れた目に飛び込んできたのは、ありえないはずの光景だった。

「なんで、なんで、なんでっ……!? 出て行ったはずなのに……なんでぇ……っ!!」

 ベビーベッド、オムツ棚、ロンパースのしまわれたクローゼット。ガラス窓の向こうに映る景色は、拭い去れない恥辱の日々によって、史佳の記憶に刻まれてきた。数ヶ月間ずっと閉じ込められてきたベビールームを、史佳が見忘れる訳もない。その中にいたのは、白衣をまとい、冷やかな瞳を史佳に向けた一人の少女だった。

 ***

「お前……! よくも、よくも私を!」

「お久しぶりです。思い出されたようで」

「間抜けな質問を……! 主人の手を噛む犬の顔、忘れるとでも!」

 史佳は奥歯をすり潰すほど噛み締めると、禍々しい面持ちを晒したまま、激昂の叫び声を張り上げた。
 ほんの数ヶ月前まで、史佳はまだ高校生の身分でありながら、ミソノ会所属の児童更生保育士として、対象児童の更生支援にあたっていた。その中で、史佳は全国共通の画一的なプログラムに疑問を抱き、オリジナルのカリキュラムと処置を提案、様々な生徒の反社会性を『治療』したことを認められ、その新型指導の主導者、プロジェクトリーダーとしての地位を得ていた。
 だが、その栄華も、ある日突然、幕引きの時を迎える。
 正義感に燃えた一人の同僚を、排除し損ねたのだ。

 あの日——史佳は自分に噛み付いた造反者の処分を他の同僚に任せて、自分の仕事を続けようとしていた。

(全く、くだらない。ゴミが一人減れば、それだけ家族や社会の負担も軽くなる。わかりきった話じゃない)

 だから、不意にドアがまた開いても、顔を向けようともしなかった。

「なに……? 処置が終わったからって、一々報告しに——むぐっ!?」

 突如として、史佳は口に何かを詰められ、目隠しと耳栓をされ、視聴覚を奪われた。
 そしてすぐさま全身は四方八方から人の手に捉えられ、部屋から運び出され、冷たい処置台の上に乗せられた。

「ングッ、ンンーッ、ムグーッ!!」

 最後に記憶にあるのは、首筋に走った電流の、肉の裂けるような痛みだけ。
 そこからの記憶はおぼろげだが、長い時間が経っていたのは確かだった。
 ——紙おむつを汚すことが、日常になってしまうほどには。

「二度とまともな人間には戻れなくしてあげる。出てきなさい、私直々に処置してやる!!」

 蘇る記憶は、端正な顔を歪めるほど、激しい憎悪を史佳にもたらした。
 ガラス戸一枚、破れるならば飛び込んで殴りかかってもおかしくなかった。
 だが、向かい合う少女はぶつけた怒りに何一つ堪えてはいない。
 それどころか、聖女のように口元だけを少し緩め、くすりと笑う余裕を見せていた。
 その態度が、火に油を注ぐのだ。史佳の顔に、深い亀裂が走った。

「なんだその顔は! ふざけるな、お前のようなクズが私を——!」

 それでも、少女の笑みは絶えない。彼女はただ悠々と、身を覆う白衣を静かに脱ぎ去っていった。
 現れた姿を見た瞬間、史佳の怒りが静止する。

「それ……は」

 白衣の下の彼女の衣装に、史佳は見覚えがあった。
 何度も涙をこぼし、よだれをなすりつけ、オムツを替えるタイミングで漏らしたおしっこを飛ばしてしまったこともあった。
 なつかしい、エプロン姿。それは保育士の「せんせぇ」しか着ていないはずで。

「もう、ふみちゃん、そんなこわいこと言ったら、先生もかなしいなあ?」

「あ、あ、ああぁぁ……!?」

 保育士の先生は、やっぱり全てを見通すように、史佳を眺めて笑っていた。
 衝撃で硬直するのもお見通しだと言わんばかりに、エプロンポケットから、紙おむつを一枚取り出して、窓の向こうの史佳に差し出してきた。

「ふみちゃん、もうちっち我慢できない頃なんじゃない? おむちゅ外しちゃって、おしりさむさむさんだよねぇ? ほら、お部屋に戻ったら、せんせぇがふみちゃんのおむちゅ、替えてあげるのになぁ」

「やっ……! い、いらないっ……おむつ、ちっち……いや、もう赤ちゃんに……もどりたくないのにぃ……!」

 ベビールームを逃げだせたと思ったのに、廊下を半周して対面の部屋に辿り着いただけだという徒労感が、さきほどまでの達成感を、無慈悲にも塗りつぶして行く。無力さと絶望が心に満ちれば、さっきまで取り戻せていた知性も言葉も、ぼろぼろとかなしいくらい史佳の頭から抜け落ちていった。

(や、やなのっ、わたしは、あたまいい、おねえちゃんなの。あかちゃんじゃない……あかちゃん、やあなのっ……)

 顔面蒼白、全身を両手で抱いてがくがくと震えて堪えようとしても、ずっと出したままのお尻から冷えがお腹の奥まで響いていた。がまんすればするほど、もっともっとこわくなる。ふみかが、ふみになっていく。

「な……ないないだもん……。ち、ちっち、ない……。おむちゅ、ないよぉ……」

「困ったねえ、じゃあせんせぇが、ふみちゃんのおむつ持ってってあげるよ。そこで待っててねぇ」

「や! きちゃやあっ……ひっぐっ、ぐすっ……!」

 おなかから「ちっち」がでそうになっても、ふみかはがんばった。おねえちゃんだって、おもらししないように。
 あんよをばたばたさせて、ゆかにごろんってなって、ちっちのでるとこを、ぎゅっぎゅって、おさえた。
 でも、そんなことすればするほど、あかちゃんみたいで、はずかしくなる。
 ——17歳としての意識など、膀胱が決壊するほどの強烈な尿意の前では、その激しい水流が小さなプライドごと根こそぎ激流に呑み込んで行くだけだ。
 もはや、なんのために我慢しているのか分からなくなっても、一度決めたルールは、史佳を強く支配していく。

「ちっちでるのっ、ちーでるからぁっ!? せんせぇといれ! おねえちゃんといれ、つれてってよおぉ……!」
 泣きべそをかいて駄々をこねているうちに、きゅっと閉じられた太ももと股間の間にできた三角州が、じわりと湿り気を帯びてゆく。それは、情けなく甘えきった、幼稚な思考に囚われてゆく史佳にも理解できる危機だった。

「ひっ、ち、ちっちもるっ、もっちゃうっ、ちーでるっ、ちーっ、ちぃぃ……! ふえぇぇっ……!」

 表情を深く歪ませる、先程までの凶眼は嘘のように消えていた。下がった目尻に目尻の潤みが集まり雫が生まれ、頬に描かれたわだちに沿ってすっと一筋、そこから堰を切ったように、涙は止めどなく流れてゆく。上が流れに飲み込まれると、心にずっと支え続けられてきた下出口の戒めも、虚しく意味を失ってしまった。

「は、あっ、あ、ああ、うぁぁ……うえぇぇっ……! ぐすっ、ひっ、いっ、いやあああっ、うああああああんっ!」

 細い体が弓なりに、一二度びくん、と跳ねると同時に。
 三叉路の奥、ひくんと震えた姫戸から、溢れんばかりの水流が勢いよく床に水たまりを作り始めた。
 せせらぎの流れを響かせて、白い湯気まで立てて注がれたおもらしは、史佳のお尻も背中も、余すところなく染み渡ってゆく。
 おむつなしで失敗してしまったおもらしは、おむつという守る最後の砦をなくしたせいで、想像をはるかに超えた嫌悪感を史佳に与えてゆく。自分でつくったお漏らしの水たまりに尻餅をついてもなおおしっこが止められないなんて。

「ひっぐっ……うええっ、うあああああん……! せんせぇ、おむちゅっ……!」

「あらあら、間に合わなかったねえ、ごめんなさい……日下部主任。ふふっ」

「やぁ、ふみはふみなのー……。ぐすっ、ふえっ、うえええっ、おねえちゃん、いじわるやらぁ……!」

「はいはい、赤ちゃんふみちゃんにはおむちゅだよね。ほら、あんよたかいたかーい」

 不平を喚いても、自分の足一つ上げられない。ただ保育士に泣きついて、おむつを当ててと泣きつくだけ。
 ほんの数刻前では、自分の力を信じてきたはずの日下部史佳は、また、おむつの取れない赤ん坊に戻っていた。


 今はもう、名前が何だったのか、自分が誰だったのか。
 日下部史佳だった赤ん坊は、なにも覚えていなかった。

「おはよう、史佳ちゃん。ふふっ、昨日の夜も、いい子にしてたみたいだね」

「あむぅ……えぷ、だぁ、あぅう……」

 朝になれば保育士のおねえちゃんが、ベッドまでおむつのチェックにきてくれた。前の晩にたっぷりおむつを汚した史佳のおねしょおむつはお団子のように膨らんで、お尻を揺らすだけでぐちゅり、とおむつからおもらしがあふれてしまう。
 史佳の朝の楽しみは、このたっぷりのおむつをなるべく長く履き続けること。だから、朝のオムツ交換は保育士にとってもちょっとした苦労の時間だ。

「もう、いつまでもちっちおむつじゃくちゃいくちゃいでちゅよお? ほらっ、つかまえたーっ」

「あぶぅ……んふ、ふぅん……」

 保育士の手をよけながらも、おむつを替えて貰える赤ん坊は、楽しそうに無邪気な笑い声を上げている。こぼれたよだれで口元をべたべたにしながら笑う17歳の赤ん坊は、大人が忘れていた幼気の世界に浸りきっていた。

「ちっちいっぱい出て良い子だねえ、ほら、きれいきれいでしゅよぉ」

「んくっ、ん、んゆ、うぷっ……んっ、んんっ」

 赤ん坊の朝食はおむつを替えられなから与えられる哺乳瓶のミルクだ。両手でしっかりと掴みながら一心不乱に喉を鳴らして嚥下しては、時折小さなげっぷをけふ、と漏らす。その胸元には赤子に施すほどの成育を見せながら、大人への道を諦めた大きな赤ん坊は、おむつを替えられた直後に身を緩めて、小さく震えていた。

「はふ……ひくっ、うええ、うあああんっ!」

「あらあら、ちゅぱちゅぱしたらちっちでちゃったのね、すぐおむちゅ替えするの、大変なんだからね

 当てたばかりのおむつは、史佳にとってあってないようなものだ。四六時中漏らすこの大きな赤ん坊は、おむつのストックがいくらあってもたりないらしい。
世話をやく保育士には、その理由もわかっていた。

「そんなに、赤ちゃんするのがきもちよくなっちゃったんですかあ? 史佳さん、変態ですよね……うふふ」

「そ、そんなの、ないっ……」

 口先だけ否定して見せても、赤ん坊の顔はまたおむつが当てて貰えるという期待と喜びに満ちていた。赤ちゃんでいれば、おむつの世話もずっと続く。おむつなしには生きられないと口で言い訳を言うより、おむつが目に入った瞬間嬉々としてお尻を上げておむつ替えをせがむ始末だ。

「いいですよ、日下部主任。それがあなたの幸せならば」

「えう……ちゅぱ、ちゅっぅぅ……」

 赤ん坊は中身のなくなったおしゃぶりにしゃぶりつきながら、自分に向かう言葉を必死に拒絶してゆく。ぬれたばかりのおむつは、赤ん坊のおしりをまたぐずぐずに汚してゆく。
 終わりの見えない永遠の始まりは、まだはじまったばかりだった。

リハビリその5

濫育監護児 西口ゆたかのケース

 内心は、誰にも侵されはしない。だから、心の中だけで毒づけばいい。
 たとえそれが二週間ぶりの休学復帰当日、ホームルーム中に教師の隣に立たされた時でも。
「これからは、みんなの言うことを聞いて、素直でいい子でいるんだよ」
 小声で噂を交わしては含み笑いを隠そうともしない同級生たちの前で、16にもなってまるで幼稚園児のような約束事をさせられたとしても。
「………………わかりました」
 苦虫を潰した顔でスカートのすそを抑えた西口ゆたかに、抵抗の選択肢は存在しなかった。
 秘めた意思も覚えた言葉も、今のゆたかでは滑稽に聞こえるのが落ちだ。
「センセー、ゆたかちゃん、さっきからずっとスカートの中身見えちゃってますけど」
 一人の男子生徒の下卑た野次で、教室が湧き、ゆたかの顔が朱に染まる。
 後ろ手で必死に隠して見せても、短過ぎたスカートの中の下着には隠せはしなかった。
「ゆたかちゃんは監護児と認定されたので今は一歳相当の生活機能制限中なの。紙おむつだってゆたかちゃんの大事な下着だから、みんなも優しくしてあげてくださいね」
 教師の暴露に教室がざわめく。教室中に黄色い声や嘲笑が飛び交う。
「カワイイ! 西口さん、本当に赤ちゃんになっちゃったんだ!」
「変態じゃね、人前で放尿とか。人間終わってんだろ、アレ」
 ゆたかが教師に促されスカートをたくし上げると、同級生たちが一斉にふざけて悲鳴を上げた。
 渦中のおむつ少女は耳まで赤く羞恥に染めて、わなわなと一文字に結んだ唇を噛み締めている。
(ちがう……わたし、あかちゃんじゃない……こんなの、ぜったいまちがってるの……!)
 心の中で、そう必死に唱えてみても。
「あ、あう……えぐっ、うぁぁ…………」
 口から漏れたのは、生まれたての赤子がつぶやく喃語のような甘い声。口元から一滴のよだれが垂れるだけで、クラスメイトの狂騒はより酷く悪化していった。
「あれが監護児、だっけ? 実物見るとキッツイな、やっぱ」
「最悪30過ぎても赤ん坊でいなきゃいけないんでしょ? 三十路になっても赤ちゃんと一緒におむつ替えされるとか、下手すりゃ同級生の娘と一緒の保育園通ってたりして」
「すきだったのになー……さすがに、おむつが必要なレベルまで落第とか。ないわあ」
 赤ん坊だと口々に囃されても否定できなかったのは、市販の紙おむつと同じ幼児用製品と同じデザインの特注品を穿かされていたせいだった。
 そのおむつから、急に激しいアラーム音が鳴り響く。
「うっ……あ、うぅっ…………!!」
 全員の視線が突き刺さっても、ゆたかは苦悶に表情を歪めながら、ただ小さく震えるばかりだ。
 教師は何事も動ぜず、平然とゆたかに起きた変化を説明し始めた。
「今の音が、昨日説明したゆたかちゃんのお漏らしを知らせるアラームです。では、早速ゆたかちゃんのお世話当番を決めたいと――」
 涙と嗚咽に溺れ、自らの感情に呑まれたゆたかに、もう周りの声は聞こえなかった。
 尿意を感じた時にはもう、おむつの中が暖かくなっていた。決壊を留めようとガニ股になったせいで、スカートから顔をだした紙おむつが、黄色く染まっていく様さえ見られてしまった。
 教室中に広がる薄ら寒い偽善にも、今のゆたかには何も言い返せない。
 押し寄せる排泄欲に飲まれるまま、紙おむつをぐずぐずと汚す「大きな赤ん坊」は、新しい紙おむつに替えてくれる同級生たちを、ただ静かに涙で待つしかできずにいた。

 濫育――育ちを濫用している、といわれても訳なんてわかるはずもないのに。
『あなたは学校から支給されたID以外でSNSと契約し、学生として不適切な言動を繰り返していることを確認しました。よって、私たちはあなたを指導する立場として』
『いいでしょ別に! それくらいみんなやってるのになんで私だけ!!』
 ある日生徒指導室に呼び出され、教師たちに理不尽なレッテルを貼られてから、ゆたかの自由はいとも容易く剥奪されてしまった。
『はーい、痛くないよう。すぐに終わるからねえ』
『やだあああっ!! 離してっ、や、やめてっ――赤ちゃんになるのだけはやだああっ!!』
 監護対象児童――それが自由に責任を持てないと決めつける、体のいい支配理由。
 両腕を掴まれ車に乗せられ、連れて来られた保健所で泣き叫んで抵抗しても、腕に注射針を刺された瞬間、ゆたかの意識は闇に堕ちた。
『おはよう、ゆたかちゃん。ほら、おむつ変えるじっとしてようねえ』
『うそ……。わ、わたし……お、おねしょなんて……、ひぐっ、ふええぇ……!』
 再び目覚めたゆたかを待っていたのは、ぐっしょりと濡れた少女サイズの特注幼児用おむつの感触と、ベビーベッドの中で行われた、保育士によるおむつ替え。
 その日からゆたかはずっと、「おむつの取れない一歳児」として、生かされてきたのだ。

 昨日まで友達だったクラスメイトも、今となっては存在すらも煩わしい。
 授業直後の休憩時間ともなると、ゆたかの周りには生徒たちが集まった。
「ゆたか、ちゃんとちー我慢できてるじゃん、えらいえらい」
「ふ、ふざけないで……私は、赤ん坊になったわけじゃないんだからっ」
「この前駅前でおむつからもおしっこ漏れちゃって泣いてたって聞いたけど?」
「だっ、誰が見てたの?! あ、あれは漏らしたんじゃなくて、間に合わなくてっ」
「おむつにしちゃっても仕方ないよ、一歳児レベルだったら……」
「ちがうのっ、いっさいじゃないっ、おないどしなのに!」
 口喧嘩で負けたことがないのが自慢だったゆたかにとって、どんなに訴えても感情的になるほど口調が幼くなってしまうのは、周囲の嘲笑よりも辛い仕打ちだった。
(変な処置のせいだ……なんで私が、みんなから赤ん坊扱いされなきゃいけないの!?)
「あ、ご機嫌ナナメだ。ゆたかちゃんかわいいー! うちの妹みたい!」
「えー、あやちーの妹もうおむつ取れてるじゃん、ゆたかちゃんと一緒にしちゃ可哀想だって」
「さ、さんさいのこといっしょにしないで! わたしは、こーこーせーなのに!」
 ムキになればなるほど、からかいは激しくなり、ゆたかも更に情緒不安定に陥ってしまう。
 そうしてにやにや笑うクラスメイトに抗議するほど、『失敗』の回数は増えてしまった。
「ちがうの……ちがうもん……うぅっ……ふえぇぇ…………!」
「あー、ゆたかちゃん、またやっちゃったあ! せっかくおむつ卒業できると思ったのにねー」
「あーあ、おむつに漏らしちゃって。ゆたかはほんとに赤ちゃんだなあ」
「あかちゃんじゃないぃぃ……!! うああああんっ!」
 中腰になってぷるぷる震えながら、自分がこーこーせーのお姉ちゃんだと主張しながらおむつを汚す落第生徒の世話は、退屈な学生生活に文字通りの「潤い」に満ちたイベントだった。
 誰もがゆたかのおむつの世話を楽しみに、積極的にゆたかをからかい、泣かせ、競うようにお漏らしへと追い詰めていった。
「あ、先生! ゆたかちゃんがお漏らししちゃったからおむつ換え行ってきますね!」
「いっ、いちいち言わないでよ……。えぐっ、おもらしって、いっちゃやだぁ……!」
 だが、たとえからかう者がいなくても、ゆたかはすでに自分の体のコントロールを失っていた。限られた能力の中でも精一杯自分を保とうとしても、三十分も経たない内におむつの中に入っているセンサーが、けたたましくゆたかのお漏らしを周りに知らせてしまう。
 お漏らしを隠そうといやいやと頭をふっても、最後にはかならず、教室の後に用意されたゆたか専用の『おむつ替えスペース』に連れて行かれる運命だった。
「はーい、あんよあげますよぉ~。うわあっ、ちっちいっぱいでちゃってまちゅねぇ。うふふ、ゆたかちゃん、おしっこくちゃいおむつの赤ちゃんになってもちゃんと16歳の部分も残ってる。ほら、おしっこの量だけはお姉ちゃん並でよかったでちゅねぇ」
「やだやだやだああっ! そんなのおねえちゃんじゃない、あかちゃんなの!!」
 制服のプリーツスカートをお腹の上までめくり上げられ、赤ん坊同然に両足を上げられたおむつ替えだけでも生き恥なのに、同い年の同級生たちに濡れたおむつを晒さねばならない恥辱は、ゆたかのなけなしの理性さえ粉々にしてしまう。
「ゆーちゃん新しいおむちゅでちゅよ。もうちっちおむちゅないないちまちょうねぇ」
「あうぅ……。あ、あかちゃんなの、やだぁ……おねえちゃんしゃべりしてよぉ……」
 涙に溺れ、情けない懇願を繰り返すゆたかに、同級生たちは優しくはなかった。
「わかってまちゅよー、ゆーちゃんはおむつのおねえちゃんだもんねぇ」
「ちがうぅ……おむつはあかちゃんなの、ゆたかは、おねえちゃんがいいのぉ……!」
 新しいおむつを替えられたあと、ゆたかはかならず涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れた顔を同級生の胸元に顔を埋め、甘えるように抱きついた。スカートも履かず、おむつのお尻を晒したまま幼児語でぐずる少女は、自らの執着に反して、着々と幼稚な下着に適応を深めていくばかりだった。

 ゆたかの告白から二週間。在りし日の勝気な女子高生の面影は、もはや影も残っていなかった。
「はい、ゆーちゃん。この前教えたように、ちゃんとできるよね?」
「あ、あい……ゆたかのちっちでよごれないように……スカート、もってくだちゃい……」
「よくできましたぁ! ゆたかちゃんはおねえちゃんだねえ、おむつもパンツおむつだし!」
「あ、あうぅ……」
 今のゆたかの学校生活は、クラスの「ゆたかちゃん係」にスカートを預けることから始まる。
 穿いたおむつから漏れ出した尿量が多く、スカートに尿臭を染み込ませることが多いからだ。
 教室から校内まで常に幼児用紙おむつで徘徊する赤ら顔のおもらし女子高生は、あっという間に学校中の「恥」として知れ渡ってしまった。
 一人では出歩けないと世話係の腕をぎゅっと握って離さない親指しゃぶりのおむつ女子は、常におどおどと人目を気にして、時折きゅっと内股を絞って小さく震える姿を人前に晒し続けた。
「ゆーちゃん、さっきからわたしのそばにきてどうしたの? 保健室まで間に合わない? もうぱいぱい欲しくなっちゃった?」
「ち、ちがうの! ゆたか、おねえちゃんだからぱいぱいほしくないの!」
「あれ……まだ学校通ってるんだ、あのお漏らし先輩」
「いい加減保育所に預けられりゃいいのに。学校中おしっこ臭くしないで欲しいよ」
 すっかり板についた幼児語で叫ぶ度に、行き交う下級生や異性生徒から笑われてしまう。
 臆病心に障る嘲笑を避けるようになると、ゆたかの発語も日に日に数を減らしていった。
「ゆー、ちーでたら言わなきゃだめでしょ! そんなんだからおむつの赤ちゃんなんだよ!!」
「ひっ、ひうっ……ご、ごめんなさ……あ、あぁ……!」
「またなの? 怒られてる時まで漏らしてさ。そんなに赤ん坊がいいなら保育園にでも行けば?」
 ゆたかが小さな小言でさえおむつを汚すようになると、同級生たちの態度も変わってゆく。
 羞恥プレイも手に余る厄介扱いになり、濡れたおむつのまま放置される回数も増えてしまった。
「ほら、そんなに紙おむつ変えて欲しいなら教えた言葉くらいちゃんと言いなよ。愚図の小便垂れなんだから、せめて媚びくらい上等にしたら?」
 交換回数を減らすために無理やり穿かされた幼児用おむつは、脱げないように二重三重に重ねられ、今にも破れそうなほど張り詰めていた。そもそも16歳が穿くことを想定されていないため、横に伸びたバックプリントはだらしなく歪んで、今時の乳幼児が穿くフィット感やボトムスの中で強調されない控えめなフォルムとは真逆の、クッションボールのように下半身を膨らませている。
 どこから見ても恥ずかしいおむつの子は、濡れたおむつを替えてもらうためだけに、格好の道化と化していった。
「ゆ……ゆたかは、こーこーせーのくせに……おむつにちっちする、あかちゃんでちゅ! おにいちゃん、おねえちゃん……ぐすっ、おねがいっ、あかちゃんゆたかの、おむちゅかえてぇ!」
 濡れたおむつを両手でまさぐりながら、涙ながらに同級生様に『新しいあかちゃんおむつ』の慈悲を請う。クラスメイトたちは、ひとしきりその無様を笑っても、ゆたかに施しは与えなかった。「ねえ、ちゃんといったよ! なんでおむちゅくれないの!? おねがいっ、もうちーでてるの!」
「もう、おしっこ臭いよ。あんたなんか保育園行けばいいんだって、ほらあっち行けよ、邪魔!」
 玩具に飽きた嗜虐者たちは、見切りをつけるのも早かった。残酷なことに、ゆたかが赤ん坊としての言動を身につければ身につけるほど、学校の中にゆたかの居場所はなくなっていった。
「えぐっ、ふぇえっ、うああああん、あああああん…………!」
 最後にはおむつから漏れた水溜りにへたり込んだゆたかを、周りの生徒たちはまるでいないもののように扱った。
 ――ゆたかが高校を退学したのは、復学から丁度一月と一週間後のことだった。

 二〇XX年。目立つ反社会性非行活動を取り締まるだけでは健全な児童発達は保証できないーー 監護児童指定政策はそんな謳い文句を掲げて生まれ、賛同と共に世に迎え入れられた。
 実際は、ゆたかのケースのように『監』としての能力制限処置(手術により一時的な知性低下、生活水準低下)が多用されながら、『護』の役割がおざなりになった対象児も少なくはない。
 だが、新しい不良児童を世に出すよりはまだマシだとされ、制度自体が止まることはなかった。
 そうして矯正のレールに乗り損ねた哀れな『矯正落第児』たちは、二度と出られぬ【ゆりかご】の中へと堕ちていく。
 高校からドロップアウトしたおむつ退行児、西口ゆたかもまた、その一人に加わってしまった。

 迎えの送迎バス停の前で、母親はまるで自分自身を諭すように、ゆたかの新生活を見送った。
 永遠の別れではなくても、もう二度と戻れぬ道を往く娘を、憐れむように。
「ゆたか……ママは、怒ってないからね。全部ママが悪かったの。ゆたかの子育て、全部……」
「大丈夫ですよお、お母様。ゆたかちゃんのお世話は、全部私たちが責任もって行いますからあ」
 二人の間を阻むように、送迎にきた職員がベビーカーをバスの中へと運んで行く。
「あ、あぶぅ……むぐ、んむぅ……」
 普通のベビーカーの四~五倍はありそうな巨大なベビーカーに乗せらられたまま、バスに運び込まれたゆたかの返事は、咥えたおしゃぶりに阻まれて、鈍い泡となって口元から溢れた。
 底意地の悪い近所住民はほんのすこし前までゆたかのことを『おむつ返りの幼児化女子高生』と呼んでいたが、今やそんな陰口さえ吐くものはいなかった。余りに理解を超えた無様の前には軽々しい嘲笑の言葉も現れない。
「それじゃあ、発車おねがいします。いこうか、ゆたかちゃん。あなたの新しい『保育園』に」
「えぶぅ……あむ、ん、むぅぅ……」
 ボディスーツタイプのロンパースの首元には、ミルクのシミを残したよだれかけ。腰回りはパツンパツンに張り詰めており、おむつ替え用ボタンホック留めされた生地の隙間から、両足が閉じられないほどもこもこに当てられた紙おむつの柄が見えている。
 好奇や同情を超えて、一目しただけでは誰もが自らの目を疑う姿。
「ふぁ……あ、あぁぅう……んちゅ、んぅ……」
 16歳にして一歳児より幼い生後半年相当の年齢制限処置を受けた二度と育たない乳児化処置を受けたゆたかは、車内で惚けた表情を浮かべ、紙おむつにじわじわとお漏らしを広げていた。

 バスから降りた先にあったのは、常軌を逸した世界だった。
「ま、まんまぁっ……ぱいぱい、ぱいぱいちょーらいっ」
「びえええええんっ! ひぃちゃが、にののおもちゃとったぁ!」
 正気の人間なら、眼前の光景を地獄に重ねずにはいられなかっただろう。
「お、おうちかえる……ゆたか、がっこういくの……」
「大丈夫よ、ゆーちゃん。最初は慣れなくても先生たちが着いてるからね」
 まともさを失ったゆたかでさえ仲間入りを拒んでしまうほどに、『保育園』は魔境だった。
 矯正処置からドロップアウトした少女や元少女たちは、こうして集められ、ロンパースや園児服姿の下に、本来の腰回りよりも大きな厚ぼったい紙オムツをあてられながら生活していた。
「ほら、あの子、ゆーちゃんと同じけーたいでわるいことしてたから、最初は小学生からやり直したの。でもすぐにおねしょが始まって、お友達にからかわれたらお昼のお漏らしもしちゃって、それでも治らなかったから今じゃりっぱなあかちゃんに」
「や、いっちゃ、やぁ……」
「はずかしいよね、27ちゃいにもなってぱいぱいほちいって。うふふっ、ほんとはママになってもおかしくない歳なのにね」
 よだれを垂らし、幼児語をわめき、アニメの真似をして、オムツを汚して泣きじゃくる。
 もう二度と育つことのない幼児期に囚われた大きな赤ん坊は、下は19歳から上は27歳に至るまで、『保育園』という名の檻に収容され、子供のいない家庭の愛玩児童として引き取られてゆく定めにあった。ゆたかもまた、その一員に加わるのだ。
「ほら、ゆーちゃんは特別赤ちゃん返りが激しいから、ベビールームにいって過ごそうね」
「べ、べびーるーむ……ゆ、ゆたか、あかたん……なりたくないぃ……」
「何言ってるの、もう十分りっぱな赤ちゃんでしょ? ここにくるまでおむつ濡らしてたクセに」
「ひ、ひぃんっ……!」
 ベビーカーに固定された状態では、ただでさえ力の抜けた四肢は抵抗の役目すら果たさない。車を押した保育士の手でベルト越しにおむつを触られても、ゆたかは言われた通り登園中ぐずぐずと漏らした紙おむつの感覚から、ただ身をよじらせて悲しく鳴くことしかできずにいる。
「赤ちゃんには赤ちゃんにぴったりのお部屋を用意してあるわ。ほら、ここがゆーちゃんのだよ」
「う、うぅっ……! いらない……あ、あかたん、やらあ……!」
 口元から溢れるよだれに溺れそうになりながら呟く抗弁は、みじめな稚気に満ちていた。個室の保育室は、全ての調度品がゆたかサイズに用意されている。ベビーベッド、ベビーチェア、歩行器、交換用おむつの詰まった棚。用具入れにはひらがなで大きく「ゆたか」と書かれた徹底ぶりが更にゆたかを絶望の淵においつめていく。
「ほら、ここのおむつは全部ゆーちゃん用だよ? 赤ちゃんはお漏らしがお仕事だもんねぇ」
「やっ……といれでちーしゅる……おむちゅないないなのっ、おむちゅ、いやぁ……!」
「あはは、イヤイヤしながらお漏らししてるんだ。ゆーちゃん、ほんとに赤ちゃんなんだから」
「ふぇっ、うええん……!」
 事実、ゆたかがおむつを使う量は、保育園通いを始めて3倍に増えてしまった。朝も夜も、哺乳瓶をくわえさせられてる間さえ、おむつの中が濡れていない時間は日に日に少なくなっていった。
 おまるがいい、と言ったところで、エプロン姿の保育士たちは、ゆたかのような大きな赤ん坊の言葉を聞いてはくれなかった。それどころかーー。
「ゆーちゃん、がまんしてないでしちゃおうか? 体にわるいでしょ?」
「し、しない、もん……が、がまん、できるの……」
「はぁ、しょうがないなあ……じゃあ、いつものやっちゃおうか」
「い、いつものやらっ、おねがい、いいこにするからっ!」
 彼らはいつも、これ以上おむつを濡らすまいとベビーベッドの中で必死に堪えている時を狙い、抑制を失ったゆたかの膀胱を狙い撃つような真似ばかりを繰り返してきた。
「ほーら、ゆーちゃん。ちーのぽーずでちっちしちゃおうねー。ほーら、ちー、ちぃぃっ……」
「あ、ああぁ、やぁ、ちーやらぁ……ああああぁっ!?」
 幼児におしっこをさせるための、両足を抱えたおしっこポーズ。
 ベビー服におむつを着た状態で、耳元でおしっこを促す恥ずかしい幼児語を歌われただけでも、ゆたかの体は尽きせぬ泉のように、熱いせせらぎをおむつの中に広げてしまった。
「ひ、ひぅっ……あ、ああ、ち、ちっち、やぁあ……。おむつにちー、やらぁぁ……!」
「どうせちーしちゃうんだから、おとなしく漏らしちゃいなよ。ゆーちゃんには一生、おむつ卒業なんて無理なんだから」
「うあああん……! やらっ、あかちゃんやらっ、おむちゅもやらっ……おまるがいいのおっ!」
 今日もまた保育室に、おむつを替えられるゆたかの大号泣が響き渡る。
 誰にも聞き届けられなかった願いは足首に流れ落ちたお漏らしの雫のように、恥ずかしい痕だけを残していった。

trash #032

 おねしょもの

◆理解者は不敵にわらう?
 失敗続きのせいでシミだらけのおねしょマットはベッドの下に隠したし、昨日買ったばかりのおねしょパンツのふくろだってお母さんに洗面所の上の棚に直してもらった。
 だから、どこを探したって大丈夫――そんな沖浦すずの慢心も、幼稚園児時代からの幼馴染み、日高すばるの前では5分も持ってはくれなかった。
「なあ、これってすずのカレンダーだよな? これと同じやつ、親戚の子の家で見たことあったからさ!」
 しまった――なんて、すずが思った時にはもう遅かった。
 勝手知ったる他人の部屋。遠慮を知らないすばるが我先に入るのもいつものことだと、すずも油断していたのがいけなかった。常日頃から『短距離走なら男子にも負けねー!』と豪語してきたボーイッシュ少女は、その素早さで学習机の上に置かれた紙の束を目敏く確保し、投げたボールをキャッチした犬みたいに、うれしそうにすずに見せてきた。
 幼稚園から届くお知らせみたいにあひるやひよこ、小さな子供たちの並んだイラストと一緒に書かれていた文章は、『一週間分のおねしょチェックシート』。その名前欄には、ひらがなできちんと『おきうら すばる 12さい』とまで書かれている。今週一週間分の日にち欄の下に並ぶ空白には、テレビの天気予報でよく映る雨粒をこぼしたかさマークのスタンプが、ほぼ毎日押されていた。
 すなわち――『おふとんの中で、雨をふらせてしまった』という、すずにとって言い逃れの出来ないオネショの証だ。学校でも同世代の子たちが、一斉に大人への背伸びを始めた思春期の入り口に立つすずにとっても、子どもどころか『夜のおしっこさえがまんできない』赤ちゃん並のレッテルの根拠を晒されるなんて、顔が真っ赤になるほど恥ずかしいことだ。不幸中の幸いは、すばるが『すずはとっくの昔に赤ん坊のころから夜のオムツが卒業出来ないおねしょっ子』だと知っていること――とは言え、やっぱり気持ちの良い訳もない。それなのに、敏感になってた心にずけずけと土足で踏み込まれたら。
「いっ、いちいち聞かなくてもよくない、そーいうの? 別に面白いもんじゃないし、かっ、勝手にすればっ?」
 心中穏やかでいられないすずも精一杯の虚勢でごまかそうとはするものの、目線は宙をあてもなく泳ぎ、すばるの顔さえ恥ずかしくて見れなくなっている。いつもは左右お団子留めにした髪も家では解いていたから、ふわふわのロングヘアーに部屋着に着ているお気に入りのワンピースの姫スタイルも相まって、いかにもか弱い女の子といった格好だ。
 外見からして一目瞭然、押しの強さに逆らいきれずに流されていくのは目に見えていた。
「なら見てもいいよなっ! それじゃ、すずちゃんのおねしょチェックといきますかっ!」
 そう言うなり、すばるは勢いよくすずのベッドに飛び込んできた。サラサラのショートカットが宙になびき、軽い体重がマットに尻餅をついた瞬間、スプリングの反動で細い身体がぽふんと跳ねる。
 相変わらずのおてんば少女と来年もまた同じ中学校に行くと思うと、すずも溜め息を吐くしかなかった。すばるは日に焼けた肌も乱暴な口調も男の子みたいな女の子だ。スカートだって履かないし、今日だっていつも通りショートパンツから細い生足を晒している。すずが何度お気に入りのティーンズファッション誌を開いて似合う服を勧めても、似合わないの一点張りで逃げられてばかりだ。
 スタイルの良い彼女ならスカートだってきっと似合うのに。第一、中学校だってセーラー服なのに、勿体ない――そうやって、また溜め息を吐くすずの気持ちなど、すばるにしてはまるで知らない話らしい。体育の授業でやったリレーの授業、前で走ってた男子3人をごぼう抜きした時よりも黒目がちな瞳をきらきら輝かせて、すずのおねしょ遍歴をよりにもよって音読しながら遡り続けていた。
「へー、お昼寝の時のおねしょも記録できるんだな。この前の3連休は、連続でチェックが……。わあぁ。すずちゃんうわー……」
 カレンダーを一枚一枚めくる度、すばるは『おねしょ』の単語だけをはっきり強調して口にする。先生を『お母さん』なんて呼んだ同級生をからかうような口調に、『勝手にどうぞ』としらんぷりするはずだったすずも、慌ててベッドに駆け寄ってしまった。
「そ、それは……ちょっとだけ、パンツに染みただけ、だったし。それにほらここっ、チェックの横! 『少なかった』って書いてるよっ!
 だ、第一、こんなのでわたし毎回一喜一憂してる訳じゃないからね。治療の為には自分の状態をモニタリングする事から、って」
 だけど、口角泡を飛ばして『自分のおねしょはちっちゃな子みたいなお漏らしじゃないから!』なんて説明を繰り返すすずの訴えは、まるですばるには届いてなかったらしい。
「あれ? これ別の人が書いた奴? すずの文字じゃないよな、ほら、17日の0時と3時のところ」
 すばるが指を指した項目は、確かにそこだけ教科書の文字みたいに整っている。
 すずが勢い余って、説明の言葉を口にしようとした瞬間。
「それはマ……お、お母さんが書いて……。へ、変なとこばっか見るよな、すばるって! な、何が面白いんだかっ」
 口の中が一気にカラカラになって、思わず舌をかみそうになってしまった。なんでこんなことになったのか。元はと言えば、母親のせいだ。
『どうせすばるちゃんにお世話してもらうんでしょ? だったら予行練習になるじゃない』
 夏休み前の臨海学校は、6年生なら誰もが楽しみにする修学旅行に並ぶ2大イベントの一つだけど、おねしょの治らないすずにとっては、どちらも悪夢の試練と呼ぶに相応しい。
 友だちが眠る一つ屋根の下で一人だけこっそり寝室を離れ、こそこそとパジャマの下におねしょパンツを穿き、先生と一緒に眠りにつかなければならない姑息さと、同級生がパンツで目覚めた朝、一人だけおねしょパンツを鼻につく匂いのおもらしでぐっしょりと濡らし、黄色いおしっこで重たくなったおねしょパンツを脱ぎ、シャワーを浴びてから合流しなければならないなんて――恥ずかしくて、想像するだけで背筋がぶるぶるふるえてしまう。怖くて、起きてる最中にまでおもらしなんかしてしまったら、きっとショックで死んでしまうことまで確信できた。
 第一、お世話だって先生がやればすむ話なのに、お母さんはすずの話を聞いてくれもしないから。
『ごまかしてくれるお友達がいれば、もっと安心してお泊まりできるんだよ?』
 そんなこと言われても……と弱々しい反論も押し切られ、こうして合宿2週間前に土日に、すばるがすずの家に幼稚園生以来の『お泊まり』にやってくることになったのだ。
 その結果が、おやすみ前のおねしょチェックなんて――現実のいたたまれなさに、すずも、冷静でなんかいられなかった。
「いちにち平均2~3回、多くて4回の時もあるんだな。で、量は250ml、237、210……うわ! 300ml超えの日もあるじゃん!」
 わざとらしく驚いてみせたすばるに、すずは噛みつくように反論するも。
「いっ、いちいち驚かなくていいのっ! そんなの、大した量じゃ――」
「軽量カップがたしか1カップ200ccで、測るのが水の時だと1ccの時おおよそ1mlになるって、学校で教わったよ。だから毎回カップ一杯以上は」
「うわあああっ! 知らないっ、知らないからっ! そんなの気にしたらもっとおねしょヒドくなるってお医者さんにも言われてるしっ!?」
「ぷっ、んふふっ……。そ、そうだよなっ、気にしちゃダメだもんなっ、ご、ごめんなっ、すず……。くふふっ」
 すずイジりに関しては、いつもすばるが一枚上をいってしまう。その上、語られたネタがおねしょに関わる以上、入り口でじっと足下を見つめて、恥ずかしさに堪えてきたすずの顔面からも、抑えきれなかった感情が沸き立つように、ふつふつと湯気が上がってゆく。
 ぷつり、と緊張の糸が糸が切れた瞬間。すずは、ベッドに腰掛けたすばるの元へ飛びかかり、そのまま勢いよく彼女のお腹の上に、馬乗りになった。
「す、すずっ!?」
 突然のタックルからのマウントポジションに、すばるも呆然と目を丸くしている。
 すずも大きく深呼吸すると――見下ろしたすばるに、思う存分、一気にまくし立てた。
「わっ、わたしだってがんばってるんだからあっ!
 ほらここっ! 先週の真ん中は曇りシールが続いたし、今月はおひさまシールの日だって3日もあったのっ!
 おしっこだって朝のおもらし我慢できたし、夜はちゃんと一人でトイレにだって行ってるの! だからそんなに笑うなっ、ばかあっ!」
 一息で繋いだ思いの丈をぶちまけたせいで、得体の知れない爽快感がまだ薄い胸の中を駆け抜けていた。全速力で走った直後みたいな酸素に飢えた肺が涼しい空気を吸い込んで、すずも興奮に満たされたまま、すばるに対して自らの勝利を宣言する。
「も、もうもう満足したでしょっ? すばる、それは処分するから、もう返して――」
 だが、返ってきたすばるの反応は、すずにとってまるで予想外だった。
「う、うんっ、ごめんね、すず……。くっ、くふふっ……」
 突然、口を塞いで笑い出したすばるの反応がわからなくて。
「な、なに……? どうしたの、すばる……?」
 すずも、素直に聞いてしまう。すばるはくぐもった声で自分の笑いにむせながら、まだ手にしたままの『おねしょチェックカレンダー』の下の文章を、指さしていた。
「お、おひさまシールって……『おひさまシールをいっぱいあつめて、おねしょにバイバイしよう!』って……お、おひさまシール……!
 ご、ごめっ、このカレンダー、やっぱり対象年齢、幼児向けなんだよなあって思うとさ、そのっ……くくっ、ぷふっ、ごめっ、あはははっ」
 指差したまま、もう自分で自分もコントロールできなくなったのか。お腹を抱えて大笑いを始めたすばるを見下ろしたまま、すずはぷるぷると小刻みに震えるな否や――枕元に置いていたお気に入りのふわふわの枕を両手で掴み、彼女の顔に何度もぼふっ、と鈍い音を叩きつけはじめていた。
「もうやっぱり最初から乙女の繊細な悩みバカにしに来たんだ!? 人のおねしょ癖笑いに来ただけなんだ!?
 もういい帰れっ、帰れよおっ!! イジられるくらいなら一人さびしくおねしょと向き合ってた方がマシだからさーっ!?」
「あははっ、ごめっ、すずっ、わたしが悪かったっ! ちょっ、わははっ、それだめだって! あひゃひゃひゃひゃっ!?」
 まるで謝罪になっていない上に、笑いすぎたすばるの方がアホの子みたいにおかしくて、すずも泣きたいくらい恥ずかしいのに、釣られて笑う羽目になってしまう。
 だから連れてきたくなかったのに――なんて後悔、勿論先に立つはずもないから。
「うるさいっ、すばるのばかあああっ!! そんなに笑いたいならずっと笑ってろおおっ!!」
 ベッド上の痴話喧嘩は、そのまま枕投げに発展してゆく。
 結局、二人ともいつもより遅い時間まで起きる羽目になってしまった。
◆目には目を、おねしょにはおむつを!
 騒ぐだけ騒いだら後腐れもなくスッキリ――なんて、そう簡単にはいかないらしい。すばるはただ、学校行事を前に憂鬱になっているはずの幼馴染みを励ましにきたはずなのに。
「はぁぁ……。どうせ、おねしょ垂れですよー、だ。わかってるってば、そんなこと……」
 さっきまで人の顔面にぽふぽふとぶつけていた枕を胸に抱きながら、すずはまた深いため息を繰り返していた。憂いに沈む横顔は、昼間学校ではしゃぎ回った無邪気さの欠片も見当たらない。ちょっとした美少女――いや、黙っていれば確実にそう評されるであろう魅力は備えているはずだ。
 だからこそ、いつも隣で見てきたすばるにしてみれば、もどかしいことこの上ない。
(まったく、カワイイくせに自覚ないんだもんなぁ、すずは。『恥ずかしいし……』なんて落ち込んでる時以外だって、ちょっと落ち着けばきっとモテるのに)
 凹んだ幼馴染みのご機嫌を取るのは、幼稚園時代からのお約束。そのまま放置してたら膝を抱えて寝る前に漏らしてしまいそうな勢いのすずの隣に、すばるもそっと腰を下ろす。
「ああもうわーってるって、ごめんごめんっ! 本気で頑張ってるんだもんなー、すずは。むしろ逃げずに立ち向かってるの、すっごくかっこいい。すごいよ、すず」
 すばるは弱々しく振り払おうとしたすずの手も握り、えらいえらいと頭を撫でてやった。口調や手振りはフリを見せてはいたけど、撫でてる間はすずの語調も柔らかくなる。
「はあ……また出た、すばるの体育会系脳筋思考。こんなの、しない方が普通だから」
 すずは弄れば弄るほど可愛くなる女の子だ。頬を膨らませて皮肉を呟く仕草も幼くて、周囲の人間の庇護欲を無駄に煽ってしまう。
(口ではしっかりしてる癖に、行動はギャップあり過ぎるって。ずるいよ、すず)
 中学生にもなって、オネショに悩んでうじうじしたり、オムツを穿いてる事を知られただけで、布団に潜り込むような、そんな可愛い振る舞いをもっと見ていたい――そんな甘くて切ない願いが、すばるの脳裏に桃色の色彩を帯びて広がってゆく。小さく疼いた胸の鼓動は、次第に滾る愛欲の高鳴りへ、激しさばかり増長させた。
「だって、一日も欠かさず記録つけてるとか、真剣じゃないとできないだろ。ボクだったらおねしょで凹んだら、書く気も失せたり――」
 もっと、もっとと願うほど。立て板に水の語りは、留まる所を忘れてしまったのか。
「――毎日欠かさず?」
「……あっ」
 甘い妄想で一人突っ走っていたすばるを止めたのは、すずの冷たいジト目の視線だった。
「べべべ別にそーいう意味じゃない! すずが毎日おねしょしてるとかそういうこと――」
「言ってるのと同じっ!? もうやだあこの脳筋っ!? 帰れっ、もういますぐ帰れよおっ!?」
「ごめっ、ほんとごめんってば! すず……今のは、ボクが悪かった。ごめん……なさい」
 涙目で非難を叫ぶすずに、すばるもすぐさま深く頭を項垂れた。すばるだって、自分で自分を許せずにいるすずが、一朝一夕で治りはしない悪癖で苦しんでいるのは知っている。やさしい言葉も慰めも傷つくなら、いっそ自分が悪役になって一瞬でも抱えたストレスを発散して欲しかったのに――浅はかな選択を、すばる自身悔やまずにはいられなかった。
「……たまーに、そうやってマジメな顔して。ほんっとズルいよね、すばるは……そういうとこだけ、真剣なんだから」
 そうして自ら悔やむほどのすばるなりの不器用な気遣いは、すずにはちゃんと届いていたらしい。ずるいのはどっちだよ、なんて思わず一人ごちそうになって、途端にすばるも恥ずかしくなってしまった。
「お許し下さい、すずお嬢さま。全てはこのすばるめの愚かさが招いたことなのでして」
「そーいう芝居がかったのもいらないからー。もう……また空気だって元通りにしてさ。どーせまたいつもみたいにふざけるくせにさー」
 10年ものの付き合いだから、結局最後にはお互いの気持ちもわかってしまう。そんなバレバレな恥ずかしさをごまかすように、すばるはまた、元の調子を取り戻していった。
「そりゃそーだ、えへへ。はい、それじゃすず――そろそろ『おやすみの時間』、だろ?」
 すばるがすずのお母さんからもらった紙袋の中身を出すと、攻守逆転、再びすずが顔を真っ赤にして慌てだした。4~5歳児がパジャマ姿でポーズを決めた『おねしょパンツ』のパッケージは、本来なら中学生の部屋には浮いた存在だ。あってはいけないはずのモノがそこにあるだけで、日常の何気なかった雰囲気も非日常の特別な世界に変わってゆく。
「もうするのっ? そ、そのっ、私にも心の準備ってものが――って、話し聞いてるっ!?」
 『おやすみの時間』が指す行為は、抱え込んだ劣等感に自虐することで問題を誤魔化し続けたすずにとって、妄想だけでは避けがたい現実の試練を意味していて、同時にすばるにとっては、自分とすずだけの秘密の時間の幕開けの合図だ。『お泊まり』の度にすずの母親が口にした呪文は今なお効果を失ってはいないどころか、むしろ効果を増すばかりだ。
「聞いてるきいてるーっ。はーい、それじゃすずのために用意した、新製品のご対面っ、じゃあんっ!」
 さっき失敗を悔やんだばかりでも、すばるの手は止まらない。鼻歌交じりに袋の口を破り、たっぷり詰まったおねしょっ娘の為の夜の下着――パンツタイプのおねしょ用紙オムツを取り出して、すずに見せつけるように突きだした。
「……っ!? い、いちいち見せなくていいからっ!? すばる、見せないでよおっ!?」
「えー、だってさ、すずが着けるとカワイイじゃん! なあ、折角だから選ぼうぜ!」
 自分がそれを穿いた姿を想像したのか、すずは両手で顔を隠し、全力で首を振った。そんな大きなおねしょっ娘の恥じらいの仕草で、すばるの欲望も激しく煽られてしまう。
「――今夜のすずのおねしょパンツ、どんなの穿いて寝たいと思った?」
「っ!?」
 思春期はただでさえ自意識ばかりが強くなる時期だ。他人とは違う自分を望むが余り、中二病に走るのも珍しくはない。そんな誰もが自分を強く見せようとする頃に、ただ一人色とりどりの紙おむつ――おねしょっ娘のプライドを守るために、名前だけが『パンツ』と呼ばれても、赤ん坊が穿くものと何も変わらない――を同い年の同級生に穿かされるなんて、どれほどの恥辱だろうか。
 すばるには想像も及ばなくても、顔から湯気を上げてあわあわと口を開いて呆けた幼馴染みの興奮の表情でわかることもあった。例えば圧倒的な恥ずかしさで身体から力が抜けたのか、すばるが両足首を掴んで軽く伸ばしただけで、ずるずると仰向けになってゆく。
「はーい、それじゃあんよ上げような。すずちゃんの新しいおねしょパンツの時間だよー」
「お、おおぉ覚えてなよすばるぅっ!? ひっ、ひひっ、人のことっ、着せ替え人形みたいに扱ってーっ!?」
「だってさあ……この前すずに任せたら、おむつのサイドギャザーずれててベッドまで大洪水だったじゃんか」
「おおっ、おむつって言うなあっ!? わ、わたひっ、赤ちゃんじゃないんだからっ!?」
 すずも口は必死に強気にしがみつこうとしているもののェ、すばるがおねしょパンツを見せてやったり『おむつ』という単語を口にするだけで、面白いように挙動不審に陥った。
 す細い足に片方ずつおねしょパンツを通してやるだけで身震いを起こし、横漏れ防止用サイドギャザーを巻き込まないように人差し指で足回りとパンツの間をなぞれば甲高い声で小さく鳴き声をあげる。すばるの一挙手一投足の全てが、すずを悶え恥じらわせていた。
「あー……はいはい、『おねしょパンツ』ね。ふふっ、かあいいとこあんじゃん、すずも立派なお姉ちゃんだもんなー。おむつは恥ずかしいもんなー」
「ふーっ、ふうううっ……! ど、どうしても人のこと、はずかしめたくてしかたないのかよおぉっ……」
 おねしょパンツを穿かされている間のすずは黒目がちの瞳をうるうると潤ませて、上目遣いで恥も外聞もなく情けを乞う。恥ずかし過ぎて死にそう、なんて細い声に込められた想いを前にすばるの攻勢も一瞬たじろぐが、一度ついた勢いはもう止められやしなかった。
「ちがうちがう! すずがカワイイからボクも可愛がりたかっただけ! だってさ、さっき選んで貰ったのだってそうだろ!
 最近のおむ……え、ええと、おねしょパンツってカワイイの多いだろ? ボクの穿いてるのなんか味気ないし、すずのおねしょパンツの方が可愛くない?
 ほら、すっごく女の子……っぽくてさ。いいよなー、すずちゃんかわいいっ」
 ……口からでまかせ、適当にも程がある。後から自分で言ったことを後悔するほど歯の浮く科白は、夜尿コンプレックスのせいで恋バナにも加われない初心なおねしょ少女には、むしろ女児向け少女漫画並の浪漫を与えてしまったのだろうか。
 一呼吸で一気に語った長科白を受けた途端、すずの声色から非難や拒絶のニュアンスが消えて、代わりに聞こえてきたのは、素直になれない乙女心の裏腹な気持ち。
「そ、それも恥ずかしいだけ……って、絶対すばるの方がいいに決まってるでしょっ!? おむつじゃなくてパンツがいいからっ!」
 すばるだって、一応すずと同じ女子のつもりだ。だから女の子らしい趣味はなくても、女の子の喋り方は自分の身体がよく知っていた。『キライ』が何より『だいすき!』を意味していたり、特定の人やモノへの言及を避けた回りくどい言い方が、何より一番大事だと暗に示していたりする。
「自分で言っちゃ意味ないじゃん……」
「う、うるひゃいっ!? いまはわすれてたのっ! そっちも忘れろおっ!?」
 だから、言葉にならない意味は、態度や行動でわかってしまう。ずっと幼馴染みを見つめてきた目敏いすばるだからこそ、おねしょパンツを穿かされていた間のすずの仕草を見逃しはしなかった。
「はいはい、わかってますよっ。ほらっ、早く穿かないとぽんぽん冷えちゃうぞー? 身体冷えたらおしっこの量も多くなるだろ、だから」
「す、好きにしてっ……はやく終わらせてくれたら、もうなんでもいいからあっ」
 なんでもいい、好きにして――そう言いながら、すずはもじもじと太股をすり合わせるように絞り腰をすっと浮かせておねしょパンツを穿かせ易くしていく。、自分から協力するような仕草が何を意味するかは、きっと口に出せばまた必死に否定されるだろうから。
「はいはーい、お望み通りにいたしますね、すずおじょうさまっ」
 言葉に成らない望みを汲んで、すばるもおどけながらすずの足におねしょパンツを通していった。理解できたのは、自縄自縛の劣等コンプレックスに囚われ続け、自罰思考の堂々巡りに陥り続けてきたおねしょっ娘が、ようやく与えられた許し。どれだけ自分を苦しめようとも、手放せないプライドからずっと抱えてきた規範意識、『おねしょするなんて恥ずかしい』という信念に応じた『おねしょっ娘への羞恥私刑』にすばるが応えるたびに、すずが口癖のように呟く『いや……』の意味も、徐々に内在化された罪悪感から目を逸らすために罰を乞う、憐れな奴隷願望者の倒錯へと変貌を重ねてきた。
(その内、自分からおねしょパンツを差し出して、『私が穿きたいんじゃないんだもん!』……なんて、おねしょツンデレさんになっちゃうのかな?)
 大人へと近づく為の思春期の中、むしろ子供染みた行動を覚えていくであろう幼馴染みの未来予想図に、すばるも内心で苦笑した。予想もつかない関係の発展に、期待で胸は踊ってしまう。そんな幼馴染みを世話出来るのは、自分だけだという自負がそうさせていた。

 そして、うらはらな気持ちの『いや』を数え切れないほど聞いた結果。
 幼馴染みは、真っ裸より恥ずかしく、SNSに蔓延るエロ動画より、ヘンタイ染みた姿へと変貌を遂げていた。
「……やっぱりすずは、おむつ着けてても可愛いと思う」
「はあ……もう、ほんっと。どうしようもないよね、すばるの少女趣味は。そんなんじゃないでしょ、これ……。おむつにベビードールって、はぁぁ……。
 第一、身体冷えるのダメとか言ってたクセに」
 ひくひくとひくつく口元から、隠しきれない喜悦が漏れ出ている。
 桜色に染まる頬も小さく吐いた甘い吐息も、今もふつふつと宿る知恵熱に火照っていた。
 きっと同じクラスの女子でも、すずと同じ寝巻きで夜を過ごす子はいないだろう。ナイトウェア――パジャマ代わりに着る、寝巻き目的で作られたワンピースタイプの水色ベビードールは肩紐や胸周りを小さなフリルで飾られていて、胸元に結ばれた大きめのリボンがどことなく幼さを強調しながら、半透明の生地に透けたお腹や腰回り、剥き出しにされた肩や太股といった肉体美を余すところなく晒した扇情的な衣装だ。いかに早熟な少女でも着こなすには早過ぎる大人のナイトウェアの中で特に目を引くのは、ひらひらと踊るベビードールの裾と太股の間で、ちらちらと見え隠れしたアニメ柄のおねしょパンツ。大人でも子供でもないちぐはぐな装いは、おむつを嫌がる少女の懸命な背伸びの証だった。
 もっとも、おねしょが治った時に着ようという誓いは、一度も叶えられることなく今に到っている。すばるの口車に乗せられて着せられて以降、憧れの寝巻きは死ぬほど嫌がっていたはずのおねしょで変態的な気分にさせられる為の寝巻きとして使われる一方だった。
「これだと夜のおねしょチェックの時、おむつ替えやすいんだよなー」
「満面の笑みで人の弱味ためらいなく踏み抜くなよばかああっ!? ああもう寝られなくなっちゃうじゃん、恥ずかしすぎて! すばるのばかあぁっ」
 辛うじてブラジャーは大人寄りのレースデザインだが、下は幼児でも穿かないような紙オムツ姿のちぐはぐさで、どっちつかずなすずの現実を突きつけている。胸元に顔を埋めて握った拳で弱々しくすばるを叩くすずの仕草も、甘え癖の治らないダメな大人みたいだ。
「おーよしよし、泣かなくていいよ、すばるんが着いてるからなー」
「マッチポンプじゃん、それって……なにこのループ……あうう……」
  おねしょオムツの中学生は、甘えたいのに素直じゃない、大人になれないお子様で。でも、そんな彼女が心細さでぎゅっと人を抱きしめた時、ただ外側で可愛がってばかりだったすばるも、不意の衝撃で思わず心臓が破裂しそうになってしまう。
「……あの、さっ。すずがカワイイってのは、本当だからなっ。べっ、別に……おむつしてても、してなくても」
 さっきまで、目を逸らしていたのはすずの方だったのに。想像以上に蠱惑的な幼馴染みの存在が、今になって直視出来なくなってしまった。
 攻撃は最大の防御。それが趣味も性格も真逆な二人が、唯一共有した信念だから。
「んぎゅっ!? す、すずっ、何してんだよっ!?」
 風向きが変わったことを察したすずが、今度はすばるの顔をぎゅっと胸元に押し付けた。
「……はいはい、わかってますよー。あーあ、すばるもそーいう可愛げがあったら、わたしもいっぱい愛でてあげるんだけどなー」
「すっ、すずの攻め方はおかしいんだって! カワイイっていいながら近づく時の目はえろくなってるし!」
「人のことお子様だとかイジるくせに、すばるんのおっぱいも大概でしょー? あ、でもちっちゃい方がカワイイか。すばるんかわいい!」
「そっ、そんなの別にかわいくないだろっ!? すずの方が、よっぽど……」
「ふっふっふー、さっきのお返しですー。ちょっとは恥ずかしい気持ちで悶えるがいいさっ、わたしの気持ち、少しはわかるでしょー?」
 夜のおむつも取れないお子様のクセに、おねしょパンツがイヤで恥ずかしがる甘えん坊の癖に――逆を言えば、それさえなければ、すずの方がすばるよりよっぽど大人っぽくて、女らしい子に違いなかった。だから、剥き出しのサディズムを柔らかくいなされて、まるで母親のように温かくて柔らかいおっぱいを顔いっぱいに味わってしまえば、今度はすばるが自分の気持ちに気づかされてしまった。胸の奥で聞こえた小さな鼓動が、自分の吐息のリズムと重なって、すばるもまた自分でも知り得なかった想いを知ってゆく。
「……すずの気持ちなんだ、これが」
「そ、そうだけど……ああもうっ、どんどん恥ずかしくなって、これじゃちゃんと寝られないぃ……。眠りの質が落ちたら、絶対おねしょしちゃうなー。あーもーこれはすばるのせいでおねしょしちゃうなー、こまったなあー」
 一足飛びで核心に触れた言葉を予想していなかったのか、すずはまた、不意をつかれて恥ずかしそうにはぐらかす。生憎、すばるはすずほど面倒臭い性格もしていないから。
「じゃあボクも、これからずっとすずにおねしょさせにこなきゃな」
「なんでそうなるかなあ!? やっぱりイジワルしにきたんだ!?」
「だって、すずがずっとカワイイままでいてくれると……ボクだってうれしいからさっ!」
 満面の笑みで愛を告げた直球が、すずの顔を瞬間沸騰させる。慌てて布団に潜り込むも、ふわりとめくられたベビードールのお尻から、おねしょパンツが丸見えになっていた。
「も、もうっ、バカ言ってないで寝るからねっ……。おやすみっ、すばるっ!」
「うんっ、おやすみっ。明日のおむつチェックも、手伝うからねっ」
「それは別にいいからあっ……。ううぅ……」
 後を追って、すばるも同じベッドに潜り込んだ。おねしょっ娘と同じ夜を過ごすために。
◆ふたりがナイショにしてるわけ。
 浅い眠りを妨げたのは、熱に浮かされ興奮した少女の声色。がさごそとかすかな物音と共に太股をまさぐられる感触に身悶えて、すずは薄くまぶたを開いた。
 視界に飛び込んできたのは昨日の夜を思い出させる、イジワルな幼馴染みの満面の笑み。
「やっぱりいいなぁ、すず……。あーもー、かあいいかあいいっ、えへへぇっ……」
「なにしてんだよぉ、すばるうぅ……人のカラダでっ、はふっ……ふあぁっ……」
「ナニってぇ……むふふぅ」
 ナニが何を指しているのか、眠気の残る頭で考えてもよくわからない。ぼーっとしている内に、テープが剥がれる乾いた音がして――それでやっと、すずも気付いた。
 上半身のバネで勢いよく飛び起き、目の前にいるすばるに喰ってかかろうとするも。
「ふぇっ……あ、ちょまっ、まってっ、どいてよっ! 自分で出来るからぁっ!?」
 すばるに掴まれた両脚を上げられて、すずは振り子のようにベッドに沈んでしまった。
 突然の目覚めで過敏になった神経が、異常事態を知らせている。昨日当てられたおねしょパンツは乾いてサラサラのはずだったのに、ぐじゅっ、と潰れた水音がした瞬間、じわじわと肌に生温い濡れた感触が這いずり回ってゆく。尿意さえ感じられない内に繰り返してしまったおねしょは、一晩に1~2回じゃ済まない量をオムツの中に留めていた。
 そんな恥ずかしい失敗を、からかわれながら暴かれ、管理されるなんて。
 朝から恥ずかしさが体中をまた熱くさせてしまう。ベビードールにおねしょオムツの中学生なんて、ただでさえ訳のわからない格好を見られてるだけでも居たたまれない気持ちなのに、人間的に終わってるとさえ思える絶望で、背筋から指先の神経に到るまで冷たくて熱いゾクゾクとした強烈な怖気が走り、脱力しきった全身がふるふると震えてしまう。
 これで、『おねしょなんてして恥ずかしくないの!』って、しっかり叱ってくれたらまだマシだったのに。
「いーからいーから、ボクに任せろよなっ! 大人しくしてたらすぐ終わるって、すずちゃんのおむつチェック!」
 普通じゃありえない、どう考えてもヘンタイ染みた状況なのに、すばるは知ってか知らずか、またスポーツでもするような明るい態度で、すずの身体をオモチャにし続けている。
 そっちの方が余計に恥ずかしいけど、すずだってもちろん叱ってくれなんていえない。もどかしさに身悶えてる内に、すばるの手がすずで遊んでまた楽しそうに笑う異常さは、すずにとっては終わりの見えない羞恥地獄そのものだ。せめてもの抵抗を見せるものの。
「はっ、はずいこと言うなあぁっ……!? もっ、もうっ、分かってるクセにっ!?」
「ふふーん、やっぱり自覚あるんだっ? でもさぁ、さっきまでぐっすり寝てただろー?
 それどころかさあ……。いやあ、初めて見たけど、見てるこっちの方が恥ずかしかったんですけど……」
「な、なんのことっ……?」
 思わせぶりな態度で揺さぶられ、動揺を隠さず露わにしたら。
「もう朝だってのに、もぞもぞ動き出してさ。親指ちゅっちゅ吸い出したかと思うと……」
 おどけたすばるが、口元に親指をあて、赤ん坊の真似を見せてくる。その仕草は、うつらうつらと夢に見た、おぼろげな場面をすずに思い出させてしまった。
「あ、ああぁっ……。さ、さっきの夢って、ま、まさかっ……!?」
 夢に見た記憶は幼稚園の頃のお泊まり保育。ホームシックに陥ったすずが、先生の胸に抱かれ、安心感から親指を吸って赤ちゃん返りした場面。勿論その頃から、オムツを濡らさなかった夜はない。その日の朝も一人こっそり先生に起こされ、おねしょオムツを替えられて――
「おねしょで重たくなってたおむつの中から、しょろろろぉっ……って。すごいよなー、すずのおねしょ、すっごい勢いでさ! 音もちゃんときこえたんだって!」
「うあああああっ!? しらないしらないっ、わたしそんなの聞きたくないからああっ!?」
 内に蘇る黒歴史と外から届く失敗の実況で、すずの頭の中ももうぐちゃぐちゃだった。顔中涙でぐしゃぐしゃにして、堪えきれなかった恐怖が尿道から溢れ出して、おねしょパンツをまたじわじわと温かくしてしまう。
 そんな、自分では何にも出来ない無力な幼女のようにべそをかくだけのすずを、すばるは手際よく世話を焼いていった。
「ほらほらぁ、たぷたぷのおねしょパンツ、まだあったかいだろ? あさのおしっこもおねしょで出して、すずちゃんもきもちよかったんだもんなぁ」
「う、うぅぅっ……。す、すばるぅ……ごめん、なさいぃっ……」
「はいはい、泣かない泣かない。今度はちゃんと朝のおしっこ連れてくからさ。だから一緒にがんばろうなっ」
 まるで幼児に言い聞かせるような『おしっこ我慢、がんばろうね』のメッセージに弱々しく抵抗の言葉を投げるものの、すずはもうすばる無しではいられないと痛感していた。
 そもそも、どんなに泣いたりわがままを言っても、すばるがすずのおむつ替えを嫌がったことなど一度もなかった。それどころか。
「ぜ、絶対わたしのおねしょからかうの楽しんでるだろっ……すばるの、へんたいっ……」
「えへへっ、すずがかわいいのがいけないんだろー? ほらっ、あんよあげてっ。おねしょおむつ外したらシャワー浴びに行こ?」
 泣き言を言いながらも、おねしょおむつを替えてもらっている状況は、どう考えてもすばるに甘えきった自分を自覚せずにはいられなかった。
「う、うんっ……。ああもう、すばるのせいで朝から大泣きしちゃった……ああもう、はずかしいなあ……」
 ちょっとヘンタイだけど、それでもいつだってすずのおねしょを守ってくれるすばるに、今ならきっと素直になれる――そう、思って口にしかけた言葉もあったけど。
「あれぇ? すずちゃん、おねしょは恥ずかしくないの?」
「そっ、それは普通に恥ずかしいから! ってかもうイジるなばかぁっ!?」
 すばるはいつだって、調子に乗りやすい奴だから。
 すずが抱えた思いを伝えられるのも、まだまだ先の話になりそうだった。

 生まれてからずっとすずにはおねしょのない朝なんてなかったから、ずっと一人でおねしょと付き合い続けていれば、夜のおむつもおねしょチェックのカレンダーも、一人で劣等感を抱えること以外は、何も感じることのない、変化のない日常と化していたのだろう。
 そう思えたのは、いつもすずのおねしょをイジりながらも、やさしく守ってくれたすばるの存在あってこそだった。
 とはいえ――余りに無軌道な彼女の言動は、すずの想定を軽々と外れていく。
 連休中の『お泊まり』初日、すばるに連れられてやってきたのは、いつも出歩く生活圏外から離れた、近くても足を伸ばすことのなかった隣の市のドラッグストア。誰もが棚の商品に目を向けている中では誰もすずを知っているはずもないのに、探しているモノがモノだけに周りの客の視線ばかり気になって、すばるの手を離すことも出来ずにいた。
「ほらほらぁ、折角のでーとなんだしさ。もっとたのしもーぜっ、すずっ」
「でっ、でーとでもなければ、こっ、こんなの楽しめるわけ、ないぃっ……。は、恥ずかしくて、死にそうになるのにっ……」
「だってさっきのおむつじゃすずの一晩のおねしょも受け止めきれなくなってただろ?
 昨日買ったのはお昼寝用にして、今度はもっと吸収力の――むぐっ」
 かといって、野放しにしてもいられないから困りもの。すずは慌てて手のひらですばるの口をふさぎ、その上に人差し指を立てて「静かに!」のジェスチャーを作る。女子中学生二人組の痴話喧嘩はただでさえ人目を惹く。更に喧嘩の中身が『おねしょ』の話題で、その上二人がいたのが、赤ちゃん連れの母親が行き交う紙オムツがずらりと並んだベビー用品コーナーともなれば、極めて真実に近い憶測が飛び交うことは避けられないはずだ。
 社会的に死亡宣告を突きつけられるほどの死活問題だと、すずは涙目になりながら懸命に抗議するものの、返ってきたすばるの答えは何も考えない脳天気のままの反応だった。
「わっ、わたしの秘密バラすなばかぁっ! ああもうっ、調子に乗りすぎなんだからぁ……あとでおぼえてろよっ、すばるぅ……」
「あははっ、ボクが覚えてたらいいけどなー。ほらっ、これなんかカワイくない? お姫さまだってっ!」
 繰り返し続けた応酬に、諦め切れない往生の悪さも思い知らされてしまう。すずももう、すっかりすばるに慣らされてしまっていた。
「……そうだね、それにしよっか」
「うんっ、それじゃあレジに……」
「わたしが持ってくから」
「え、あ、うんっ……。って、いいの? すず、あんなに気にして……」
 ――だったら、少しくらい反撃したって良いだろう。
 何度訴えても人のおねしょを笑うすばるなら、きっと許してくれるはずだ。
 すずは新しいおねしょパンツを手にとると、何度も見てきた朗らかな笑みを真似てから、遠くにいた店員に声をかけた。
「すみませぇん! この子でも穿けるおねしょ用おむつって、これでも大丈夫ですよね?」
「すっ、すずっ!? おねしょしちゃうのはボクじゃなくてすずだろっ!? ぼっ、ボクっ、おねしょなんてっ!?」
 攻撃は最大の防御。何度おねしょが恥ずかしいと訴えても理解できないなら、いっそ仲間に入れてしまえば良いのだ。余りに荒唐無稽な結論だが、すずが見つけた答えは、迷う余地のない道だと、素直に信じることが出来た。
「覚えてなくてもべつに良いよ? でも、人のことカワイイカワイイって言うクセにさ。
 そーいう恥ずかしがってるすばるんも、カワイイんですけど?」
「だ、だからってっ、おねしょおむつなんか、穿けるわけないのにっ!?」
 店員が近づくに連れて、すばるの態度が段々と落ち着きを失い、挙動不審になっていくのがすばるにもわかった。
(ああ、これがすばるの気持ちなんだ……。ふふっ、おねしょイジりも、わるくないね)
 すずはおねしょを治す為の知識を集めている内に、おねしょを悪化させたりおもらし癖をつけさせる為のトレーニングもあることを知っていた。すばるならきっと、すずにも負けないくらい恥ずかしがってくれるはずだ。今この瞬間の慌て方だけでも素質は充分だ。
「もっとかわいくしてあげる。それこそ、わたしと同じ、おねしょっ子になるまでね。 ふふっ、覚悟しててねっ」
「か、かわいくって、そんなのっ……!? あう、ううぅっ……」
 逃げだそうとしたすばるの手を、すずはもう一度強く握り直した。
 二人ならきっと大丈夫――恥じらいに顔を真っ赤に染めたすばるに、そう呟きながら。
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